14.「 X + 5year 」
<13.「 X + 4year 」> 000000 <目次> 000000 <15.「 X + 6year 」>



 手術から5年が経過した。
 「2.青天の霹靂」で、5年後にはこの世にいなくなっているかもしれないなと感じた、手術直前に買ったカメラのレンズの5年間保証期間を過ぎてもまだ生きてる ^^;
 下のグラフを見ていただきたい。同病の人には残酷なデータかもしれないし、もうこんなことは知ってるよといわれるかもしれないが、5年生存率は神経膠腫全体では38%だ。その内訳はGradeUの星細胞腫が66%、GradeVの退形成性(悪性)星細胞腫は23%、GradeWの神経膠芽腫は6%程度らしい。私の場合、中心部はGradeVだったので悪性星細胞腫ということになる。幸いまだ再発はない。

累積生存数と生存期間の関係

出典:がんサポート情報センター
http://www.gsic.jp/cancer/cc_19/hc/02.html

 主治医が手術の時に腫瘍を大きくとってくれたのが幸いして再発していない。その代わりに言語に関する神経に触れてしまったから失語症になった。
 失語症になってしまったことがかえって良かったのかもしれない。失語症を治そうと必死だったから(今でも必死であることにかわりはない)、この生存率の数字を見て不安で押しつぶされそうにならなかったから。正直言って、あ、そう、それがどうかしたんか、わしにゃぁやることがあるんじゃってな感じで、まるで人ごとみたいだった。手術直後の「うでどけい」とか「ボールペン」とかという言葉も話せなかった状態、ネットで見つけた失語症訓練サイトの「犬と熊、どちらが大きいですか」という質問にも、良く考えた後かみさんに聞きに行ってからでないと答えられなかった状態。毎朝顔を洗う時に石鹸を使っていたかどうかさえ思い出せなかった状態。これらの症状は、ある時は少しずつ、またある時は飛躍的に回復していった。
 かみさんには感謝している。写真を撮影させるという名目で私を外に連れ出してくれ、うつ状態にならないように注意してくれた。リハビリ中もいつも一緒にいてくれた。それから言葉では言い表せないほど心配してくれた。それから・・・それから・・・それから・・・  実は、かみさん本人は、あの時こうすればよかった、ああすればよかったと後悔しているらしい。それからST(言語聴覚士)の先生と職場の皆にも感謝したい。コミュニケーションの場と、時には回復している能力以上のものを与えてくれ、それをがんばってやったおかげでここまで回復できたんだと思う。
 明石家さんまが「生きてるだけで、まるもうけ」という言葉を座右の銘にして、娘の名前にまでつけている。しかしこの言葉はちょっと複雑な気がして素直に納得できない。脳に障害があって自由に喋ったり物事を考えたりできないとか、絶えず体に我慢できないほどの痛みがあったりしたら、ほんとうに「生きてるだけで、まるもうけ」と思えるんだろうか。こんな言葉はそこそこ健康な人が言っているにすぎないと、少しひがみっぽく考えてしまう。正しくは「健康でいるだけで、まるもうけ」じゃないかと考えてしまう。でも究極のところ「生きてるだけで、まるもうけ」なんだろうな。
 手術の前後で生活は一変してしまったと思う。
 しゃべれないことに加えて、考えがまとまらない、計算ができないなど初期の頃は相当なものだった。でも、だんだん回復しているのを実感している。
 手術の前後で変わらなかった感覚もある。
 まず、性格は変わっていないと思う。ほんとは愉快な気持ちでいるんだけれども、それが表に出ないのは喋りにくいからだ。喋ろうとしても、積極的に雑談がしにくいんだから、今は、どうしようもない。
 その他にも下の図を見ていただきたい。これが私の頭に思い描く季節の移ろいである。
 思えば物ごころついたときからずっとこうだった。手術をした後も変わらなかった。8月は夏休みだぁという意識が強く、感覚として長い割には、実際はこんなに長くないから仕事が進んでないように感じる。手術前の状態で時が止まってしまって、術後3年ぐらいは時間があっという間に過ぎてゆく気がしていたが、その時でも相対的にこの感覚は変わらなかった。今は元通りの感覚速度で過ぎて行っている。歳をとるに従って年々早くなってきてはいるのだが・・・



私の頭の中の季節の移ろい


この1年のできごとを振り返ろう。
2011年8月26日(金)
 今週は月曜あたりから自分が自分であってどこか自分でないという感覚があった。冷静にしている自分がいる一方で、どこかあせっている自分がいる。熱い感じがする。昨日頭が締め付けられるような感じがしたが(後頭部から頭頂・頭頂前部にかけて静かに締め付けられる気がする)今日はすっかり治っていた。今週は眠い。会議中でも自分に関係ない内容になってきたら気を張っていないとつい眠ってしまいそうだった。今日は言葉の調子がよい。まだ詰まったり迂回表現になったりするが。

2011年8月27日(土)
 ほがらかに話ができるようになってきた。リコンディショニングセンターのスタッフとも何のことはなく自然なふうを装って話ができる。今日は進歩があったように思う。

2011年8月31日(水)
 昨晩出張で大阪に泊まり、同僚と夕食をとって10時30分ごろホテルにチェックインした。今日はお客さんのところで打ち合わせ。初めは全く気にしていなかったのだが、昼食をはさんで午後からの打ち合わせ中に、突然えも言われぬ違和感が頭の中におこった。その後、頭が締め付けられる感じが続いた。これが痙攣の起こる前触れかという気がして、口の中で歯を上下に動かしたりして紛らわしていた。30分ぐらい続いて治まった。一緒にいたお客さんと同僚は気付いていない。夜になって出張から帰ってきても頭が締め付けられるような感じがする。いつものことだが耳鳴りはひどい。

2011年9月1日(木)
 2007年8月27日に書いてあるが、手術の後で額に日焼けの痕のようなものがあった。その夏に旅行に行った日焼け痕かなと思っていたのだが、それにしては後々まで長く続く。実は傷口は目立たないように髪の中にあり、額の骨に穴をあけるために頭の皮をぺろっとめくって手術した痕だったんだと今になってわかった。

2011年9月9日(金)
 お惣菜の定価は約2円/gとか、軸と穴の隙間は20〜40μmだといい感じにすーっと入るとか、経験を基にした「だいたいこんなもん」という勘は、術前から憶えているものもあれば術後に思い出したもの、それから術後新たに習得していっているものがある。記憶しているものを思い出すのが早いか、新たに習得するのが早いかだと思う。まだ新たに習得するものは少ないんだけど。術後3〜4年の頃は「だいたい相場はどれぐらいか」と聞かれても答えることが難しかった。あ、その項目自体は頭の中に入っているんだけど値は今は思い出せないって感じで。

2011年9月11日(日)
 スーパーでかみさんと一緒に買い物をしているときに「おや、この感覚は術前といっしょだ。なおったかな」と一瞬感じた。実際はそのとき一瞬感じただけでなおっていなかった。こういう感覚が続いて、だんだんと回復してゆくんだろう。



天高く馬肥ゆる秋

2011年9月23日(土)
 耳鳴りがひどくなること(例のキーンとなること)、頭が締め付けられるようになることは9月7日以降は起こっていない。あまり体調が良いと、かえって、いつも経験している一度限界まで体調が悪くなってから、突然言葉が良く出るようになるとか頭がすっきりするとかいうことが起こらないんじゃないかと不安になる。

2011年9月28日(水)
 月曜日に会社で席替えがあったので体が疲れているということもあり夜頻繁に目が覚める。昨日今日と体調が悪い。昨日キーンが中強度。体調不良で熱っぽいが体温は36.0℃、平熱である。今日は朝から左の鼻から鼻血が出ている。

2011年9月30日(金)
 言語リハビリ。経過報告をする。言ってみれば会社でバチバチバチバチ神経線維が繋ぎ場所を求めて迂回路を形成しようとしているのだから、家に帰ってきた時ぐらい鞄の細かい製図をするんじゃなくて、静かに頭を休めれば。とは、ST(言語聴覚士)とかみさんの両方の意見。あまり脳に負荷をかけすぎても良くないとのこと。

2011年10月3日(月)
 今日は言葉の出が悪い。
 昔話のたとえ話が術後初めていえた。以前の会社にいた約30年前に、今開発中の製品と大きさ・形状がちょうど同じような小型のブルドーザーのフレームを溶接していたところを見たことがある。それが歪みまくって油圧プレスで矯正していた。板厚の厚いものを開先とって溶接する場合には気をつけなければいけないという話。
 職場復帰して間もない2008年の1月頃、私専用のレーザーポインターを買ってもらった。会議で他の人が発表しているときにコメントする場合、説明に窮したときに使うため。それがいつの頃からか使う頻度が減っていって、今はほとんど使っていないということに気付いた。今では、曲がりなりにも言葉で説明できるから、通常のレーザーポインターとしての使用状態になっている。もう必要ない。



まさにマジックアワー

2011年10月5日(水)
 久々に頭が締め付けられるような感じがキーンという耳鳴りとともに夜の8時半頃からやってきた。ちょっとひどい。だんだんと間隔が伸びて治まって行ったが、寝るまで続いていた。

2011年10月6日(木)
 今日は会社でコピーの複合機に紙詰まりのエラーが繰り返し出た。A4の手差し用紙を選択していて実はA3のデータを送ってしまったことが原因だった。それを過去にやったことがあるという同僚に教えてもらって解決した。その時に、本人は納得していない表現ながらも「良くわかってらっしゃる」とおどけてタイミング良く話せた。
 頭が軽くしめ付けられるような感じは時々続いている。

2011年10月15日(土)
 自然に話しだせはするのだが、途中で詰まってしまって結局納得できない表現になってしまう。でも自然には話しだせるようになった。
 自宅療養をしているとき週末に会社の同僚に会うのは、山の中腹にある喫茶店と、洒落た外観の喫茶店と、普通の外観の喫茶店の3店を使っていた。その洒落た外観の喫茶店に4年ぶりに行った。道路拡幅の影響で立ち退かされるという話をリコンディショニングセンターに来ていたお年寄りから聞いたので。
 当時は頭に霞がかかったような感じがして、コーヒーの味の違いもわからなかった。2008年7月30日に書いてあるが、1年経った頃から微妙な味の違いがわかるようになるまで回復した。これは当時痙攣止めとして使っていたエクセグランに問題があったのかもしれない。この薬には味覚障害が副作用としてあるから。

2011年10月18日(火)
 比較的に自分でも納得している表現で話すことができた。まだ自分じゃ納得していない表現を使って話すことが多いけどね。

2011年10月21日(金)
 電話が躊躇なく掛けられるようになってきた。まだ納得した表現とか、とっさの応答というのはできにくいのだが。
 強度が低いが「キーン」が相変わらず来ている。目の下のくまも残っている。



ショルダーバッグを作った

2011年10月26日(水)
 主治医の診察を受ける。言葉の出が良いとほめられた。ビデオの件は相変わらず同じ答え。

2011年10月28日(金)
 帰社するときの車の中で気になったことがあったので、停車してから会社に電話をかけた。7〜8分電話でしゃべった後から、頭が締め付けられるような中強度の違和感が続いた。帰って来てから酒飲んで飯食ったら少し治った。風呂から出たらほとんど治っていた。
 一昨日、通院のため休みをとっていたのだが、かみさんが、朝会社の同僚に電話しているのを聞いて「だいぶ話しやすそうな感じがする」といった。

2011年10月30日(日)
 午前中に映画に行った後から、頭がちょっと痛い。それと例のしめつけられるような感じがした。午後いっぱいまでだんだんと良くなりながら続いた。この後、火曜日ぐらいまで、だんだんとおさまってきたが、頭が締め付けられるような感じがするのは続いている。

2011年10月31日(月)
 今日は意欲的に仕事ができた。指導もしかり。自分で担当しているものもしかり。少なくとも3日間は続いている。
 まだ、お客さんに説明するときは言いたいことが納得できる表現では言いにくいが。それでも初期の頃に比べれば大進歩だ。

2011年11月5日(土)
 昨日は飲み会。8:30頃に出て帰ってきたので今日は平気。

2011年11月8日(火)
 今日は最初は話が勢いよく出来るのだが、途中で何と表現したら良いのかわからなくなって、黙り込んでしまうことが何回もあった。

2011年11月13日(日)
 11日の夕方から右耳の後ろのリンパ節がずきずき痛む。12日も痛む。それに例のキーンが加わった。13日は痛まなくなった。キーンではなくて頭が締め付けられるような感じが1〜2回した。



紅葉

2011年11月16日(水)
 どうも頭のバッファーに言葉をためてそれから実際の言葉をじゃべっているという考えが正しいんじゃないかなと思う。その証拠に、ある程度長い言葉をしゃべったら突然言葉が出なくなる。みてたって感じがしてそのあと途端にたどたどしくなる。(私の出身地の方言で「みてた」とは空になった、底をついたという意味)短い言葉だとうまくしゃべれる。
 今日は心にもないこと、納得していない表現で話すことが少なかった。それゆえに、ちょっと黙りこんでから話すことが多かった。初期の頃は、話をすることは出来るにはできるのだが、言ってしまった言葉尻にとらわれて思ってもないことを言うことが多かった。
 電話をかけ易くなってきた。

2011年11月18日(金)
 頭の右側の傷口が痛むことが少しの時間だがあった。帰社するときの車の中で久々に例のキーンの強烈なのが来て運転中なのであせった。

2011年11月24日(木)
 今日も会社から帰ってから頭の右側の傷口が少し痛い。目の下のくまは相変わらず出ている。
 電話に出るときに構えることがなくなって、さらに心にもないことを言うことが少なくなってきたと思う。高次脳機能障害もだいぶ良くなってきたと感じる。

2011年12月9日(金)
 3年ぶりに大人数の前で県が主催のプレゼンをする機会があった。これは3年前に「6.よしプレゼンテーションをやるぞ」でおこなって以来のものだ。以前はプレゼンの機会を営業のKさんが見つけてきてくれていた。しかし2年前にそのKさんが定年退職したこともあり、また会社もセミナーを営業部門だけでおこなって、技術部門も参加するというものは開催しなくなっていたりしたので、久々のプレゼンだった。しゃべり続けで1時間、なんとかこなせた。健康なときに比べて100点満点で30点のできかな。3年前はほとんどスライドに書いてあることを音読しているような状態だったのだが、今回はスライドに書いてないこともたくさん憶えておいて言ってみた。しかし決してアドリブではない。一言一句正確に原稿を書いておいて、しっかり練習した結果だ。

2011年12月10日(土)
 今日、ある友人から長い電話があった。大学を卒業した時以来話していない。今年の1月に前の会社で同期の奴から電話があったが、その時とはまったく違い、語尾が敬語になることもなく平気で話せた。冷や汗もかかなかったが、一生懸命しゃべっていたので涙がこぼれた。でも、この一生懸命の度合いが1月に同期の奴と話した時よりも圧倒的に少なくなっている。

2011年12月14日(水)
 12月9日のセミナーにはNHKの取材が入っていた。その後に追加でテレビ取材を申し込まれて、その事前打ち合わせをした。装置の説明をしようとしてもプレゼンをしたときの原稿に書いてあった言葉と同じになってしまう。他の装置の説明もアドリブが効かないから、たどたどしく、なんか説明不足になってしまっているように感じる。質問されれば短い言葉では答えられる。



浮島現象

2011年12月15日(木)
 いままで高次脳機能障害に対抗するために、もっと滑らかに喋れるようになろう、そのためにも発想も元に戻さなければいけないと必死に頑張ってきた。通常の生活はそこそこできるようになった。技術的な問題も、まぁ不満だがなんとかこなせると思っている。過去に起こったことで記憶のかなたに飛んでいる、うろ覚えになっていることは別として。
 まだ仕事上で何をすべきかという決定力は不足している。それから、これは術前から苦手だったのだが、いわゆる処世術のたぐい。上司が部下に喝を入れるというかなんというか、檄を飛ばすと言うのが正しいのかな。それに対する話のネタとか蘊蓄とでもいうようなことも術後は不足しているということに最近気付いた。

2011年12月16日(金)
 12月9日のプレゼンもそうだが、私が過去に行なったプレゼンの様子をビデオで撮影していたものがある。それを手術を行う前後でそれぞれ比較してみた。
 手術を行う前は、さすがに滑らかに話している。自分で言うのもなんだが話題も豊富で当然アドリブもきいている。スライドを見てからどう説明しようか考えている。思わぬ言い方になったとしてもスムーズにリカバリしている。時間の制限もあったから早口でしゃべっている。まさに縦板に水状態である。
 ところが2007年の8月に手術をした後で、2008年6月にST(言語聴覚士)の仲間の方に、その年の8月にやる講演会の内容と同じ物を聴いてもらった。そのときは、ものすごく早口で、いかにも憶えてきているものをそのまま言っているという感じがした。しかも何回も詰まってしまって黙り込んでしまう。それでもその時点では100点満点で50点とビデオの中では言っている。実際に8月の本番では、6月に指摘された内容を修正して、比較的詰まりもせずに普通の速度で話しているように見えるが、本人は違和感ばりばりの丸暗記状態だった。 でも、冷静に考えてみると3年前の当時で、よくまぁあれだけのことが気後れもせずにやれたもんだなと我ながら感心する。
 今回はというとビデオを見る限り普通の速度で詰まりもせずに話しているようだが、ビデオを見るのとICレコーダーで録音したのを聴くのとでは大違い。ビデオは映像に騙されて詰まっている部分も何事もないように見える。原稿を憶えているので、ちょっと原稿と違う表現になったりすると突然言い回しに苦しむ。でもビデオを見ている限りではうまくごまかしているものの、本人はなんとかしようとあせっているが言葉が出てこないので苦労している。

2011年12月17日(土)
 頭が締め付けられるような感じがするのは続いている。



ポーチを作った

2011年12月23日(土)
 今年の年賀状は手書きで宛名を書いた。手術前は宛名を書くのは手書きだった。しかし術後2007年10月17日で年賀状のことが話題に上り2007年12月8日に自筆で宛先を書くのはあきらめた。そして術前からExelで年賀状のやりとりをまとめてあったので、それを使って去年まではパソコンで印刷していた。それを今年から手書きにもどしてみた。もうそろそろ書けるかなと思ったから。
 頭が重い感じがして締め付けられるような感じがするのは日に2回ぐらいだが、ずっと継続して続いている。耳鳴りは絶えずある。
 まだ自分では納得していない表現になってしまう。特に焦っているとき。
 仕事での重要な決断がしにくくなっている。

2011年12月27日(火)
 言語リハビリ

2012年1月7日(土)
 最近、難しい説明をするときに、自分で納得できる表現が思いつくまで、2秒間ぐらい沈黙することがある。その間に納得できる表現が思いつかない場合には、自分では納得できない表現を使うか、ごまかして話をすりかえるようにしている。なぜ沈黙するのかというと、頭の中で表現が何も思いつかないということと、きっともっと気の利いた表現が何かあるはずだと思って実際には何も思いつかないまま考えているから。しかし反面、聴く方の相手が待つことに我慢ができる限界がきたら、なんか声を発しなければならないと思うから。

2012年1月11日(水)
 昨日午後から水のような鼻水が出て、くしゃみが連続する。家に帰ってきたときに特にひどい。その後、発熱する。今日はだるいから会社は休み。13:30にロキソニン服用。午後に行き付けの病院で診てもらうと、インフルエンザではないだろうとのこと。たとえインフルエンザの検査をしても発病から日がたっていないから陽性反応が出ない。
 バナン錠、フェスコブロン配合シロップ、トランサミンカプセル、セルベックス細粒、エオヨジンガーグルを処方される。

2012年1月12日(木)
 1:30ロキソニン服用。今日も会社を休む。会社を休んでたっぷり物を考える時間があったので考えた。
 結局、自分のプライドのため(こんなにバカじゃないよ。反応も遅くないよ。色々考えられるんだよ)に失語症に代表される高次脳機能障害を治しているんじゃないかという気がする。日常生活には、言葉が出てこなくてしゃべりにくいということはあっても、ほとんど困らないから。まぁプライドのためならプライドのためでいいんじゃないの。



超望遠レンズの眺め

2012年1月14日(土)
 夕方テレビを見ているときに戦場のシーンが映されていてカメラワークが安定していなくて、乗り物酔いしたようになった。夕食を摂っているときにも続いていて、釣り番組で船の上から撮った映像が出たので、チャンネルを変えた。その後軽い吐き気がして、顔面蒼白になったので、布団に入って眠った。布団に入った時は頭が下がる気がして、入らなきゃよかったかなと思ったが、うつ伏せになってからちょっと和らいだ。2時間ぐらいたってからすっかり治っていて、夕食を摂りなおしてテレビを見てから寝た。

2012年1月17日(火)
 昨日はなんだか頭に霞がかかっているようで、自分が自分でいて、自分でないようなおかしな感じがした。今日はほとんど治っているが同じ感じがする。これは木曜日頃まで続いてから治ってしまった。

2012年1月20日(金)
 今日会議で長時間(といっても約30分)説明をすることがあった。ほとんどスライドに書いてあることを読むだけだったのだが、冷汗だくだくになってしまった。説明をしたのが定時前だったので、すぐに帰社してそれからすぐに着替えた。

2012年1月25日(水)
 主治医の診察。最後に痙攣が起こった時から数えて今が丸3年経っている。痙攣止めのアレビアチンは4年目に入ってから脳波を測定して慎重に量を減らしてゆくつもり。1月14日の件は何か自律神経が影響していると思うが不明とのこと。吐き気とか目まいとか言ったので再発したのではないかと感じていたようだった。
 GradeVが心配だという、かみさんに答えて、GradeVの腫瘍はパラパラと広い範囲に散らばって存在するのだが、その範囲を含めて広範囲に切除した。摘出した物の周辺部には腫瘍細胞はなかった。そのため放射線も当てなかった。心配することはない、と説明があった。

2012年1月29日(日)
 来週、私の住んでいる町でマラソン大会がある。昨日そのマラソン大会のコースの掃除に行く前に、ちょっと腰を痛めてしまったが、そのまま掃除に出かけた。安静にしていなかったのが災いしたのか、動かしたからこの程度ですんだのかわからないが、中程度の痛み。今朝は顔を洗う時に痛くなる気がして前かがみにできなかった。夕方は膝を支えにして前かがみになれた。

2012年2月2日(木)
 昨日、午後からの会議中に少しだけ吐き気を感じた。夕食を摂った後でもほんの少し吐き気を感じた。今日も同じ。



石鎚は今年も雪化粧

2012年2月8日(水)
 今朝、テレビを見ていて、うまい言い回しで皮肉がいえた。
 朝久々に一瞬耳が聞こえなくなった。頭に例の、額がのしかかるような、耳が圧迫されるような感じがする。こめかみから上半分がヘルメットをかぶっているような感じがする。
 今に始まったことではないが、ある言葉を思いつくまでに1秒弱黙り込む。それでも思いつかない場合は、相手が我慢の限界が来るとの思いから適切でないちょっと違った表現を無理やりすることになる。

2012年2月14日(火)
 会社の同僚(男)が二人結婚する。その一人が披露宴の招待状を紙袋から出そうとしているのを見て、「バレンタインのチョコレートか?友チョコくれるのかと思った」と冗談が言えた。以前はこんな冗談ばかり言っていて、どこまでが本気でどこまでが冗談かわからんとよく言われていたけれど、こんなことも言えるように回復してるんだ。ちょっと嬉しくなってしまった。3月と4月に披露宴をする同僚が二人いる。そのどちらにも乾杯のあいさつを頼まれた。よし、立派にこなしてやろう。

2012年2月17日(金)
 今朝から頭がなんか変。今まで経験した違和感が全部まとめてする。言葉は好調。

2012年2月21日(火)
 今日は夕方、考えがまとまらなくなってしまった。突然「みてた」というか電池切れというような感じがして、腹が減って低血糖になったときのように手が震える。

2012年2月22日(水)
 東京出張に行ったのだが、頭にヘルメットをかぶっているというか剣道の面をつけているというか。出張に行って動き回っているので良くわからないが、そんな感じがする。帰りの飛行機の中で、着陸間際にカメラで下向きの画像が映るのだけど、そんなに揺れがひどくはなかったのに、ちょっと酔ってしまった。

2012年2月24日(金)
 朝から言葉の出がよくない。これを書いているときにも思ったことが書きにくい。思うようにしゃべれないから、相手が我慢の限界にならないように、納得していない表現ながら言ってしまう。どうしても理解させたいことがある時には、紙に書こうとして焦る。



夕焼け空

2012年2月27日(月)
 電話を自分から業者に掛けてみた。結構複雑な仕様を伝えて、見積もりを出してもらうという内容だったが、我ながら良くやったと思う。同じ部署の人に変わって説明してもらおうかと迷ったが、自信をつけるという意味で自分で掛けてみた。
 術後しばらくして電話で用件は伝えられるようにはなってきた。でも今までは電話は掛けることはあっても失語症のことを知っている社内の人とか気心の知れた人。掛かってくる場合は様々。でも、この4年半の間に、いらん子になっているみたいで、掛かってくることはまれ。

2012年3月1日(木)
 ここのところ、じわっと言葉の面と思考の面で良くなってきたのが実感できる。今日は無駄話や冗談が術前と同じぐらい大きな声で言えた。
 頭が締め付けられるというか、頭の中の右耳と左耳の中心部あたりが、抑えつけられるような感じがするのは治っていない。

2012年3月2日(金)
 今日会社帰りの車の中で披露宴の挨拶を練習しているときに、あれ?棒読みするように言うんじゃなくて、もっと朗らかに明るい表現で言えるぞ、と気が付いた。術後から今までは自信をなくしていたということもあり、見掛け上、楽しい気持ちが表わせなかった。ほんとは心の底では楽しい気持ちでいたんだけどね。

2012年3月3日(土)
 今日はTさんの結婚披露宴。その挨拶の時に、直前になって挨拶の内容をちょっとだけ変更しなければならないことになり、変更することができた。手術後は12月のプレゼンテーションでも一言一句原稿に書いて記憶していなければだめだったが、それが宙で頭に思い浮かべてすんなりできた。実は手術前の今から10年以上前になるが、ひと月に1回ぐらい披露宴での挨拶をしていた時期があった。話の内容はその時期に話した話題の中のお気に入りの一つである。

2012年3月6日(火)
 会社で皮肉が言えるようになった。軽口<冗談<皮肉 の順で言いにくさが増えるような気がする。でも、私自身は良く話せていると思っているが、難しい説明になれば突然話がしにくくなる。緊張すると額に汗をかく、でも額にはかいても、体には冷や汗をかきにくくなった。
 頭が締め付けられるというか、頭の中の右耳と左耳の中心部あたりが、抑えつけられるような感じがするのは今は治っている。
 まだ会議の最初にコメントをするのは無理。頭が真っ白になって、なにも考えつかない。事前にメモしておこうにも、何を話していいのかわからない。でも話題が技術的なことになると、なんとかかんとか自分からも話せる。短い文だけど。



ショルダーバッグを作った

2012年3月18日(日)
 先週の日曜日の夕方から寒気がする。月曜日は会社を休んだ。かかりつけの病院へ行きインフルエンザの検査をしてみるが、陰性だった。メイアクト・フスコブロン配合シロップ・ジュンコウ麻黄湯FCエキス細粒医療用を処方される。ロキソニンとうがい薬は持っているので処方されなかった。
 火曜日・水曜日は朝熱が下がっていたので会社に行くが、昼から夕方にかけて約37.6℃の熱がある。
 木曜日は会社を休んだ。例の病院に行き抗生物質の種類を変えてみるかということになり、ジェニナック錠・フスコブロン配合シロップ・ムコダイン錠・セルベックス細粒を処方された。15:00頃38.3℃まで熱が出たのでロキソニンを飲む。
 金曜日も会社を休んだ。金曜は午後から言語リハビリで会社を休む予定だったが、その言語リハビリも休んだ。16:30頃37.7℃まで熱が上がったのでロキソニンを飲んだ。主治医から38℃を超えたらロキソニンを飲むようにと言われている。熱が出るのは体に相当のストレスがかかるので、そのときに痙攣が起きるかもしれないから。
 土曜日は37℃前半の微熱。午後から平熱。
 今日も平熱。しかし体はだるいまま。

2012年3月25日(日)
 最近、時間はちょっとかかるが納得した表現ができるようになってきた。

2012年3月26日(月)
 今日はとてもしゃべりにくかった。納得した表現にしようとするから、しゃべりにくくなる。長い文をしゃべろうとすると、頭の中では明確にしゃべりたいと思っている考えが存在するのだが、実際にしゃべろうとするとしゃべれない。詰まってしまう。

2012年4月1日(日)
 近所の電器屋で携帯電話の充電器の先に付けるmicroUSBのアダプタがほしいという説明をしようとしても、できにくかった。そもそもmicroUSBという言葉自体が出てこない。なんだかまわりっくどい説明というか硬い表現というか、そんなことになってしまう。
 半年ぐらい前(1年ぐらい前かも)から、手足がときどき痙攣するようにビクッと動く。毎日ではないが、起きるときには1日に数回起きる。



枝ぶりが面白い

2012年4月5日(木)
 今日から定例の内輪の会議でコメントをするようにした。短いのだが。先月の会議で「コメントできるほど回復していないからパス」と言ってしまったので、これではいかん、無理やりにでもコメントするようにしなければと思ったから。
 ん?普通にしゃべれると思っているのに実際はしゃべれないから、言葉の症状が後戻りしているように感じるな。

2012年4月7日(土)
 花見に行く車の中で、「ソメイヨシノは、野生種であるエドヒガンとオオシマザクラの間にできた種間雑種に分類される栽培品種である。江戸時代後期に、江戸染井村の植木屋がこれを「吉野桜」と称して売り出し、明治時代には全国に広まった。ソメイヨシノは、種子から育てたのではなく、すべて接ぎ木などによってふやしたものである。すなわち、すべてのソメイヨシノは、たった1個体を原木とするクローンなのである。サクラの仲間は一般的に、同一の個体の中で咲く複数の花どうしでは受精がおきない。これを「自家不和合性」というが,ソメイヨシノはすべて同じクローンであるため、ソメイヨシノどうしでは受精がおきず、したがって実を結ぶこともない。つまり、ソメイヨシノの種というものは、この世に存在しないのである」という、科学雑誌Newtonに載っていた蘊蓄を、なんとか披露することができた。細かい部分は端折ったけどね・・・

2012年4月15日(日)
 3月頃から頭がなんか変な違和感がするのは治まっている。慣れたからかもしれない。でも相変わらず耳鳴りはひどくなったり気にならなくなったりする。

2012年4月19日(木)
 会社で1時間近く一人でしゃべる機会があった。ほとんどパワーポイントで映した内容を音読するだけだったのだが。11月の初め頃にもそういう機会があって、その時は詰まり詰まり音読して、言いたいことも言えなかった。でも今回は全文を音読するのではなく、重要なところのみ言ったり、白板に図を書いて説明したりできた。まだまだ詰まるのだが。



手帳カバーを作った

2012年4月21日(土)
 今日は、会社の同僚のZさんの結婚式だ。前の時より緊張してしまって詰まり詰まりだったが、まあ何とかこなせたと思う。周りから見ると詰まっているといってもそんなに大したことはない、そんな性格かな?という程度かもしれない。しかし本人は、ほんとはもっと滑らかに話せるんだけどと思っているのだが・・・

2012年4月24日(火)
 周りの人から見ると話している内容も話すときの反応も普通に見えるから障害がないと感じられるらしい。実際に今日会社で、話の内容も普通の人と変わらないし反応も良いからと障害があるということに驚かれた。でも自分自身としては、すんなりしゃべれなくて言葉に詰まってしまうことと、話の内容も、より高度なことを言いたくても言えないので、う〜ん、もどかしくてつらいんですけど・・・言語聴覚士になった失語症患者が、一番辛かったのは失語症を解ってくれる人がいなかったことだと言っていたことが良くわかる。

2012年4月25日(水)
 最近は1年おきになっているMRI検査の後で、主治医の診察があった。結果は再発なし。大変良い具合に経過しているとのこと。素直にうれしい。手足がときどき痙攣するようにビクッと動くのは痙攣ではない。痙攣であれば右側が起こるはずだし、プルプル反復して振動するようには動かないので、いわば夜寝ているときにビクッとするようなものである。それとは関係ないが痙攣止めのアレビアチンは、念のためしばらくは続けるとのこと。
 MRIの画像の去年との比較を見ていて気が付いたのだが、頭の縦断面に頭蓋骨に穴をあけているところが2ヶ所見える。去年はそれがない。頭蓋骨の部分は白く見えて、チタンプレートでふさいだところは信号が吸収されて黒く見える。その外側の皮膚も白く見えるのだが、穴の部分のチタンプレートと皮膚との間にひときわ目立つ白い層がある。これはなにかと質問してみたけど、皮膚が変化したものだろうということで主治医も即答できなかった。そういえば最近頭がところどころたんこぶみたいに盛り上がってきているな。
 それから造影剤を点滴で入れるときにルートをとるときとか、血をとられる時とかに、注射針を刺される。術後しばらくは血管が細くなってしまって何度針を刺してもだめで大変だったのだが、今回はそれがすんなりとできた。確か去年の人間ドックの時には、まだ難しかったと思う。

2012年4月27日(金)
 一昨日MRI検査をした後からちょっと頭に違和感がある。昨日は久々に中程度の頭が締め付けられる感じが一回した。会社から帰って来てからは少し治まっている。今日も小程度の違和感が一回だけあった。



五月晴れっ!

2012年5月7日(月)
 今日は風呂から出た頃から、傷口がとても痛んだ。
 頭が締め付けられるような、なんともいえない違和感がすることにはもう慣れてしまった。ううっと思うが平気だ。
 4月5日の定例の会議でのコメントをするときに、覚えておいてから喋らなければいけないと勘違いしていた。ああそうだ、机に座って話しているんだから、一言一句喋るとおりに書いたメモを見て喋ったっていいんじゃないかと気が付いた。それで今月はメモを見ながら長い時間しゃべることができた。でもコメントのネタというか話題にすべきことが思いつかない。以前はこんなんじゃなかった。

2012年5月11日(金)
 14:30頃、耳が聞こえなくなるようなキーンという耳鳴りがして、頭が締め付けられるような感じがいつもより長く約3秒間続いた。いつもは1〜2秒ぐらいで終わる。

2012年5月14日(月)
 今日は、実験場である新商品の試作をしているものを見て気が付いた点をメモしようかなと思ったが、ノートを持っていない。まぁ覚え切れなかったら後でもう一回ノートを持ってくればいいやと考えて覚えることにした。それから事務所に帰って、パソコンで担当者にメールした。覚えていたものが14項目ぐらいすんなり出てきた。あぁここまで回復してるんだなと、嬉しく思った。まだまだ本来の記憶力はこんなもんじゃないぞ。

2012年5月15日(火)
 今日は風呂に入ってからパジャマを着て鞄を作っているときに、右の耳が聞こえなくなるような感じが断続的に数分間続いた。

2012年5月29日(火)
 昨日と今日は1年ごとに受けている人間ドックと、3ヶ月おきの言語リハビリである。
 もし5年前に脳ドックで脳腫瘍と診断されなかったら、冗談じゃなくもうこの世にいなくなっていた気がする。すすめてくれた、かみさんに感謝。
 言語リハビリでは、技術的なことを考えるときと、経営的なことを考えるときとかで頭の中で違う場所を使って考えているんじゃないか(これにはSTは否定的)、その証拠に技術的なことは考えられても経営的なことになると頭が真っ白になって何も考えが思いつかない。他にも、最近気を抜いていたからかもしれないが、会社からの帰りのあいさつをするときとか自宅マンションのエレベータの中とかで、相手が「お疲れさまでした」といって帰っているときにも「お先に」と言ってしまったり、相手が「失礼します」と言って先に出て行っているのに「こんにちは」と答えたりしてしまう。2009年5月1日に書いているように適切な受け答えができるようになったと思っていたのに、気を抜くとだめ。特に相手が先ず最初に声を出したときとか、後ろにいて突然挨拶されるときとか、あらかじめ準備ができていない時に間違えてしまう。ということとかその他の相談をした。



ビジネスバッグを作った

2012年6月1日(金)
 焦って言わなければいけないときとかに、つまってしまって困る。ていねいに時間をかけて一語一語しゃべっているときは大丈夫(じゃないか、裏返せば、ていねいに時間をかけないとしゃべれないんだから)なのに、ちょっと焦るシチュエーションになるともうだめ。
 しゃべれるかなという思いがして、実際にしゃべってみると、こんなはずじゃなかったとなる。ちょっとレベルの低い、配慮が足りない発言になるから、まわりの人から馬鹿にされてるんじゃないかなと感じる。技術的なことに関しても、そのこと自体に対して回答する必要があることに対しても、あらゆる角度から考えて答えなければいけないのに、ある角度から考えるべき部分がすっかり抜け落ちていたり、人に対しても配慮が足りない回答になってしまう。まぁ今の状態だと、やられたい放題、言われたい放題で、馬鹿にされてもしょうがない。これもおいおい治って行くんだろうが、まだまだですねぇ〜^^;
 それから最近、かみさんと(今の私にとっては)ややこしい話をしている時とかに、どんどん声が大きくなって怒ったように言ってしまうことがある。これは、かみさんがどんどんどんどん違うことを言ってきて、その誤解をいちいち解こうとして、それに追いつくことができないから声を荒げて怒ったように言うことになるんだ。

2012年6月2日(土)
 今日から左目の視野が上下に細かく振動する。どうやら目の周りの筋肉が痙攣しているようだ。常時というわけでもない。術前から瞼が痙攣するというのは時々あった。

2012年6月4日(月)
 今日は会社でしゃべりにくかった。これが現実かもしれないが長くなる内容だと途切れ途切れになる感じでしゃべっていてももどかしい。それから技術的なことを尋ねられても今日は答えにくくて、返事は明日にしてもらった。

2012年6月19日(火)
 頭の中にある考えを正しい表現にするべく注意しながら話すということが時間的に許される場合はそれでいいのだが、とっさに答えなければならない場合にしばしば遭遇する。こんなときには実際はそのことに対するイメージは頭の中にあるのだが、それをどのように表現していいのか思いつかず、だいぶん沈黙があってからしゃべる。相手が我慢しきれなくて次の話題に移ってしまえば話は別だけど。
 それから一般生活(の中にも苦手な話題はある)、技術的な話題などは、ゆっくり話せばそこそここなせる。しかし経営的な話題とか複雑な事務処理などは、まだ頭が真っ白になってついてゆけない。



梅雨の晴れ間

2012年6月25日(月)
 あることが話題になると、先に先に言いたいことが頭からあふれる。実際にはまだ話すのに時間がかかって全部は言えないから、どれから言おうか考えて言うことが、わずらわしい。全部投げ出して頭の中だけの考えとしておきたいが、そうもいかない。それから、ゆっくりしゃべっていると、ついさっきまで頭の中にあふれかえっていたことを忘れてしまう。どうしたもんかいな。
 それから、まだ日程計画が立てにくい。業務でも、例えば実験を進めて行くうえで計画を立てさせるのだが、どうもうまくいかない。極端に短く見積もってしまったり、長く見積もってしまったりしてしまう。術前は相手の能力を推し量ってぎりぎりいけるかな、というところに設定することができていた。
 昨晩、突然、手術前には夜寝る前に玄関のかぎが掛かっているかどうか毎晩確かめていたことを思い出した。あ、そうだったんだ。確かにやってたね。日常生活の中のこんなことさえ忘れている。ほかにも術前の習慣を忘れていることがあるんだろうか。

2012年6月29日(金)
 左腕の外側の筋肉が突然ピクピク痙攣する。腕が動くというほどでもないが、気持ち悪い。午前中に2回ほど、時間は10〜15分間程度。
 過去に痙攣発作を3回起こした時には、どの場合でも何の前触れもなく発作が始まり、1秒足らずで突然意識がなくなった。左側の脳を手術で触っているので、筋肉がピクピク痙攣する場合は首から下なら右半身ということを主治医から聞いているので、これは手術由来のものではないかもしれない。まぁ次に大学病院に行ったときにでも聞いてみよう。

2012年7月1日(日)
 ここ1ヶ月ほどとても喋りにくい。相対的には変わらないか少しだけ良くなっていってるんだろうが、術前のように話せると思って話してみるんだけど、全然話せない。感覚的には後退しているかなと思う。でも長い話でも言いたいことが、ほぼ正しく言えるようになってきた。その代わり、必死にしゃべっていることもあって、つっかえつっかえ、たどたどしい喋りになってしまう。
 それから最近、説明をしているときに、こいつ本気でわからないのか、それともわかっててとぼけて説明がわからないふりをしているのか気になって確認をしてみることがしょっちゅうある。説明することに自信がないから。私が、どう考えても理解できないことを話しているのか、話の内容自体が理解できないのか。



あっちぃ〜

2012年7月6日(金)
 右目の視野の左下に太陽を見た後でできるもののような何かがいる。見えにくい。左側が太くて残りは細くなってだんだん消えていくものが横に一本ある。気になったり気にならなくなったりする。
 最近、パソコンで文字を入力するスピードが、術前とあまり変わらなくなってきたような気がする。職場復帰した2008年ごろは、相当長時間かけて入力していた。でも早くなったといっても実際に書いてる内容は、薄っぺらい中身のないものなんだけどね。もっともこれは文字入力のみの話しで、例えばExcelで式を入力することは、まだ時間がかかる。

2012年7月11日(水)
 右目の視野の中に何か居るのは、だんだん丸くなって形を変えている。相変わらず気になったり気にならなかったりする。

2012年7月13日(金)
 今日は相対的に言葉が良く出るし、考えもまとまるし、なんだかうれしい。実際にはクレームがたくさん起こっててそれどころじゃないんじゃけど・・・

2012年7月18日(水)
 日銀の金融経済月報は、しばしば「景気が底打ちして、少しづつではあるが明るい兆しが見えてきた」などという表現を使う。まさにその表現を借りれば「自由にひねりの利いた言葉でしゃべれる兆しが見えてきた」というところかな。実際にたどたどしくではあるがしゃべってみて、おぉっ!今のもしかして・・・と思う。あくまでも「兆し」にすぎないのだが。
 並行して複数のことができにくくなっているという症状も、だんだんと解消されつつある。でも、まだまだこれは無理だと感じる。

2012年7月25日(水)
 右目の視野の中の例の物は、よっぽど暑い時に体を動かす場合以外では気にならなくなった。



二つ折り財布と馬蹄型コインケースを作った

2012年8月1日(水)
 主治医の診察があった。私から、ひと月ほど前に1日だけ短時間左腕の外側の筋肉が突然ピクピク痙攣するように動いたことを報告したが、痙攣とは関係ないだろうということだった。
 目の周りの筋肉がぴくぴく動くのは全く関係がないとのこと。これは、知ってて念のために聞きましたっ ^^;
 また血液検査の結果、肝臓の値に問題はないが総コレステロールと中性脂肪の値が高いことを指摘された。週2回30分程度歩くことを勧められる。ジョギングより内臓脂肪を減らす効果があるとのこと。そういえば自宅療養中には歩いていたが、冬になって寒いことをきっかけとして歩くのをやめてしまっていた。人間ドックの時にも指摘されたが、週1回リコンディショニングセンターに通っているので、それでいいやと思っていた。しかしそこで有酸素運動として行なっているのは10分だけ。ま、これから歩きますかね。おそらく同年代か少し年上にみえる主治医も歩いているらしいし。

2012年8月2日(木)
 今日はしゃべりにくかった。話したい言葉があるのに言葉が出てこない。もどかしいこと限りない。

2012年8月7日(火)
 本日はなかなか調子が良ろしい。思いを正確に伝えるためにちょっとたどたどしくはなるが、あらかた正確に伝えることができた。親指を立ててgood! というゼスチャーもできたし、ちょっとだけひねった表現もできた。

2012年8月14日(火)
 18年ほど前に同じ部署の営業部門にいた同僚Yさんが、2年前に脱サラしてぶどう農家に転身している。何にも知識や経験がなかったから農業体験研修をしたり農業大学に通ったり本人も大変だったに違いない。そんな彼から「私の知ってるあなたに1日も早く戻られることをお祈り申し上げます」とエールをもらった。よし戻るとも!と思う。



机の上に置いてある鞄は私が作った物ではない

2012年8月23日(木)
 今日で手術してから丸5年になる。この1年間でだいぶできることが増えてきたと思う。今の高次脳機能障害、特に失語症の症状を忘れないようにまとめてみる。下のように文に書いてみると、なんだかほとんど良くなってないようにみえるが、本人としては結構進歩があったと感じる。自分の判断に、だんだん自信が持てるようになってきたと思うし。
1. 頭ではそれ(その動作など)が何だかわかっているのに、言いたいけれどもいえない。
初期の頃にはこういうことが多くあったが。最近ではほとんどなくなってきた。けれども、頭の中にいっぱい言いたいことがあり、それを全部しゃべるのに時間がかかってしまう。
2. それをどう言っていいのかわからない。ど忘れのひどいようなもの。その単語をどういう風に言い表したらいいのか思い出せない。でも去年よりは進歩していると感じる。
3. たどたどしくはあるものの、正確に自分が思っていることが伝えられるようになってきた。
自由にひねりの利いた言葉でしゃべれる兆しが見えてきた。その反面、発言を準備する暇がある場合は良いのだが、ちょっと急いで説明をしなければいけなくなった場合とか、気持ちが焦っているときとかには、まだ言葉が出てこない。
4. 忘れるようなことじゃないのに忘れている。それが何かのきっかけで思い出すことができた時に、初めて忘れていたということに気付く。これも少なくなったと感じるが、忘れてるんだから気付きようがない。
5. 緊張の糸が切れると、言ってることも書いてあることも理解できない。
これも頻度が減ってきた。
6. 判断力・説明力が落ちている。
術後のひどい状態と比べて回復していると思うが、まだまだだなとも思う。
7. あらゆる面で検討して意見を言わなければいけない場面で、ある角度から考えるべき部分がすっかり抜け落ちていたり、人に対しても配慮が足りない発言になってしまう。
交渉事はまだ無理。ストレートに自分の意見だけを言ってしまうから。特に経営的な話題、複雑な事務処理になると、頭が真っ白になってついて行けないし、意見を言おうとしても思いつかない。
8. 並行して複数のことを処理することはまだ難しい。
9. 電話を受けることはまだ難しい。こちらから掛けるときには、あらかじめ話す内容を準備しておいてから話せばいい。しかし掛かってくる電話だと、予期せぬことについて話さなければいけない状況になってしまうから。
10. 単位の換算が難しい。これは分子と分母の関係が理解できにくいというのと同じだろう。少なくとも紙に書いてじっくり考えなくても良くなったので、この点は進歩がみられるかな。
11. 時間と空間に対して予測ができ難くなっている。わかりやすく言うと、おおざっぱな見積りというものができにくくなっている。でも最近になって、ちょっとだけ計画が立てられるようになってきた。
12. 額と体に冷や汗をびっしょりかくのは、治ったと思っても治っていない。一時よりは冷や汗の量が少なくなったと思う。それから涙目になって涙がこぼれる。一生懸命しゃべろうとしているから。

体の症状は、
1. 手術で切った傷口か、傷口の横にプチッとできた吹き出物がときどきとても痛む。
2. 相変わらず耳鳴りはひどい。ときどき「キーン」とくる。でも気にしないようにしている。
頭が締め付けられるような、なんともいえない違和感はまだ続いている。これもまた気にしないようにしている。
3. 目の下のくまは治っていない。
4. 夜遅く出歩いていると翌日に痙攣発作が起きて気を失うんじゃないかと不安になる。
5. 手先の器用さが、まだ完全には戻っていない。

 いつも、その時その時が最高だと思っていた自分がいたのに、悪性脳腫瘍の手術を受けてその手術がもとで失語症になり、見事にリセットされてしまった。でも、リセットされてしまってからも、その時その時が最高の自分だ。こんなこともできるようになったとか、あんなこともできるようになったとかね。



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