13.「 X + 4year 」
<12.「 X + 3year 」> 000000 <目次> 000000 <14.「 X + 5year 」>



 2011年5月にWHOの専門機関であるIARC(国際癌研究機関)が「携帯電話の電磁波が原因で、脳の癌の一種である神経膠腫(グリオーマ)になる可能性がある」と発表した。発癌の危険はコーヒーや漬物などと同程度だというから、まぁちょっと危ないかな?でもどうでもいいやという程度だろう。その後にその研究結果の根拠は薄いという研究結果が続々と出てきたことから、あんまり心配しないでいいんじゃないかなとも思う。そもそも脳腫瘍になるのが10万人に対し12人程度で、そのうち神経膠腫になるのが約30%でしかないのだから、たとえそのリスクが2倍になったところで10万人に対して約7人しかいないということになる。健康な人にとって脳腫瘍になる確率はこんなにも低いんですよっていう気休めに過ぎないということなんだろうな。
 でもなっちゃったものはなっちゃったんだからどうしようもない。なっちゃった者にとっては100%だから。まぁ電話で話しにくい(2011年1月6日に記載)今と違って、癌になる前には携帯は使っていたといっても、そんなにも頻繁に使っていたわけじゃなかったしね。
 それよりも下のグラフを見ていただきたい。これは体重計を新しく買いかえてから15年のあいだずっと付けてきた記録だ。何度か電池を交換したが、まだまだ現役。体脂肪率が表示できるものを買った理由は「めざせ BMI 22 ・ 体脂肪率 15% 」ということ。BMIとはボディマスインデックスといって、体重を身長の2乗で割った値。


BMIと体脂肪率の経過

 1996年7月に購入してから1年ぐらいかけて目標には一瞬到達したが、その後若干上目で推移していた。2000年からBMIが上昇しているのは仕事で体を動かすことが少なくなったから。2003年にBMIが下がっているのは部署が変わったからで部署が変わると何かと大変なことが多いから(2001年にも部署が変わっているのだが、このときは逆に太った)、でその後にずっと同じ部署なのにBMIが増えているのは暴飲暴食のため。2005年になってから、ありゃりゃこんなにぶくぶく太っていたんじゃだめだと気がついて、とりあえず暴飲暴食をやめたらBMIがちょっとだけ改善された。
 2006年の夏には、突然、食べても食べても太らない、かえって体重がどんどん減って行く。あたかも急降下するかのように。この時期にたぶん脳腫瘍ができていたんじゃないかと思う。あくまで推測ではあるが。
 そして2007年の7月に人間ドックでグリオーマが見つかった。それから1ヶ月の間体重が減っている。心配だったから。で、手術して退院後にはBMIと体脂肪率がどんと減っている。それからどんどん回復して、もはや回復とはいえなくなってしまったところでリコンディショニングセンターに通うようになり、今に至る。


それでは例によって日記風に日付を追って回復状態を記述して行こう。

2010年8月25日(水)
 1日中、時々頭が締め付けられるような気がしたり、耳鳴りがしたりする。とても喋りにくい。家に帰ってきたら若干改善していた。
 今日はかみさんの誕生日だ、会社の帰りにケーキを買って帰った。
 2日程前から腰が痛い。最近腹筋運動を始めたので、そのせいかと思っていたのだが、腹がはって尿道に違和感があったりしたので結石かもしれないと思う。右側の筋が特に痛む。尿管結石は頻繁に繰り返している。
 術後、細かいことに固執する傾向があることに気がついていた。でも2011年7月の時点でこの傾向はだいぶなくなってきているから、性格が粘着質に変わったということではないと思う。高次脳機能障害の症状の中のひとつに、細かいことにこだわるようになるというのがあるので、たぶんこれだろう。

2010年8月26日(木)
 1時30分ごろ痛みで目が覚めた。痛み止めのロキソニンと胃が荒れるので胃薬のセルベックスを飲む。朝も再びロキソニンとセルベックスを飲む。1時30分ごろが痛みのピークだった。ロキソニンを飲んだため、1時間ぐらいして、全く痛くなくなった。朝、痛む位置が少し腹側に移動していたが痛むので再び服薬。1〜2時間して痛くなくなったが、かかりつけの病院へ行く。精密検査結果は異状なし、CTは5mmピッチで写真撮影するのでたとえば1mmの結石が写真で撮影した間にあったかもしれないが、血尿が出ていないことからして結石ではない模様。
 それよりも血液検査で肝機能の数値が上がっていることが判明した。GOTの値は68U/L(正常値は9-37U/L)、GPTの値は151U/L(正常値は3-49U/L)、γ-GTPの値は173U/L(正常値は6-71U/L)だから抗痙攣薬の影響かもしれないので大学病院で診察を受けた方が良いとのこと。6月に受けた人間ドックの時は、それぞれGOTが21U/L、GPTが25U/L、γ-GTPが72U/Lだったので、こりゃ大変ということで9月1日に大学病院に予約を入れた。

2010年8月27日(金)
 頻度は減ってはきたが(1日に2〜3回)頭が締め付けられるというか、「おっ」と思うというか、その状態はまだある。まぶたがのしかかるような感じは最近していない。目を大きく開くと突っ張る感じはまだある。
 会社で飲み会があったりする時には、まだ夜遅く出歩いていると次の日に痙攣発作が起きるような気がして心配で遠慮させてもらっている。



残暑厳しき折から・・・

2010年9月1日(水)
 主治医の診察を受ける。血液検査の結果、肝臓の値はGOTが57U/L、GPTが136U/L、γ-GTPが172U/Lと高いまま。別の薬との関係もあるかもしれないがロキソニンとセルベックスしか飲んでいないので関係ないであろう。抗痙攣薬のアレビアチンを飲んでいて、ずっと肝臓の値が安定していて、いきなり高くなることは、ままある。9月15日に血液検査をしてみて下がっていれば良し、上がっていれば一週間ほど入院して抗痙攣薬を変えてみる。エクセグラン、デパケンR、アレビアチンと薬を変えてきて、良く使う薬がこの3種類ということもあり、アレビアチンでなんとかなればなんとかしたいとのこと。

2010年9月2日(木)
 例のキーンが(どちらかと言えば右耳が耳鳴りして一瞬耳が聞こえなくなるのではないかと思う)午前9時頃来た。中強度
 その後、頭が重い感じの後遺症が午後まで続いた。

2010年9月3日(金)
 今日は言葉の出がちょっとだけ良い。
 長女の件でかみさんに「ちぃとだまって聞いちゃれ」と自分の考えをしっかり言えるようになった。今までは自分の考えでも「ちぃとだまって聞いちゃる必要があるかもしれん」と断定的な表現をしていなかった。その反面、「ちいとだまって・・・」という発言をしたのが会社から帰ってすぐの午後7時ぐらいで、午後8時頃にはもう忘れてしまってかみさんに聞いて思い出せた。
 ここ数日、仕事でも文に書いてある以外のことを付け加えられるようになったし、新しい発想が少しずつできるようになってきた。後で振り返ってみると、「なんじゃこんなことか、これじゃあまだまだ発想とは言わねぇよ」ってなるかもしれないが。

2010年9月4日(土)
 結石のかかりつけの病院で、医師にひとつひとつ確実に必要事項を説明することができた。ちょっとだけ長かったけれども、言葉を言いやすいように選んで言った。
 今日久しぶりに術後初めて会社のFさんMさんと会った喫茶店に入ってみた。1階のパン屋さんにはときどき来ていたのだが喫茶店に入るのは3年ぶり。あれまだ3年かという気持ちと、もう3年かぁという気持ちが同時に湧き上がってきた。

2010年9月7日(火)
 今日はなんだか体が軽い。抗痙攣薬のせい?で肝機能障害が起こっていたのが治ったのかな。

2010年9月10日(金)
 言語リハビリ。ST(言語聴覚士)が思いついた地名を当てる。この課題は順々に周りから絞り込んで行かないといけないのに、前回は「インドですか?」とか「エジプトですか?」とか直接地名を言って失敗していたが、こんどは「有名な寺院がありますか」とか「遺跡がありますか」とか外堀から順に埋めるように質問することができた。



秋晴れっ!

2010年9月15日(水)
 主治医の診察。血液検査の結果、肝臓の値はGOTが59U/L、GPTが77U/L、γ-GTPが139U/Lだった。正常範囲ではないが下がりつつあるので、抗痙攣薬アレビアチンのせいではない。一時頻繁にできていた喉の奥の膿栓ができる(これができると口が思いっきり臭い)ことと肝臓の値が高いこととは無関係。何かおかしなものを食べたら1〜2ヶ月は数値が上がることがある。今年の8月19日にランチを外食していて「ゆきのした」の小さな葉っぱを食べた。ほんとは生で食べるもんじゃないそうだけど。それが怪しいんじゃないかとかみさんは言う。
 ここ2〜3日朝ちょっと寒気がする。そして微熱があるような感じがする。今日は15時頃体温を測ってみたら36.0℃と平熱だった。

2010年9月17日(金)
 ねむい。一週間ほど前から。睡眠時無呼吸症候群の症状かもしれない。寝るときにマウスピースを使った治療を行っているのだが、そのマウスピースの上側の歯の部分が簡単に外れるようになってしまっている。数ヶ月前から続いているのだが、このところ外れ方がちょっとひどい。
 今日は、ことばが、やさしい表現で、いや言いやすい表現で、しゃべれる範囲が若干広がったという気がする。定例で開催される会議の場で1年前はこれほど回復していなかったと感じる。今年の1月ごろに、ある商品のクレームが起きた時にはクレーム解析が全然できなくて、まさに言いなり状態だったのが、今回起きたクレームではじっくり解析できるようになっている。そんなに頻繁にクレームが起こるってぇのは、あんまりほめられたもんじゃないけどね。
 まだ完璧とまでは到底いえないが、冷静に考えてみると確実に回復している。

2010年9月20日(月)
 ねむい感じがするのは2007年10月7日に感じていた状態と同じ。頭は冴えている自分がいて、どうしようもなく眠い自分がいるといった感じ。主治医に寝不足になると痙攣が起きるかもと脅されているからなおのこと心配。
 3日間横向きで寝てみた。長時間寝ているから(17日23:00〜8:00、18日23:30〜7:30、19日23:30〜8:00)というのもあり日に日に眠さは改善されている。でもまだねむいことに変わりはない。相変わらず耳鳴りはしている。
 数日前から頭の右側の傷口が痛む。

2010年9月27日(月)
 土曜日に歯医者へ行ってマウスピースの修理をしてもらってきた。どこをどう直したのかというと、上の歯が自然に外れるようになっていたのを、奥の方左右2ヶ所ずつオーバーハング部に樹脂を盛ってもらった。!?盛ることができるんだ〜、てっきり作り換えるんじゃないかと思っていた。そして夜寝てみる。快適、翌日もねむくない。

2010年10月6日(水)
 主治医の診察。肝臓の値はGOTが25U/L、GPTが46U/L、γ-GTPが117U/Lに下がっていた。肝臓の値が悪かった原因はわからないとのこと。次回は1月12日。春にMRI検査。
 肝臓の数値が上がっていれば一週間ほど入院して抗痙攣薬を変えてみることになっていたのだが、入院しなくて良くなった。

2010年10月12日(火)
 今日、はじめて会社で軽口がたたけた。



岬の風景

2010年10月22日(金)
 右側の傷口が昨日あたりから痛む。昨日は痛みの10段階評価で強度3〜4、今日は1〜2でむずがゆい程度。
 最近、会議の場で大きな声で会議をリードしてゆけるようになった。ちょっとだけだけど。ま、性格が悪くなったともいえるのだが・・・これは注意して笑顔になるようにしている。

2010年10月29日(金)
 今頃、質問をされて答えるときに納得のいく答えができるようになってきた。まだ半分ぐらいだが。あとの半分はなんだかおかしいなと思ったり、必要な言葉が出てこないで出てくる言葉を使ってまとめるので、なんかへんなことになっているとか、いい加減に話を答えるべき内容からすりかえて(ごまかして)言ったりしている。

2010年11月5日(金)
 このところ通勤時にやっている例のナンバープレートの数字を足し算してゆく計算で、間髪を入れずに答えがいえるようになった。

2010年11月8日(月)
 通勤時に英語のCDを聞いている。が、手術後の入院中に「復唱することは単にオウム返しに言っているだけ」ということを言っていたが、それと同じ。ただ短時間に憶えていてそれを復唱しているだけのような気がする。それが証拠に今言ったことが思い出せない。体系的に理解することも難しい。
 今日はことばが出にくかった。

2010年11月10日(水)
 常に感じていることだけど、ときどき頭の中にどうしようもなく違和感があるのを感じる。フラッとするというのかキーンとするというのか、言葉でいい表せないが。

2010年11月17日(水)
 今日は頭が軽くしめ付けられるような感じがする。
 飛蚊症は2007年の脳腫瘍の手術前と同じ悪い状態のまま。

2010年11月19日(金)
 今日はしゃべりにくかった。頭では感覚的に理解していても言葉に出して言えない。頭の中でも言葉が思い浮かばない。
 頭が軽くしめ付けられるような感じがするのは治った。

2010年11月23日(火)
 天気が良いときも悪いときも傷口は痛んだりしない。どうも気圧の変化とは関係なさそう。退院してからすぐに気付いた。
 今日の朝起きてすぐに例のキーンがきた(中強度)
 去年の今頃と比べてずいぶんと頭の中がすっきりはっきりしてきた。



紅葉の季節が来ました

2010年11月30日(火)
 まだ皮肉は言えない。

2010年12月3日(金)
 擬人化した表現がまだしにくい。そのくせ一度口に出して言うと何度でも言える。
 術後、記憶がはっきりしていないときに行なったことは忘れている。術前の、記憶がしっかりしているときのことはどんどん過去のことになっているから思い出しにくい。いつもなら(失語症になる前の正常なときなら)当然記憶できていることを忘れている。

2010年12月4日(土)
 リコンディショニングセンターのスタッフに話す言葉がだんだんと長文になってきたと思う。かみさんは、ここ1ヶ月程あきらかに変わってきたという。なにが変わったかというと、問いかけに対して反応が良くなったのと微妙に話す内容も変わってきたとのこと。

2010年12月6日(月)
 個々のことばの発語は困難なことにかわりがないが、ことばの幅が広がってきていると思う。

2010年12月10日(金)
 今日は予約してあった大学病院の眼科受診。例の緑内障の視野検査を行った。片目ずつ行うのだが、ランダムに光る点が出てくる。光の強度は強く光ったり弱かったりする。近辺で4つ見にくい点がそろうと緑内障と判定される。ばらばらに3つはあったが、現時点では緑内障ではないと考えられるとのこと。眼圧も14mmHg。私からは眼鏡のアイポイントを調整してもらったら目がかすむことに関してだいぶ良くなったと報告。
 言語リハビリに行ってきた。経過報告をする。



ショルダーバッグを作った

2010年12月15日(水)
 最近会社で、うまく説明ができなくて、もどかしく感じられることが多い。
 術前に習慣になっていた、朝出勤する時に、かみさんの頭を軽くポンと叩くようにしていたのを復活させた。これは思い出したのではなくて、そこに頭があったからというか体が憶えていたからということ。

2010年12月20日(土)
 右首の後ろ側のリンパ節から右肩のこりがひどくてロキソニン服用。ロキソニンを飲むと、痙攣がおきるんじゃないかと思って不安になる。

2010年12月22日(水)
 まだ、あせったり急に話すことになったり、反論したりするときには、ことばがたどたどしくなる。今日は言葉が思いつかずに黙ってしまうことがあった。いつもはなんとか話しやすい言葉を探して言っている。
 今までは話を早く切り上げよう切り上げようとしていた。それが話を早く切り上げようとすることが少しだがなくなってきた。じっくり話ができる。少しだけだけどね。
 時間の見積もりがまだできない。鞄の作業があとどれぐらいかかるのかとか、新開発の製品においてどれぐらい残っていてどの日程で行うべきかなどわかりにくい。要するに全てにおいて包括的な判断ができにくい。ま、少しずつできるようにはなって行っているのだが。



Merry Christmas

2010年12月29日(水)
 頭の中にえもいわれぬ違和感がする。耳鳴りがしていて急に止まるというか変化する。キュッと締め付けられるようになる。日曜あたりがピーク。

2011年1月6日(木)
 以前勤めていた会社の同期の奴から昨日久しぶりに電話がかかってきた。一昨年喪中のはがきが来ていたので今年の年賀状に闘病記を書いたという話をしたためて送ったら、さっそくこの闘病記を読んでくれたらしく、それで電話がかかってきた。
 相変わらず話が長い。長電話と、なんか喋らなきゃいけないということでシャツが冷や汗でぐっしょり。同期なのに「はい」「はい」とか「〜なったんですか」とか目上の人に対するような話し方にときどきなってしまう。話す内容には納得していないが、せいいっぱい話した。でも電話で話すのは苦労する。昨日今日と会社でも電話でややこしいことを説明しなければいけない場面があった。説明するときに納得していないのはわかっているのだが、それ以上に言葉が出にくくて詰まってしまう。ここ数ヶ月の中で考えてもちょっとひどい。心がくじけかけとはこういうことを言うのだろうか。投げ出したいと思う。でもすぐに復活する。
 頭が絞めつけられるとか、いつもしている耳鳴りがひどくなる頻度は2〜3時間に1回。ここのところ同じ状況。

2011年1月11日(火)
 今日は頭の右側の傷跡がズキンズキンと痛かった。頭のてっぺんに水がたまっているかのように皮がずれてパチップチッということが感じられるのは、このところ頻繁になった。顔を洗った後でタオルで拭くときは常になる。

2011年1月12日(水)
 主治医の診察。最後に痙攣がおきてからもうすぐ2年になるが、痙攣止めのアレビアチンはまだ当分の間飲み続ける必要があるとのこと。耳鳴りが突然大きくなったりすることは原因はよくわからないとのこと。私が手術時に撮影したビデオをコピーさせてもらえないかといったら、コピーして渡すことはできないが、もし見たいのであれば主治医の解説付きで抜粋して見せてあげても良いと快く言ってもらえた。ただしスケジュールもあるので当分の間はダメ。先生から連絡をくれるとのこと。
 今日は言葉がよくでる。よく出るとは言っても、直接言いたいことがいえるのではなくて、迂回して話せるということ。
 テレビのニュースに高次脳機能障害の人で体も不自由な人が登場した。つい、私も体が不自由であればリハビリ中だと周りからもわかってもらえて便利だったのになぁと言ってしまった。



WindBirdと呼ばれるモニュメント

2011年1月13日(木)
 会社の同僚と久しぶりに車で二人きりになることがあった。半年ほど前に他社を訪ねた時以来だ。で半年前と比べて失語症の状態が改善されていると彼も言っていたし、自分でもそう思う。でも術前の私は、彼曰く心の中を見透かされているような気がして「あ、これを言ったらこう言われるかもしれない。・・・やっぱりな〜」と感じていたのだが、今はそれがないそうだ。直接言いたいことが言えずに、迂回して回り道をして表現しているという話題の時にこの話は出た。

2011年1月14日(金)
 今日は少しだけ階段を1段だけ上がったような進歩があった気がする。水曜日ごろから感じていた。言いたいことが直接言えるし、冗談も言える。複雑な言い回しもできる。ちょっとだけだが。仕事の面でも指導性が向上したと思う。でも総じて言うとまだまだという気がする。

2011年1月22日(土)
 言いたいことが、より鮮明に頭の中に浮かんでくるようになった。実際に口に出して言えるときもあれば言えない時もある。

2011年1月24日(月)
 耳鳴りがひどい。

2011年1月26日(水)
 ここ数日かみさんに、そのときは言葉に出して言えなかったけれども、後になってから言えたこととか、後になっても言えないこととかを意識して話すようにしてみている。

2011年1月29日(土)
 昨日から風邪気味。かかりつけの(やぶ医者じゃない方の)病院を受診。ただの風邪でインフルエンザではないとのこと。でも発病から半日しかたっていないのでインフルエンザの試薬は反応しないこともあるとのこと。
 併設されている薬局で、名前の確認をされて、インフルエンザではないと言われているのに、先生から薬が処方されているからといって早い方が良く効くからということでその場でタミフルを飲まされた。後で確認したところ間違いだったことが分かった。薬剤師平謝り。その後で、うちにまで電話してきて体調に変わったことがないかとまたまた平謝り。まぁ体調がって言われたって風邪ひいて熱が出てるんだけどね。

2011年1月31日(月)
 今日は熱があるので会社はお休み。
 結局インフルエンザA型だった。一昨日病院に行ったときにうつされたのか、はたまた発病から間がなかったから試薬が反応しなかったのかさだかではない。追加でタミフルと頓服としてカルジール錠を出された。

2011年2月2日(水)
 昨晩から発疹が出る。かゆい。
 かかりつけの医者に行く。薬など色々と発疹の出た原因を考えてくれたあげくに、私が解熱剤が怪しいんじゃないかというと、医者がカルジールの成分はアセトアミノフェンだがPL顆粒にも同じ成分が入っているからこれじゃないかということになった。PL顆粒は2008年4月14日に使用して発疹が出たことで、かかりつけ医を変える原因となった薬だ。今後タミフルを使用するときにはロキソニンかレトラックを解熱剤として出してもらうようにせよとのこと。ロキソニンもレトラックも非ステロイド性消炎鎮痛剤だが、タミフルと併用した場合にインフルエンザ脳炎・脳症との因果関係がはっきり証明されていないため、使用できないことになっているが、そうもいっていられないほど痒い。

2011年2月6日(日)
 どうしても伝えなければならないことしか会社でしゃべらないというのは、こんなにも話すことが少なかったのかと思う。どうでもいいようなこととか、伝える必要がないことも、今はしゃべれるかもしれない、やってみよう。特に会社で。



ただいまの高さ 594m

2011年2月10日(木)
 かみさんが「新聞取りに行ってくる」「ゴミ捨てに行ってくる」とか、ちょっと外出した時(マンションなので)の、誰か尋ねてきたらどうしようかという不安が、いつの間にやらなくなっている。
 術後しばらくの間は、あせって早く術前の状態にもどりたいという思いが強くあったが、ここ半年から1年ぐらいは、のんびり構えて、やれることと今はまだやれないことがあるんだからと落ち着いて思えるようになった。
 現状は、計画が立てにくくなっている。時間に対する見積もりができなくなっている。例えば、この鞄はあとどれくらい作業したら終わるので○日ぐらいには出来上がっているはずだとか。新製品の発売間際になって慌てるとか、金額に関しても見積もりすることができない。要するに時間と空間に対して見積もることができにくくなっている。
 二重否定が良く考えないと理解できない「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」という槇原敬之の歌も、ちょっと考えなければわからない。でも良く考えればわかるわけで、全然わからなかった頃に比べれば、ずいぶん進歩していると思う。

2011年2月13日(日)
 久しぶりに西へ80km程離れたところにある港街へ行ってみた。術後すぐ2008年3月頃にも来てみたが、そのときよりかなり頭の中がすっきりしていることに気付いた。まだ完全にすっきりしているのではないが、あくまでも相対的にということ。昨日よりは今日、今日よりは明日という具合にだんだんと良くなって行っているからわからないが、こうして以前来た時と現在とをくらべてみるとよくわかる。
 帰りの車の中で高速のインターをおりる前ぐらいから、頭がなんとも経験したことのない違和感がした。ふらっとするというか、いやーな感じがした。車の中で休んだ後も嫌な違和感がしていた。風呂に入ったら治っていた。

2011年2月20日(日)
 数日前から言葉が出にくい。


大きなトートバッグを作った


2011年2月24日(木)
 今日会社の会話を振り返って考えてみた。2010年6月9日と比べて「えーっと、えーっと」っていうのが圧倒的に減っている。かみさん曰く「この頃、余裕を持って喋っているように感じられる」
 最近言葉の調子が良いことにくわえて、例の通勤時に行なっているナンバープレートの数字を単純に足し算してゆく計算が早くなったことと、自信を取り戻す兆しがやっと見えてきたこと。
 自分自身では、もっと喋れているつもりだったが、まだこんなもんかというところ。

2011年3月6日(日)
 2月21日頃から春めいてきたこともあり、なんだか、よしやるぞ、なんでもやってみようという気になってきた。
 ひどく頭が締め付けられるような気がするのは、頻繁に(1日に数回から、起きないこともある)起きてはいるのだが、一時よりは気にならなくなった。これは痙攣の起きる前兆ではないと理解したから。

2011年3月10日(木)
 今日は帰社するときの車から、ちょっと調子が良くなかった。どう良くないかというと、今まで感じたこともないような違和感が頭の中にある。痙攣発作の前触れじゃないかと思う。耳鳴りがひどいのはもう平気だけど、それでも日に数回起きていることに変わりがないが。
 会議で、個々の話題が、そのものずばりの発言はできるが、あれこれ入り混じっている話の時には、まだ「関係ないことはしゃべるな」とはいえない。その場で切り返すことがまだできない。後でじっくりと考えてみてようやくわかる。その反面、仕事での談笑ができるようになってきた。
 まだ長い話をすると緊張する相手でもないのに汗が出る。敬語を使う必要がない場合でも敬語を使って話すという問題は、開発部のメンバーなら問題が少なく、敬語を使って話すことはほとんどなくなったが、その他のメンバーはまだ語尾が敬語になってしまう。

2011年3月11日(金)
 東日本大震災があった。被災地の方たちに心よりの復興をお祈りします。
 ボランティアに行くことはできないが、少しでもできることがないかと思い、初期の頃は被災地で必要としている物資を送らせていただいたり、義援金を出させていただいたり、それからその後は産業復興にと被災地の品物をお中元などの贈り物にしたりしていた。しかし、そうだ革鞄や小物を販売して売上金の一部を「国境なき医師団」(東日本大震災の緊急援助は終了したとのこと)とか「あしなが育英会」などの民間団体に送って役立てていただこうと思い、革鞄のホームページの臨時のお知らせとして http://akatsuki.a.la9.jp/K/Kt.html を作らせていただいた。政府関連の義援金は配布も分配方法も滞っているので、民間団体に直接寄付した方が役立つだろうと思って。

2011年3月22日(火)
 朝、右側の首の付け根あたりに頭痛。昼には治っていた。おおかた痛み止めを飲もうかなという痛さ。実際には飲まなかった。昼、会議中に今までにないような右耳が聞こえなくなるような感じがした。いままでキーンと来たりしたのも右側。

2011年3月23日(水)
 今日夜久しぶりに傷口が痛む。右側頭部の傷口から5mm程離れた白く膿がたまっている小さいプチッとしているところ。
 だいぶ失語症は治ってきている。いままでは会議をリードできにくかったのが、最近できるようになってきた。まだ複雑なことを説明しようとすると言葉に詰まるのだが。これはイメージできてはいるのだが言葉に出せないというのと、初めからイメージすらできないというのとが、ごっちゃに起こる。言えると思っても言えない。一旦言葉にできたことにとらわれて何度でも繰り返し言ってしまう。



なんだかジョーズを思い浮かばせる雰囲気だなぁ

2011年3月25日(金)
 午後から言語リハビリに行ってきた。STは語尾が丁寧語、敬語になってしまうというのは聞いたことがないとのこと。でも実際はなってしまうんだけど・・・もしかして失語症になった初期のころに、STに丁寧語で話していたからかもしれない。
 リハビリを初めてすぐの頃といえば、絵が書いてあるカードを見てグローブの絵が書いてあれば「グラヴ」と、自転車の絵が描かれたカードであれば「バイシィクゥル」と英語の発音になっていた。バイリンガルの人が失語症になると、後で習得した言語が回復初期に出てきて、それからだんだんと戻って行くこともあれば母国語は戻らない例もあるということが最近読んだある文に書いてあった。私はバイリンガルには到底及ばないが、それでも成長した後に獲得した言語が先に出てきたということが充分考えられる。

2011年4月4日(月)
 職場に置き傘をしている。2008年1月頃に術後職場復帰して初めて雨が降ったので置き傘を使って、改めて会社に置き傘を持って行ったときに勘違いして黒い傘を持って行った。その日は一日中雨が降っていたので、もう一度置き傘を持って帰ろうとした時に、同じような黒い傘がいっぱいあって迷ってしまった。この頃は判断力もしっかりしていなかったので、これは違うあれも違うとなって最後に2本残って、自信はなかったけれどもそのうちの1本を持って帰って、iPodに付いていたリンゴのマークの白いシールを目印に柄の部分に貼った。それが今日になって実は置き傘にしていたのは深緑のチェックの傘で柄の部分に「DD-BOYS」のシールを貼ってあった物だと思いだした。この「DD-BOYS」のシールは単車のクラブの名前で20年ほど昔に友人からもらったものだ。
 術後すぐの頃は、毎朝顔を洗うのに石鹸を使用していたかどうか忘れていたし、ボールの投げ方も忘れていたし、スキップのしかたも忘れていたのだが、もうすぐ4年がたつ頃になって一般生活のなかでもこんなことを忘れているんだなということに驚いた。もっと他にも忘れていて気が付いていないことがあるのかもしれないと思う。専門知識についても前にも書いたように、頭の中で言葉のインデックス付きの引き出しにしまっていて、あるきっかけがあるとその引き出しを開くことができる反面、きっかけがあってもどんな言葉でインデックスが付いているか思い出せないから引き出しを開くことができないということも実際にはあると思う。



ビジネスバッグを作った

2011年4月20日(水)
 大学病院でMRI検査をしてから主治医の診察を受ける。再発なし「今のところ、だいじょうぶ」とのこと。う〜ん「今のところ」ってところにひっかかるが、ひとまず良しとしよう。術中のビデオを見せてもらう件は、特殊な形式でファイルされているから、データ変換する必要があるのでちょっと待ってほしいとのこと。

2011年4月27日(水)
 今日午後から言葉がちょっとだけよく出る。階段をさらに一段上がったような気がする。

2011年4月28日(木)
 言葉がしゃべれるという思いから、ほんとはまだしゃべれないのに言ってみては詰まるという繰り返しだった。
 オーストラリアだかニュージーランドだかの公的機関が出しているwebサイトの記事を日本語訳したもの(どこだか忘れてしまった、こんなことなら「お気に入り」に登録しときゃよかった)を見ると、痙攣発作が起きるときは高次脳機能障害で障害された神経線維が迂回路を形成しているときに、繋ぎ間違いが起こることが原因だと書いてあった。かみさんの言っていた通りだ。
 痙攣発作が起きている15分から20分の間は意識を失っているのでどうしようもないのだが、その後の失語症の症状は、1時間くらいは相手から話されてもどう答えていいものか、こんなにも喋れなかったかな・・・という状態になるが、あとは普通の状態(これは普通とは言わないのだろうが、とりあえず今まで回復してきているという状態)に戻る。
 痙攣がおきると脳の一部に傷ができて、失語症は悪化することはあっても良くなることはないと病院の先生から説明されているのだが、そんなことは本人には一向に感じられない。それよりも3ヶ月の間車の運転ができないとか、そのあと1年間は、かみさんと一緒に出勤しないといけないことから面倒くさくてしょうがない。この何ヶ月間という期間は私とかみさんで決めたこと。かみさんは一緒に出勤できるということでニコニコである。

2011年5月6日(金)
 いままでは、紙に書いてある通りに読んでいたが、例えば「○○、○○、○○の可能性がある」というように同じ内容は一項目ずつ別々に書かれていたとしても、まとめて話せるようになった。

2011年5月8日(日)
 昨日、久しぶりに最大級の「キーン」がきた。今日も少しだけ小さいのがきた。
 私の街では市内を路面電車が走っている。数年前から新しい車両を少しだけ導入しているが、一般市民から募った言葉をその車体側面に書いて走っている。その中で私自身の気持ちを代弁してくれているような言葉があった「気にせん、気にせん、なんとかならい」

2011年5月19日(木)
 先日来(4月27日頃から)言葉の調子が良い。高次脳機能障害も日に日に良くなって行くのがわかる。うす皮を一枚一枚剥がすように、ちょっとだけではあるが。
 最近仕事をしているときに意識して「他には、他には、他には」と考えてみるようになった。これは目の前のこと以外思いつかないということを克服するため。



財布を作った

2011年5月31日(火)
 夕方から頭の後ろの右側の骨から外の皮膚が痛む。今回は風呂に入っても治らなかった。翌朝になったら治っていた。
 最近、ことばが話せる幅が広がったと思う。
 2009年4月に痙攣止めの薬をアレビアチンに変えてから、椅子のキャスターが油切れしているキーキーという音とか掃除機の音とかボールタップからの水音とか乾いた高周波音に過敏になっていたのだが、気付かぬうちに気にならなくなっていた。たしか半年前までは結構耳障りだったと思う。

2011年6月13日(月)
 親友が死んだ。劇症肝炎だった。

2011年6月19日(日)
 今の高次脳機能障害、特に失語症の症状を忘れるといけないのでまとめてみる。
1. 頭ではそれ(その動作など)が何だかわかっているのに、言いたいけれどもいえない。初期の頃にはこういうことが多くあったが。最近では少なくなってきた。
2. それをどう言っていいのかわからない。ど忘れのひどいようなもの。その単語をどういう風に言い表したらいいのか思い出せない。
3. 忘れるようなことじゃないのに忘れている。それが何かのきっかけで思い出すことができた時に、初めて忘れていたということに気付く。
4. 緊張の糸が切れると、理解できない。
5. 抽象的な話題になると、頭が真っ白になって意見を言おうとしても思いつかない。
6. テレビが付いているときとかには気が散ってしまう。またテレビを見ているときには他のことを考えることができない。複雑なことを並行して進めにくくなっている。
7. まだ単位の換算が難しい。これは分子と分母の関係が理解できにくいというのと同じだろう。簡単な計算でもできにくくなっているのと、複雑な計算も式の意味がわかりにくい。しかし、時間をかければなんとか理解できるようになってきた。
8. 手先の器用さが、まだ完全には戻っていない。
9. 文章を書くのに時間がかかる。言葉が思いつかないというのもあり、改善されてきているとはいえ時間がかかってしまう。
10. 時間と空間に対して予測ができ難くなっている。わかりやすく言うと、おおざっぱな見積りというものができにくくなっている。

 理解力が良くなったとか、判断力がついてきたとか、指導力が回復してきたとかこの闘病記に書いてあっても、あくまでもその時点での理解力・判断力などの評価になっている。後になって、「あの時こう思っていたけれども、まだまだこんなもんじゃない」と思うかもしれないが、じわじわ改善されてきているのだから、しょうがないっちゃしょうがない。

2011年6月21日(火)
 昨日と今日は1年ごとに受けている人間ドックと、3ヶ月に一度になった言語リハビリである。
 言語リハビリでは、生涯学習センターで行われる高次脳機能障害支援拠点機関講習会の情報を得た。
 もし4年前の人間ドックで脳腫瘍がみつからなかったら今頃はひどい状態になっていた、もしかするとこの世にいなくなっていたかもしれないと思う。脳ドックを勧めてくれた、かみさんに感謝。



あじさい

2011年6月25日(土)
 夕食時に缶ビールを2本飲んでから椅子に座ってテレビを見ているときに、右目の視野の中に焦茶色のでかい虫みたいなものがあるのに気づいた。飛蚊症のような症状で、もっとでかいやつが中心から右上の視野の中にいる。最初は奥行きがあって(?片目だから奥行きは感じないはずだぞ)右を向いたときと左を向いたときに上部の塊が右の奥にあるものが左の前にあるものに動いてきて重なって、しかもしっぽがひらひらしている。
 かみさんが、夜間診療センターと救急担当の病院に電話する。網膜剥離であれば視野がバッサリ消えるか墨が流れたようになるとのことで、今晩は様子見することになった。あす救急担当の病院が日曜もやっているとのことで受診することにする。

2011年6月26日(日)
 予定していた病院を受診する。硝子体膜が剥がれたことによる出血が原因とのことであった。視野の中のゴミが増えたら網膜剥離の恐れがあるため即受診することとのこと。
 その時に撮影した写真が下の写真。上側の写真は左下に出血しているところがあるのがわかる。虫は右上に見えたが実際の網膜上では左下にあるという位置関係になっている。下側の写真は上側の写真の赤い線があるところをぐるっと引き延ばして横から見ている状態で、白く何重にも層になっているところが目の外部と内部を仕切っている部分で、その上側にあるのが硝子体だという。その膜の右側1/4のあたりに黒いものがあるのが出血で、その上の硝子体の中に白くもやもやっとしたものがあるのが虫の正体である。



右目の状況

 この後部硝子体剥離は誰にでも歳をとると起こるのだが、若い人でも近視の人には起こりやすいといわれている。特に目の前に閃光が走る光視症(硝子体が網膜を引っ張る際の刺激が視覚信号として認識されることによる)があると起こりやすいと言われている。
 この光視症は脳腫瘍の手術直前に飛蚊症が起きた時の、ずっと十何年も前から起きていたのでこれが普通かなと思っていた。それが脳腫瘍の手術をしたことをきっかけに(実は飛蚊症が起きたことがきっかけだったのだろう)すっかり治ってしまっていた。それで脳腫瘍に関連しているのかなと思っていた。1年ほど前に、ちょっとだけ光視症の症状が現れてそれが時々続いていた。光視症は、今日webで目の異常について検索していた時にその言葉自体を初めて知った。もう剥がれてしまったから光の存在は感じられないけどね。
 昼寝をした後で、ひらひらするしっぽは固定されていた。

2011年6月29日(水)
 最近はちょっとだけなめらかにしゃべれるようになった反面、時々、言いたいことはわかっているのだがそれを言えないので、沈黙してから回り道をして言うというようになる。これを迂回表現という。
 「例えば○○のように」という例え・例文が言えるようになった。新商品や鞄の新構造の発想が少しずつ湧くようになってきた。

2011年7月2日(土)
 右目の虫のその後は、より上側に移動して色も薄くなってきて、空とか白い壁とか明るい色のバックを見なければほとんど気にならなくなってきた。

2011年7月8日(金)
 今日、帰宅直後に強烈な「キーン」がきた。
 まだ交渉事は無理。相手の気持ちになってとか、相手の出方を探りながらとか、中間地点を着地点に設定して双方が歩み寄るとか、わかってはいるのだがうまくいかないことがほとんど。自分が思ったことをストレートに一方的に言ってしまうから。

2011年7月9日(土)
 生涯学習センターで開催された、高次脳機能障害支援拠点機関講習会に行ってきた。講演内容が変更になっており、失語症に関する内容ではなかって残念であった。それでもリハビリテーション医学の教授が、「高次脳機能障害」とひとくくりに言ってしまいがちになるが、個々の患者の個々の症状に応じた対応をしなければいけないと言っていた。まさしく同感である。
 この講演の内容の一部のパワーポイントは、一見普通に見えても社会生活や職業生活にもどると、長い話が頭からこぼれてしまう・頭の切り替えができない・複数のことを並行して処理できない・周囲の変化についていけない・お決まりの反応をしてしまう・思いつく選択肢が乏しいなどとあった。だいぶん改善してきたけれども思いあたる症状ばかりだ。

2011年7月17日(日)
 今日は日本病院脳神経学会が私の街で開催されたのだが、その併設の市民公開講座に行ってきた。ゴッドハンドのデューク大学の福島先生も講演していた。

2011年7月20日(水)
 大学病院で主治医の診察があった。痙攣止めのアレビアチンは当面続けること。手術中のビデオを見せてもらう件は、前回と同じでデータ形式を変換しなければならないからと言っていた。まぁ3ヶ月に一度催促するだけだから、だめじゃなこれは。

2011年7月21日(木)
 社内の人に商品の説明をしているときに再認識したのだが、話し始めはどんなことを言おうかとある程度考えているから調子が良いのだが、長くなってくると途端にたどたどしくなる。ひと通り説明したと思っても肝心なことが抜けているし、質問してもらわなければ答えられない、質問をされるとそのことに対しては答えられる。これは職場復帰してしばらくしてから気が付いていた。



カメラバッグを作った

2011年7月30日(土)
 最近、それがなんだかわかっているのだが言葉に出して表現できない時に、1、2秒間だけ沈黙してから、その言葉を見つけて言うことができるようになった。それでも言葉が思いつかない場合には、今まで通り納得しない表現を使って話を続けるか、あるいは話を変えてしまうかどっちかにしている。

2011年8月2日(火)
 今日は他の部署との会議で(失語症のことは一人は知っているが他の三人は当然知らない)、静かにゆっくり話していることも幸いして、完全に言葉に障害がないふりをして発言できた。その後で失語症のことを知っている同僚とだけで世間話をしていた時には、冷汗びっしょりになった。一生懸命しゃべっているから涙が流れる。でもあくまでも私の感じとして、ほんのちょっとだけ以前のように朗らかにすることができたと思う。いつもは言葉がしゃべりにくいのと、しゃべると議論することになり、即座に対応できないからという理由で無口になっている。

2011年8月5日(金)
 昨日会社にいるときの夕方から頭頂部に近い右側の傷口のそばのプチッと赤くなっている部分がずきずきする。結局、朝起きても治らずに出社してからしばらくすると治っていた。

2011年8月9日(火)
 今日は朝から傷口がなんかへん。まず午前中に左側の傷口がずきずき痛む。午後から耳が一瞬聞こえなくなるほどの耳鳴りがして、その後に傷口全体が痛む。左側開頭部に痛みがあるのと、ずっと以前に感じていたような頭にのしかかるような違和感がある。
 常に傷口は痛いのだが気にしないようにしていて実際にも気にならない。傷口が痛いとか書いているのは、そんなこと言ってられないような痛みの時だけ。
 今日に限ったことではないが、ここのところ表現する言葉が本当は私は納得していない表現で口に出すことが多いと感じる。その他にも、他人が誘導して言ってくれたりする言葉をそのまま口に出して言い、それが自分が思うことであれば良いんだけれども、思いもしないことであってもついつられて口に出して言ってしまう。その場合には気をつけて、その言葉をさえぎってから自分の考えを言うようにしている。その時に、自分が納得していない表現になると、う〜ん困ったもんだなぁ。



沈下橋

2011年8月23日(火)
 今日で脳腫瘍の手術から4年が経過した。今年は「まだ4年しか経っていない」とは思わなかった。「今のところ」脳腫瘍の再発はない。失語症をはじめとする高次脳機能障害の症状は、この1年の間にも良くなったと思う。どのくらいが普通なんだか決まっているわけでもないのだろうが、前半の約半年間はそうでも無くて、後半の約半年間は相対的に良くなっていっていることが実感できたと思う。
 洪水が来て川の水かさが一時増えて水没しても、水が引けばまた何事もなかったかのように顔を出す、四万十川の沈下橋のようになれることを願っている。(大洪水だと橋の崩壊があるかもしれないけどね ^^; )



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