8.痙攣発作が頻発する
<7.高次脳機能障害という言葉を知った> 000 <目次> 000 <9.そうだ闘病記の執筆をしよう>



2008年12月25日(木)
 ロキソニンを服薬する。朝から昼にかけて風邪を引きそうで頭痛がしたため。午後から治っていたので、飲んだことさえ忘れていた。

2008年12月27日(土)
 ロキソニンをまた服用した。朝頭痛がしたから。30分もしたら、すっと頭痛は消えてなくなっていた。
 大阪から直通バスで帰ってくる次女を22時頃、迎えに行った。風呂に入った後で行った。

2008年12月28日(日)
 痙攣発作が起きる。
 外食で昼をとったのち、食べる速さが違うのでしばらく待っていると、自分の意志と関係なく視線が左右に素早く動く。そして気を失う。
 ここからは、かみさん談。3月の時と同じように眼で宙を追うので虫でも追っているのかなと思って私の顔を見ると硬直が始まりだした。歯を食いしばり、ウーと言って体が硬くなり、椅子からのけぞり落ちそうになるので後ろで支える。救急車を呼んでもらう。次女が大学病院に電話するが通じず。痙攣ののち意識がなくなり弛緩。やっと電話が通じて大学病院に搬送された。
 搬送中の行程の真ん中あたりで、おぼろげながら意識が戻った。
 かみさんが救急の受け付けに行ったので、ここのところから次女談。救急車で大学病院に搬送されたあと、ベッドにゴロリと自分で移動する。心電図をとる。目の動きをみるため、医者「爪が見えますか」、私「爪は見えないけれど指は見える」角度からして見えない位置にあった。トイレに行きたいと訴えるが、質問をされ名前など普通に答える。トイレに行く。倒れた時の状況を医者が次女に聞く。
 CT、血液検査ともに異常なし。痙攣止めのデパケンRを1日5錠にしてみる。(朝2錠、夕3錠)点滴する。落ち着けば帰宅してよいとのこと。
 帰ってからロキソニンを飲む

2008年12月29日(月)
 左膝裏、右太もも裏に硬直していた時の青あざが残っていた。椅子に押さえつけていた跡かな。

2009年1月2日(金)
 大げさに言うと、今日の昼ごろから、ふっと意識が途切れそうになる。
 次女を送って行く。

2009年1月3日(土)
 写真を撮りに行った帰りに、意識が途切れる気がするので運転を代わってもらう。性懲りもなく痙攣後も車の運転は続けていた。今年の3月24日には去年痙攣発作が起きてから丸1年経つ。それでめでたく単独運転を行えるということになっていたのだが、去年の12月28日でリセットされた。あーあである。その後、不安になったこともあり、車の運転は自粛。
 昼頃からの失神感のある状態がテレビを見ているうちになくなっていた。背中・頭を支えられているときに(平易に言うと背もたれのある椅子に寝そべっているとき)、失神感がなくなるようだ。
 以前から薬を飲んだ後、フラッとすることがあった。大げさにいえば一瞬意識がなくなるような感じがする。気が遠くなるのは、食事ののち血糖値が急に上昇するときかも?


防波堤の風景

2009年1月5日(月)
 夕食後から、一瞬、気が遠くなるのが気にならなくなっている。ふらふらするのは変わっていない。
 新年の目標として、職場で相手が帰り支度をしているときとか廊下ですれ違ったりするときにする挨拶を、いままで全然まとはずれな内容で受け答えをしていたが、これを治すことに決めた。例えば、相手が「お先に失礼します」といったにもかかわらず、「こんにちは」と答えてしまうようなことだ。

2009年1月6日(火)
 かみさんの、「痙攣発作が3月と同じパターンを繰り返すので、何かの刺激を与えれば発作を起こす前に止められるのではないか」との質問に対して、「一度起こってしまったものは、一通り発作が治まるまで止められない。そこで、けがをしないように服をゆるめるなど、ひと通りのことをおこなうべき」とは精神科の担当医とSTの弁。

2009年1月7日(水)
 主治医の診察。上記と同意見。
 気が遠くなるのは血糖値が急に上昇するときかもしれないという問いかけに対して、デパケンRは血中薬物濃度を閾値より上げないと効果がない。従って朝1錠、昼1錠では効かない。むしろ血圧の影響かもしれない。
 血中薬物濃度の検査をした。後日結果を聞いたら63μg/mlであった。とりあえず朝2錠、夕3錠に決まった。(50μg/ml以上が治療域)
 12月28日頃から指が震えなくなっていた。今に始まったわけではないが、お昼のお弁当の時に特に震えがひどくなっていたのだが、今日震えがおさまっているのを確認した。

2009年1月24日(土)
 近所に「リコンディショニングセンター」というのがある。そこではオリンピック選手からプロ野球の選手、プロサッカーの選手、実業団の選手、中学生から高校生まで、体を壊した人と、そうでない人、はてはデイサービスのお年寄り(パワートレーニングをしている!)まで様々なタイプの人が、様々なスタイルでトレーニングをしている。要するに外傷や病気、過使用などで体調・体力が低下したスポーツ選手や高齢者を以前の状態まで回復させるというのを仕事としている。そこに入会した。これから原則として毎週土曜に通う。かみさんも、どうせ付きっきりでいるんだし、なにより家族会員半額というところに惹かれて入会した。

2009年1月27日(火)
 少しだけ苦労しないで、楽に話ができるようになった。もっとも楽に話ができるようになったというのは、難しいこと、ややこしいことは除いてだ。
 夜、頭が痛くなりロキソニンを飲む。

2009年1月28日(水)
 15時30分頃ロキソニンを飲む。ロキソニンを飲んだ後から失神感のある目まいがする。夜まで続いた。

2009年1月30日(金)
 朝、ロキソニンを飲む
 最近になって、術後に、いちど思い出したことしかスムーズに思い出せないことに気が付いた。例えば、業務の複雑な内容などで、これは抜かしちゃいかんじゃろっていう、いわばポイントのような部分も、しっかり抜けてしまっている。術前はこんなじゃなかった。


旅行鞄を作った

2009年2月4日(水)
 今朝、メールを次々に表示させて削除しているときに、あっ失神するって感じで突然頭が締めつけられるような感覚になった。昨日から今朝にかけて失神感のある目まいがしないという意味で絶好調だっただけに、本当に突然という感じがした。実際は失神はしなかった。午後からも違和感あり。
 ロキソニンを飲む

2009年2月6日(金)
 開発部で飲み会。21時30分ぐらいに抜けて帰って来た。
 6日の夜から7日にかけて、失神感のある目まいがしないという意味で絶好調。

2009年2月7日(土)
 10時頃から1時間ほど、例のリコンディショニングセンターに行った。午後から40kmほど北に行ったところにある梅園に写真を撮りに行く、かみさんが半分は運転した。
 夜、服薬して風呂に入り(湯船にはつからなかった)、パソコンで写真の整理をしているときに痙攣が起こった。22時前である。顔が歪む感じがして、なんとかそれを気力で押さえ込み、なぜだかわからないが立ち上がり、かみさんを呼ばなきゃと思って、必死で大声を出したところまでは憶えている。
 ここからは、かみさんから後で聞かされた話 「オーッと呼ぶのが聞こえたので部屋に行くとパソコンを置いてある机の左端に両手をつくようにして硬直が始まっていた。立ったままだと危ないと思ったので、背中を支えて上向きに床に寝かせる。5分以上発作が続くので救急車を呼ぶ。痙攣が治まると、いびきをかいてゴーゴー眠り始めた。救急車の人が処置をしている間、大学病院に連絡をする。この頃には目が覚めていた。自分で歩くというので、前後を支えてもらい、玄関の外のストレッチャーまで歩く。(自分じゃ意識がない)救急車で搬送中にぼんやりと気がつく」
 救急車の中で、何としてでも話そう話したいと思うことがあったので、話してみるが、とんでもないことを言っているので会話が噛み合わなかった。途中で場所を教えられた時もしっかりしていない。どうしてこんなに喋れないのかなと思った。
 救急担当の医師が問診する。初めは、言われていることは理解できるが言葉が出にくい。問診の間に徐々に良くなっていった。
 血中薬物濃度測定、CT(異常なし)、ラクテック注を点滴する(23時30分〜0時30分)。デパケンRを朝3錠、夕3錠にしてみるとのこと。血中薬物濃度の結果は2月12日に聞きに来ることと言われて帰宅。

2009年2月9日(月)
 今日は夕方まで失神しないという意味で絶好調で過ごしていたが、夕食後にデパケンRを飲んだ後で、いきなり失神するような感じになった。10〜15分間続いていたがパソコンの前に座ったときには絶好調にもどっていた。  2月7日の痙攣発作が起きた後の頃から動悸がする。
 前から気付いていたのだが、夜遅くまで動きまわっているときに、次の日に必ず痙攣がおきるような気がする。前日に飲み会で遅くなったことが、関連あるのかもしれないし無いのかもしれない。術前は基本的に12時をまわってから寝ていた。入院中はきっちり9時には消灯される。退院直後は10時台に眠っていたが、このころは11時前半、最近では11時後半に眠るようにしている。

2009年2月10日(火)
 精神科の担当医曰く、発作が起きると脳に悪影響があるのは間違いない。脳外科の先生に薬の量を調整してもらわないといけない。痙攣発作の後2、3日会社を休んだ方がよい。薬の調整ができていたら出張OK。
 前回の極簡単な内容の記憶力の試験は満点だったので、生活に必要となる記憶力は充分あると考えられる。ワーキングメモリの部分が障害されているのかもしれない。
 より複雑な内容の記憶力についての試験があった。より複雑な内容の記憶力の試験と言っても、私にとっては充分易しい内容であった。


夕暮れの石鎚

2009年2月12日(木)
 2月7日の血液検査の結果は、血中薬物濃度は41.3μg/ml。肝機能の値が上がっている。痙攣の後は筋肉中に、この物質が出てくるので数値が上がることもある、とのこと。再び血液検査。
 かみさんの従姉妹の旦那さんが大学病院で薬剤師をしている。たまたま出会った彼曰く、デパケンRだろうとロキソニンだろうと血中のアルブミンと結合する。結合しているときには薬効はない。ロキソニンはデパケンRより結合力が強いので、痙攣発作が起きたということは、フリーのデパケンRが過剰にできてしまったのだろう。デパケンRが薬効のある範囲は50〜100μg/mlなので上限を超えてしまった可能性がある。このフリーのデパケンRを測ろうとすると、ややこしい手順をとらないといけないから、通常は結合・フリー両方とも測ってしまっている。
 ああそうか、12月に痙攣発作を起こした時も2月に起こした時も両方ともロキソニンを飲んだり飲まなかったりしていたから、フリーのデパケンRの血中薬物濃度が大きく上下していたのかもしれない。前回、急性の腰痛があったときには、ロキソニンを飲むのを、すぱっとやめていたから何事もなかったのだろう。

2009年2月15日(日)
 夕食中に頭の後ろがカーッと熱くなり、痙攣が起きるのか気を失うのかという感じがした。顔も紅潮しているので、タオルで冷やす。首の後ろはアイスノンをあてた。少し経つと、また同じような感じがした。入浴直後にも同じことが軽く起こった。

2009年2月16日(月)
 食事中、食後、一瞬クラッとすることがあるが、食事がクラッとすることには関係ないのではないか、と思う。
 昼食後クラッとして、カーッと頭にどうにも説明しようがないような違和感を感じて、15時過ぎに会社を早退した。夕食、服薬直後に軽くクラッと来た。
 手が震えるけれども、震え方は以前よりは軽い。最近150mmHg前後と血圧が少し高め。
 大学病院に電話して1週間早いけれども2月18日に受診の予約をした。

2009年2月18日(水)
 主治医の受診。2月12日の血中薬物濃度は70.03μg/ml。車の運転は、本来なら痙攣が起きないのが1年続いているようならOK。どうしても車を運転しなければならないのであれば3ヶ月は痙攣発作からあけること。ロキソニンと痙攣との関連は、ロキソニンを飲もうと思うような体調変化があるから起こるのではないか。デパケンRで血小板の減少がある(かみさんが過去の人間ドックの結果を10年間分ぐらいメモしてくれていたので判明)アレルギー反応が出ているので薬をアレビアチンに変えてみる。血中薬物濃度が上がるのに数日かかることと副作用が出やすい薬なので、1週間ほど入院して様子を見ながら変える。脳波もこの機会にとってみる。
 実はこのときスマートを手放そうかと考えていた。車の運転は一生禁止と言われるんじゃないかと思って。まぁ3ヶ月経ったら助手席にかみさんを乗せて運転を再開しようか。それで1年経ったら晴れて単独運転だ。
 のどの痛みがあり一日中マスクをつけて過ごした。

2009年2月19日(木)
 一日中鼻水だらだらと、のどの痛みがあった。熱が出ちゃいけないからとロキソニンは37℃台にも関わらず2月22日まで定期的に飲んだ。

2009年2月20日(金)
 近所の医者(例の藪医者ではない)に風邪で受診する。インフルエンザではないから、しっかり養生して治すこととのこと。メイアクトMS錠(100mg)、フスコデシロップ(3.33ml)、本草葛根湯エキス顆粒−M(2.5g)を処方される。

2009年2月27日(金)
 16時頃、失神しそうになり、会社を早退した。その後は程度は軽いが、ずっと長く続く。これは深夜まで続いた。

2009年2月28日(土)
 今日は1日中多かれ少なかれ、あまり強烈ではないが失神しそうになった。
 その後21時頃に相当強烈な失神感が襲ってきた。時間にして1秒ぐらい。

2009年3月4日(水)
 予定していた入院。入院を言い渡されたのが2月18日だから、3月4日までの約2週間がとんでもなく長く感じられた。
 順調にいって入院期間は2週間ということを知らされた。デパケンRが朝夕各3錠に加えて、アレビアチンが朝夕各1錠追加された。アレビアチンは湿疹・肝機能障害といった強い副作用があるので気をつける。
 初期の頃に処方されていたエクセグランは、ベンズイソキサゾール系の新しい抗けいれん剤だ。作用の仕組みについては解明されていない。発作が伝わるのを防ぎ,てんかん原性焦点の抑制などが示唆されている。
 デパケンRは比較的新しい抗てんかん薬で,広い適応症を持っている。脳内GABA(ガンマアミノ酪酸)濃度,ドーパミン濃度を高めて脳内の抑制系を賦活し,痙攣発作を防止すると考えられている。大きい存在感のある錠剤で、Rという記号が付いているのは徐放剤ということらしい。デパケンRは効く時間が限られているので必ず服用時間を守らなければならない。便にそのままの形で、スカスカになった残りかすが出る。
 そしてアレビアチンは比較的古くから用いられているてんかんの薬である。アレビアチンの主成分であるフェニトインは、強直間代発作(大発作)や部分発作に有効。フェニトインの抗てんかん作用は,痙攣閾値を高めるのではなく,発作焦点からのてんかん発作の拡がりを阻止することによると考えられている。

2009年3月6日(金)
 箸を持つ手の震えがいつもよりひどい。特に昼食時に親子丼を食べているときにプルプル震えて、ごはんがどうにも箸に乗らなくて、えーい面倒くさいとばかりに掻きこんでしまった。
 一日中暇である。鞄の設計をしたり、一年半ぶりに(つまり手術で入院していた時以来)オセロゲームをして過ごした。オセロゲームは、かみさんが相手である。今度は勝つぞと思ってやってみるのだが、結局いいところまで行くが惜しくも負けてしまう。


その親子丼

2009年3月8日(日)
 昨晩は向かいのベッドの人が気持ち悪くなって当直の先生を呼んだりして、大騒ぎになって寝不足気味。

2009年3月9日(月)
 昨晩23時頃(病院は21時に消灯)に隣の部屋の人が私の所に入ってきた。徘徊していると思うんだけど、パイプ椅子を借りて寝てやろうかとかなんとか、わけわからんことを言っていた。はじめてナースコールを押した。
 アレビアチンの血中薬物濃度が低いので、朝昼夕各1錠になった。

2009年3月10日(火)
 入院中にもリハビリ。今日は遂行障害に関連した試験を行った。精神科の医師にはメモをとることがいいといわれて、これで機能的には問題なしとされて「卒業」になってしまった。そもそも日常生活に不自由(私も不自由があるから通ってるんだけど)がある極めて重度の患者さんを相手にしているのだから、「卒業」と言われてもしょうがない。
 それがどうしたというんじゃ。わしはもとのように自由に何の問題もなく喋りたいんじゃ。
 まだ失語(会話は複雑な話題以外の話題であればそこそこOKだが)・計算障害(四則演算もスピードが遅く、高度な演算となると訳がわからない)・ワーキングメモリ障害(今言ったことを忘れるというか言葉にできない)・そのほか受動と能動の関係や分子と分母の関係、単位の換算その他諸々がわからないんだけど。
 この頃から夜中に首回りや腕、顔が痒くなる。担当医に相談するが、関係あるかもしれないし、関係ないかもしれない。何か変化があれば連絡すること。とのこと。


病院の朝食

2009年3月14日(土)
 担当医が腕とおなかと口の中に発疹が出ていないことを確認。肝機能の値は正常。血小板18万個/μl(デパケンRをやめていないのになぜかの問いに「うーん」と困っている)デパケンRの服用は朝夕2錠ずつに減らす。アレビアチンの血中薬物濃度はフェニトインとして上下間の幅で低いがまあ入っている(8.5μg/ml)とのこと。
 入院中もずっと、ベースとしての耳鳴りに加えてパルス的に強度の強い耳鳴りがする。1〜2秒ぐらい。

2009年3月16日(月)
 今晩からデパケンRをなくしてみる。アレビアチンだけで様子を見て2週間後に外来で主治医の診察を受ける。


病院の夕食

2009年3月17日(火)
 10時に脳波測定に出かけて。13時に退院。
 脳波検査の時に痙攣を誘発させるために、光の点滅状態など様々な検査をおこなったからかもしれないが、ふらふらする気がする。

2009年3月18日(水)
 なんだかカーッとしてボーっとして、薬が変わったからじゃないかもしれないが、とにかく異様な雰囲気である。これはこの後も2、3日続いてそれから治ってしまった。
 今回の入院ではちょっと期待していたことがあった。それはダイエットになるということ。前回の入院では直前に63kg台だった体重が59kg台まで落ちていたから(ん?摘出したものは4kgもなかったぞ。ま、大変だったからね)、今回の入院でも若干期待していた。でも直前直後で63kg台は同じでも結局ウエストが一回り太ってしまった。

2009年3月21日(土)
 以前から両手の震えが継続している。それとは別に右足、左耳がピクピク震える。
 首回り、額、頬、頭の中、胸にも少し発疹がある、足首あたりは痒いが見た目にはわかりにくい。土曜だったので病棟に行き、担当医がたまたまいたので相談する。薬疹なら顔よりも手足、胸、腹部などにでやすい。見た目には顔の発疹は薬疹とは違って見える。続くようなら皮膚科を受診してもよい。体のかゆみは乾燥や暖かくなることで出やすいので、あまり痒かったら冷やすとよい。乾燥を防ぐローションなどを塗ってもよい。とのことであったが半分は合っていて半分は違うと思う。なぜならこの頃は痒かったけれど、しばらく後になって治ったから。

2009年3月24日(火)
 入院後半から、赤ら顔だったのが治った。
 デパケンRをやめて2、3日後から耳鳴りが感覚的に横軸方向に変化している気がする。同時に、頭を縦に振ると若干気持ちが悪い。以前は、うまく説明できないけれどポツ、ポツ、ポツとイボができているような感じの耳鳴りがしていた。

2009年3月26日(木)
 午前中、数回、失神するのかな、と思うような”キーン”が起きたが何も起こらなかった。耳鳴りと痙攣がおきるのは関係がないと考えることにする。
 血圧が、明らかに今回の入院を境にして10〜20mmHgぐらい下がった。今でも最高血圧は下降状態を続けている。

2009年4月1日(水)
 主治医の診察。トイレでスリッパに履き替えようとして片足を浮かすとき以前はなかったがふらつくこととか、風呂で顔を石鹸で洗うために目をつむってつま先立ちをしているときに以前はなかったが尻もちをついてしまうことなど、最近バランスが取りにくいということと、特に左手の薬指が震えることについて、アレビアチンの過剰摂取による副作用であろうとのこと。適量は血中薬物濃度がフェニトインとして5〜20μg/mlで、3月17日の検査の結果は18.5μg/mlであるから、朝昼夕トータルで3錠から2.5錠に減らしてみる。肝機能の数値は少し高めなので、血液検査で様子を見てゆく。
 脳波の検査結果は、脳を切除した部分の異常はあるがこれは差し障りはなく異常なし。体の痒みは副作用ではない。とのこと。

2009年4月5日(日)
 アレビアチンに変える前からあった、右足がピクピクするといった症状は、頻度が少なくなっている。アレビアチンに変えてから後、左の耳たぶが痙攣することと、頭を縦方向に振ると気持ち悪いのは治った。
 体の痒みはこの後5日間ほど続いたけれども、普通に戻った。痒くない。

2009年4月22日(水)
 主治医の診察。アレビアチンは血中薬物濃度が充分足りているので朝夕トータルで2.5錠から2錠に減らせる。肝機能はOK。血小板は4月1日は16万個/μlから4月16日は14.5万個/μlと減少傾向にあるので様子を見る必要あり。血圧が10〜20mmHgぐらい下がったのはデパケンRとの関連はないかもしれないが、何かあるかもしれない。頭の中がすっきりしている。フラフラしないのは薬との関連があったのであろう。手の震えが減っているのは2錠に減らすことにより、さらに改善されるであろう。とのこと。

2009年4月25日(土)
 4月23日9時頃耳鳴りがひどくしたときから、ここのところ明らかに体調がおかしい。2回目に痙攣発作を起こす前の状況は、はっきり覚えていないが、頭がカーッと熱くなったり、耳鳴りが一瞬止んでから来るぞ来るぞと思っていたらキーンとしたりする、3回目の痙攣発作を起こす前の体調のようにおかしいと思う。でも平気平気、こんなことでは痙攣は起こらない。実際、5月12日の帰宅する時の車中まで続いて治まってしまった。

2009年4月26日(日)
 人から聞いた話を伝えることや、電話で話していたことを伝えることや、テレビで言っていたことが何とか伝えられるようになった。ほんとに「何とか」であるが。
 アレビアチンに変えてから、椅子のキャスターが油切れしているキーキーという音とか掃除機の音とかボールタップからの水音とか、乾いた高周波音に過敏になっている。過敏になっているというより、聞こえてしまうといった方が正しい。

 この時期の高次脳機能障害に関することを振り返ってみるとこうなる。
 高次脳機能障害専門外来では、機能的に問題ないので「卒業」ということになってしまった。うーん、初めからこうなることはわかっていたよなぁ。
 こんな痙攣発作が連続して起きるような大変な時にでも、高次脳機能障害は回復こそすれ悪化していない。この間に、少しだけ苦労しないで、楽に話ができるようになった。もっとも楽に話ができるようになったというのは、難しいこと、ややこしいことは除いてだ。それから人から聞いた話を伝えることや、電話で話していたことを伝えることや、テレビで言っていたことが、ほんとうに何とか伝えられるようになった。



<7.高次脳機能障害という言葉を知った> 000 <目次> 000 <9.そうだ闘病記の執筆をしよう>