2009年5月1日(金) 新年の目標として、職場で相手が帰り支度をしているときとか廊下ですれ違ったりするときにする挨拶を、いままで全然まとはずれな内容で受け答えをしていたのを直すことにしたのだが、今ではその場に応じた適切な受け答えができるようになった。 さて新年の目標をクリアしてしまったので、どうしようかなと思っているときに、そうだ闘病記の執筆などやってみようかと思いついた。同病の患者さんが情報を求めているわけだし、それからなによりリハビリにもなるし。 2009年5月3日(日) 2月7日の3回目の痙攣発作後から車の運転は自粛してきた。もう3ヶ月経ったのだからいいよね、ということで車の運転をこの連休から解禁した。例によって助手席に、かみさんを乗っけて運転する。 最近、暖かくなってきたので大型の単車をよく見かける。去年は自分のことに一生懸命で周りを見回す余裕がなかったこともある。以前のように単独であるいはタンデムで出かけることができるといいなと思う。今は高速道路のタンデムも解禁になってるし。現在は痙攣発作が起きることが心配なので無理だけど、いつの日にか再び乗ってみたい。 2009年5月5日(火) シュレッダー事件勃発か? 家庭用のシュッレダーにはAUTO・OFF・REVのスイッチが付いている。さらにREVの記号の下側にCD&カードカットとある。投入口は二つある。すなわちA4サイズのでかい投入口の下にCDサイズの投入口である。期限が切れたクレジットカードに、はさみを入れてから、おっとシュレッダーがあるじゃないかと気がついて、投入したところ、思いっきり詰まってしまった。後でするからと、かみさんを制止していたのに、以前詰まったときに千枚通しで突っついたらとれたよといって、ごじょごじょやっている。 こういったことは他にもたびたびあった。要するに子供扱いはするなである。携帯電話のマニュアルを読んでいるときにでも、デジカメのマニュアルを読んでいるときにでも心配そうに首を突っ込んでくる。パソコンの操作をしているときにもしかり。体力的にも理解力の面でもほんのちょっとしたことすら助けがないとできないと思っているようだ。そりゃあ、術後しばらくはそうしてほしい時もあった。実際そうしなければここまでの回復は見られなかったはずだ。でも今は一家の主の自覚というか、かみさんを守ってやりたいというか、そんな術前の状態に戻りたいという思いが強くなってきている。 例のカードはというと、たまたまAUTOにしておいてA4サイズの投入口の方に別の紙を入れたら反転して出てきた。駆動軸は1本で、しかも投入口の間にある。REVの下側にCD&カードカットの文字があることから、そりゃAUTOにして別の紙を入れれば反転の反転だから出てくるのは当然である。こんなことは術前は瞬時に分かっていた。まだまだだなぁ。 |
入院中に設計していたショルダーバッグがやっと完成した |
2009年5月12日(火) 最近、会社で術前と同じように、たどたどしいながらも、ちょっとだけ大きな声で話せるようになった。我ながらいいものである。しかし言い易い発語だけになってしまっているのが、大きな声で話せるということの裏返しになってしまっている。いかんいかん。 短い言葉は勢い良く喋ることができるが、その先が続かない。落ち着いて低い声で喋ればなんとかなるのだが、大きな声で喋る文が長くなると、とたんにたどたどしくなる。でも本人は必死で喋っている。 それから、ちょっと前から、かみさんと口喧嘩がすんなりとできるようになった。いや、口喧嘩というわけじゃなくて、術前に戻ったというのが正しい。ちょっとしたことで、大きい声で、きつい一言を言ったら、「そんな言い方はないんじゃないの」となる。 2009年5月16日(土) 趣味で革鞄を作るときに、まず蝋引き麻糸を準備しなければならない。麻糸に蝋を引く時には、蝋をこすりつけて、ドライヤーで炙って、またこすりつけてといった工程を踏むことになる。まずそれに先立つ準備工程として、プリンの容器に蜜蝋と松脂を入れ、溶かして混合するのだが、このときに容器をラジオペンチを使ってつかむので、ちょっとしたコツが必要となる。 今日はそのコツを忘れていた。慎重につかむべきところを、何も考えずに、ただつかんでしまったから、さあ大変。焼き網の上にこぼれるは、火が出るはの大騒動。さらに溶けた蜜蝋を冷やして固めて、竹串を刺してから、もう一度表面だけ炙ってプリンの型から外す。ここでも、何も考えずにプリンの型を傾けてしまって、溶けた蝋がガス台にこぼれてしまった。注意障害である。まぁ、おいおい良くなって行くんだろう。 2009年5月18日(月) 言語リハビリ。STに闘病記の執筆のことを伝える。今までの経過をまとめてもらうように依頼する。闘病記を書けるほど回復している人はまれなので、言語聴覚士(ST)自身の参考にもなるとのこと。なるほど。 STが、計算問題としてお釣りの計算をさせる。例えば商品代金が\2,144でした。5千円払ってお釣りはいくら返ってくるでしょう、というもの。上の桁から順番に引き算して暗算することができた。うーん、よくぞここまで回復したものだ。 最近、傷口がまた痛い。突然耳鳴りがしなくなって、来るぞ来るぞと思っているとギーンと頭が締め付けられるような感じは依然としてあるし、頭の外側が重い感じがするということもある。でもそれ以外ではなかなか調子が良い。 2009年5月27日(水) 主治医の診察を受ける。5月18日の血液検査の結果は、血中薬物濃度がフェニトインとして5.09μg/ml、これは薬効がある範囲でなるべく下限でよい。血小板は16.7万個/μl。 肝機能はOK。過労・睡眠不足が最大の痙攣の起こる原因。熱は37℃台であれば大丈夫。お風呂はいわゆる半身浴といってお腹がつかるぐらいまでなら浸かってもよい。ストレスがあるときに、ほっと一息というときが、原因はわからないが危ない。人によって痙攣が起こる前兆として肩とか腕とかに違和感がある場合もある。 乾いた高周波音に過敏になっていることは、より頭がすっきりしてきた結果と考えられる。(これには不服) いつもいつもではないが櫛を使っているときなどに痛むといった症状があるのは神経の切断面が痛むのであろう。 術後半年ぐらい経ってから、額の腫れが治まってきたということもあるんだろうけれど、額にチタンプレートを止めているであろうボルトの盛り上がりが2ヶ所見えるようになってきた。髪の毛に隠れている部分はもっとひどい。最近ではチタンプレートそのものの形状が数ヶ所盛り上がって見える。このことに対して主治医は、チタンプレートの厚みが1.5mmぐらいあるので額の傷跡はどうしようもない。内部に影響するわけじゃないので心配することはない。昔は手術したところの骨全体が陥没していた。それでももっと平らにすべきという意見があり、そのためだけの学会もできた、とのこと。 |
傷跡の盛り上がり |
2009年5月28日(木) webの検索でキーワードの入力が苦にならなくなってきた。 ここのところ、失語症に関しては、ぐっと良くなっている感じがする。かなりややこしいことでも話せる。ただし、抽象的なこととか、例えばそこに書いてないことでの意見(自由意見での回答)を求められると頭が真っ白になってしまう。これは言いたくても言えないというのと、何も思いつかない、というのが両方正しい。 2009年6月3日(水) 昨日から、あごの関節が痛む。どうも手術に関連している模様。例の額がのしかかるように感じる痛みとあいまって、えーい、うっとうしいわい。夜、椅子にもたれていたら治った。 ちょっと前から、例えば開発部の連中からメールが送られてきて、それについてメールを送った人の席に行って、それを一時憶えていてまがりなりにも議論ができるようになった。以前だとメールを表示させておいてからじゃないと話にならなかった。 2009年6月9日(火) 昨日、今日と人間ドックだ、思えば一昨年の人間ドックがすべての始まりだった。重症の脳腫瘍に進展していれば助からなかっただろうと思う、あらためて、かみさんに感謝。 言語リハビリ。STが新聞記事を音読する。それを憶えておいて私が説明する。以前は考え込んだり、あせったりしていたのが、今はない。 <STの評価>
第6期(平成21年2月10日〜) 1回/月、60分
文章問題、記憶訓練、語想起+図形把持 計算のミス・文章から数式を作成する・速度低下を訴える。 文章説明 :時折、主語が抜けわかりにくいこともあるが、内容の伝達はスムーズ。 細かく尋ねると、説明に時間がかかることがある。内容の把握・説明 はgood。 計算問題 :文章をSTが読み上げ、暗算してもらう。数字を多少聞き洩らすことはあ るが可能。 会話訓練 :日常会話でのやりとりはスムーズ。語想起できない場合も、上手にカ バーできている。本人も話していて伝わらないことがなくなったと。 複数の課題を組み合わせて、スピードを上げて負荷をかけていく。負荷をかけると始めは間違えあり。徐々に課題に慣れてくると誤りが減る。発症3ヶ月頃に行っていたように、単純な計算問題などを毎日行い、処理速度を上げる事を勧める。会話訓練、説明課題を行う。また、自主課題として文章作成をしてもらう。職場での出来事などを聞いていく。 2009年6月10日(水) 右足がピクピクする。今日一日ピクピクしてから治まった。 以前から感じていたことであるが、業務上で必要となるISOの手順書の類とか品質マニュアルの類とかに関しては理解不能である。まぁこれは健康な時でも理解不能っちゃ不能だったんだけど。ややこしい文章が書いてあると、何度も何度も読み返してみるが、結局、意味不明でギブアップとなる。 2009年6月12日(金) ここのところ体調が抜群にいい。しかし、体調が優れている(額に眉を吊り上げた時にある引っ張られたような感じはあるが、気にしなければ気にならない程度)ことと、一連の言葉が出にくいことには何の関連もないことがわかった。まだまだ言葉が出てこない。 術後、鞄を持つ手を短時間でも交互に入れ替えていた。鞄は結構重い。それが、リコンディショニングセンターに通い始めて筋力が付いてきたからかも知れないが、左手でずっと持っていられるようになった。 |
総合公園の城壁の屋上 (この城壁に今でも違和感を感じるのは私だけ?) |
2009年6月16日(火) 最近、職場でいらいらすることが多い。言葉が出てこなくて、えーい鬱陶しいわい、となったときに危ないような気がする。本人はもっともっと喋れるつもりだが、実際には喋れないことが原因。おさえておさえて。 計算に関しては、通勤中に、車のナンバープレートの4桁の数字を、初めは2桁ずつ足し算して声に出して言っていた。次に内田クレぺリンテストの亜流で車のナンバープレートの4桁の数字を左から順に足し算して、10の位に繰り上がったらその10の桁を無視して1の位のみ足して、これも言葉に出して言っていた。これはできる。最近では先に来た車のナンバープレートの数字を上記のように足し算して憶えておき、後から来た車にそれを加えて足し算してみている。これがなかなか難しい。内田クレぺリンテストで4つの数字の足し算はすんなりと言える、けれども最後の数字を憶えておいて後のナンバープレートの数字に加えるというところで、最初の数字は何とか計算できるのだが、後半2桁がちょっと詰まってしまう。 2009年6月24日(水) 新商品の制御に関するややこしい判断がほんのちょっとではあるができるようになった。制御仕様書の新規作成と修正ができる。術後今まではこんなことはできなかった。制御プログラムは、その前の動きをワーキングメモリに記憶しておいてから次の動きを考えないといけない。 それができてきたということだろう。 でも言葉に関しては、まだまだ不満である。しゃべりも書く文章もままならない。が、少しずつ良くはなっていると感じる。 2009年6月30日(火) 前から思っていたのだが、パソコンで入力すると修正あるいは追加がきくからどんどん書ける。初めから一文を考えて書かなくても、最初に目的語を書いておいてから主語を追加することだってできる。あたりまえだけど便利だ。 それから年号に関しては困ったものだ。だれだれがどうしたとか、どのタイミングで新商品を開発したとかさっぱりである。人の年齢もわからない。元号で言われるとなおさらである。1925年が昭和元年だから・・・といって、じっくり考えてから答えが出る。これは暗算ができないことにも原因があるのであろう。でも、じわじわと回復してきている。 |
ハンドバッグを作った |
2009年7月16日(木) ふと気がつくと、最近お弁当を食べる時に手の震えが気にならなくなっていた。実際に震えていない。 2009年7月21日(火) 2日ほど前から、頭の表面が痛くて、どうにも気持ちの悪い耳鳴りがする。痙攣発作が起こる前のようだ。でも風呂に入るごとに症状は和らいでいる。 こんなときでも、新製品の制御に関する議論は完璧とは言えないまでもできる。あの製品の制御はどうだったかとかの記憶に関しては今一つのところはあるが、それでもぐんぐん良くなっていっている。断定ができるようになってきたのが、うれしい。 鞄を作ることに関しては、まず最初に設計図を引くのだが、まぁ迷いはするけれども(術前でもそうだったが)結構決断して迷わずに設計できる。寸法を足して行ったり引いて行ったりする暗算はまだ苦手である。それでも電卓を利用して、うまくやっている。 2009年7月22日(水) 今日は日食。日本の陸地で見える皆既日食としては46年振りだそうだ。私が住んでる地域では部分日食である。太陽が見るまに欠けてゆく様は神秘的だった。ちょっとだけ、奇跡が起こることを期待していた。 2009年7月30日(木) 最近再び音読を始めた。言葉の戻りに波があるように感じたから。初心に戻って、音読から始めることにした。 術前は、なんにせよ強い筆圧で書いていた。それがこの頃戻ってきた。太字のボールペンに強い筆圧、うーんこれが本来の私の姿だ。 2009年8月12日(水) 2度目の入院後にちょっと小股で歩いていたのは、意識して以前のように大股で歩くようにしてきた。でも何より、歩いたりする時のちょっとした肩をゆすったり手を振ったりする所作が、術前に戻っていることに気づく。 今日はMRI検査の日である。MRIの検査は造影剤を入れるのと入れないのが2通りある。その造影剤を点滴する針が血管にうまく刺さらなくて往生した。2人がかりで3回刺してだめで、最後に先生に頼もうということになって、結局先生がやってきて造影剤の注射をしてもらって検査を行うことができた。術前はどこの血管を刺しても血液が流れ出てくるのが自慢だった・・・どんな自慢じゃ。 MRI検査の後に主治医の診察を受ける。検査結果は異常なし。術後すぐにMRIを撮影したとき、および1年後に撮影したときと変化はなく再発もしていない。 血液検査の結果は、抗痙攣剤のアレビアチンの血中薬物濃度がフェニトインとして7.19μg/ml、これは薬効がある範囲(5〜20μg/ml)でなるべく下限でよいことから考えて正常値。血小板は15万個/μl。 |
術後の私の脳のMRI画像 (左は造影剤なし、右は造影剤あり。どちらも輪切りにして下から見ている) |
2009年8月23日(日) 失語症をはじめとする高次脳機能障害の一部は、一見して障害がないように見えるところが曲者だ。にこにこして黙って普通にしていると「無口な人」で済むのだろうが、本人は納得していない、やっぱり喋りたい。計算も判断力も100%元通りになりたいと思う。2年間で体感的に25%まで回復ってところかなぁ。 高次脳機能障害の症状にはお手本がないといわれている。この患者でこの方法が有効であったからといって、別の患者でそれが有効とは限らない。いわば手探りの状況である。現時点でのその状況について、まとめたのが下記だ。 言葉の障害に関しては、抽象的なことや、自分から考えて物を言わなければならないことを話すときに、まだ頭が真っ白になってしまう。これは言いたくても言えないというのと、何も思いつかない、というのが両方正しい。発想に関しても同じことが言える。それに加えて、長い文を喋り続けるということができない。日常会話は、平易なことなら、そこそこ大丈夫。易しい言い回しに変えて(あくまでも自分が言い易い言い方に変えて)話すとOK。でも本人は冷や汗びっしょりかいて必死に喋ってるんだけどね。それでだめなこともあるが、そこはそれ、ジェスチャーで通じるところもある。また人から聞いたこととかテレビのあらすじは、なんとか伝えられるようになってきた。気の利いた表現、冗談などはまだまだ無理である。言ってもいいのだが、途中で詰まってしまうんじゃないか、聞いてる相手が訳わからなくなるんじゃないかと不安で喋ることができない。 書く文章はパソコンで入力することがほとんどであるが、言葉が思いつかないというか、もっといい表現ができるんじゃないかとか、もっと素敵な言い回しができるんじゃないかとか、今でも悩んでいる。一方でwebで検索のキーワードを入力することが鬱陶しくなくなってきた。 読む文章は術後初期のころから音読はできた。でも読解となると難解な内容は今でもお手上げ状態である。文学的な内容、罹患している病気のこと、技術的な内容は理解することができるが、二重否定形の文章、受動と能動の関係、分子と分母の関係、単位の換算、ISOの手順書の類が苦手と言える。 判断力に関しては、完全とは言えないが、ほとんど治癒しているといえるだろう。全部ではないが決断できるのがうれしい。業務で行う実験計画や検図に関しても、完全とは言えないが、ほぼ元の状態に戻っている。鞄を作ることに関して、まず最初に設計図を引くのだが、迷いはするけれども結構決断して迷わずに設計できる。まだ、あれやこれや選択肢があるときの判断力や、いろいろと場面に応じて考慮して答えを導き出さなければならないときの判断力には、弱いところがある。 それから、融通が利きにくくなっている。何度も何度も聞き返してしまう。訳わからないことを言う人がいたとしても、こういった意味合いだなと自分で判断していたが、それがまだできない。 計算障害に関しては、時間をかければできるようになってきている。しかし暗算のスピードが遅いのが問題だ。1桁の計算でも、えーっとって考えてから約2秒で答えが出る程度である。業務で行う流体計算や熱計算も単純なものはできるが、複雑な計算はまだできない。複雑な計算をしようとすると、頭が締め付けられるような感じがする。 それでもパソコンや電卓があるから平気だ、と思えるようになった、というところまで回復しているってことかな。 注意障害・記憶障害に関しては、まだまだである。まぁこれは年齢にも関係してくるんだろうけど。だれだれがどうした時はいつだったかとか、また人の年齢も元号で言われるとさっぱりである。その反面、業務で使う新製品の制御プログラム作成は、何とかなるという程度のところまでは改善している。しかし、術後に、いちど思い出したことしかスムーズに思い出せないことに気付いた。例えば、業務の複雑な内容などで、これは抜かしちゃいかんじゃろっていう、いわばポイントのような部分も、しっかり抜けてしまっている。忘れてしまったことさえ忘れてしまっている。ん? これは論理的な文になってるかな? ま、実際そうなんですけどね。 空間・時間に対して予測することができにくくなっている。文字を一旦書いておいてから先頭に書き加えるときに、例えば6文字入るなら6文字分空けなければならないのを4文字分しか空けていなくて、よく失敗する。また、その作業に充てるべき工数はどれくらい必要かとか、コストダウンが金額的にどれくらいできるかとか、全く分からない。商品が売れるかどうかといった野生の勘に至ってはもうお手上げ状態である。これは気をつけてはいるのだが、症状は改善したが現在でも同じ。 結局は言葉がすべてである。言葉が思いつかないから、判断も計算も記憶もできないし、注意することも予測もできない。人類が言葉によって発展したということを、つくづく理解することができた。 体調についてまとめると以下のようなことになる。まず、なにはともあれ再発はしていない。むしろ痙攣発作が起こることの方が心配だ。頻度は少なくなってきたが、普通にしているときでも、意識が途切れるような感じがして、うわっと思う。 それから常時耳鳴りはしているし、頭の傷口も痛ければ、眉毛を吊り上げたりするとつっぱるし、フラフラフワフワするけれども、これらはあまり気にしないようにしている。またアレビアチンに変えてから、椅子のキャスターが油切れしているキーキーという音とか掃除機の音とかボールタップからの水音とか、乾いた高周波音に過敏になっている。 それと目の下のクマは今でも治っていない。 最近、リコンディショニングセンターに通い始めてわかったことだが、ダンベルを持って繰り返しで体の前で揃えるときに10回を超えたあたりから右腕がきちんと揃えられない。左脳を手術しているから右腕の筋力が落ちているのだろうか。ま、五十肩も経験したし。 手術から今日で丸2年が経つ。最初の入院中から自宅療養の期間を除き、時間が飛ぶような速さで進んで行った。49歳で脳腫瘍が発見され、50歳、51歳と、心の準備ができぬまま50代に突入してしまった。いつも、その時その時が最高だと思っていた自分がいたのに、49歳で見事にリセットされてしまった。でも、リセットされてしまってからも、その時その時が最高の自分である。こんなこともできるようになった、あんなこともできるようになったとかね。 闘病途中で心が折れてしまいそうになったこともあった。しかし生来の能天気な性格に加えて、なにより、あきらめないで、投げ出さないで、前向きにどんどん進んで行った。これが失語症克服の唯一の「こつ」と言えるだろう。 |