5.曲りなりにも復職
<4.ぐんぐん良くなっていった自宅療養期> 000 <目次> 000 <6.よし、プレゼンテーションをやるぞ>



2007年12月3日(月)
 これから言語リハビリの宿題として、出社したときの日記をつけることにした。その日記をありのままに下記に記す。

 12/03 (月) 12:40−16:20
  とにもかくにも今日、出社日を迎えました。開発部の皆からは、お祝いとしてUSBラジコンカーをもらった。さらに傷病見舞金の申請を行ってもらいました。午後から1時間ばかり会議。それから打ち合わせ、そのときばかりは何事もなくはなくって、結構、追い詰められてしまって、うんうん皆優しいなぁって思ったしだいです。それから、わからないことがあったりした場合には、ちょっと待って後で答えることにする、という指示をしっかり守って有効に活用させていただきました。仕上げに防寒着を着て実験場に入ってみました。

 12/04 (火) 9:50−15:30
  今日は午前中から出社してみました。今日一日に起きたことは、打ち合わせがよっつと、NotesのDBのチェックをしたこと、Notesのカレンダーに休日を入力したこと、駅すぱあとのバージョンアップをしたこと、机の上のINBOXの整理をしたことぐらいです。打ち合わせのひとつめは、明確な答えがあるようでいてないようであり、ふたつめは、これには結構明確な答えがあり、みっつめは、先日教えてもらったテクニックを利用して何とか切り抜けてみました。よっつめは即答が要求される案件でしたが、即答したところ出先から電話が入って即刻解決しました。別の会社の人(グループ内ではあります)が訪ねてきた時に、こんな感じですってありのままに話をしたら、その人のお姉さんが脳梗塞で後遺症が残ってしまって、言葉が出にくくて不自由しているといった話で盛り上がる。何事もなくうまく行ったのは、テストキッチンへ入ったときでした。

 12/06(木) 10:00−16:00
  今日も午前中から出社してみました。今日一日に起きたことは、会議がひとつと、打ち合わせがよっつと、NotesのDBのチェックを行ったことです。会議のひとつめは必要事項以外については、だんまりを決め込んでいたので何事もなく過ぎて行きました。打ち合わせのひとつめは、洗剤を投入して洗う方法であって、やってみないとわからない内容となってました。ふたつめは、シール軸にバフ仕上げのしてない物が出ていて実際に困った問題になっているという件でした。みっつめは、午前中の続きで、油の代表はバターでタンパク質の代表は生卵なのですが、どうにも汚れが落ちないという件、この件はその後に追試を行って決着を付けることとなりました。打ち合わせのよっつめは、開発に関した雑多な内容の話でした。この話が一番リハビリには向いていたかもしれません。

 12/07(金) 9:40−16:20
  今日も午前中から出社してみました。今日一日に起きたことは、会議がひとつと、打ち合わせがふたつと、客先から伝言で電話がかかってきたことと、NotesのDBのチェックを行ったことと、魚の骨の問題とかプログラムの仕様書など開発記録を読み返してみたことです。例によって、会議においては必要事項以外はしゃべらないで、何事もなく過ぎて行きました。打ち合わせのひとつめは、技術顧問のKさんとの面談で、結構ごっつい感じのものでしたが、まぁあれこれ聞かれてそれなりにうまく対応できました。打ち合わせのふたつめは、酵素製剤を使用して葉物の筋を軟らかくするといった内容で、うまくやらないと食べ物でなくなってしまうから注意してやってねという話でした。客先からの電話は、代わってかけてもらいました。NotesのDBのチェックは実験報告書の類を主として行いましたし、開発記録の問題は黙って眺めてればそんなに不都合は感じられないのですが、いざ実際に取り掛かるとなるととんでもなく難しいような気がしてます。

 <総括>
 1. 行って良かった。
   ある程度、早い時期に出社できてよかった。
 2. 疲れた。
   特に腕に力が入らなく感じられる。四日目にしてようやくすこしだけ治りはしましたが。
 3. 白黒決着つけて答えることが要求されることにはまだまだ対応できない。
   すぐに答えが要求されることには、はっきりいってまだ対応しきれません

2007年12月5日(水)
 主治医の診察。それに先立ち担当の先生から、9月18日のMRIは某先生からよく写っていなかったと聞かされた。当分、かみさんにあらかじめメモしておいてもらった1問1答が続く。
 Q:頭の右横の傷口の白いプチッとしているところが気になるし痛い。
 A:糸が吸収されず、残っているものだが、わざわざ切開して出すことはない、
   現状のままにしておく。
 Q:頭がのしかかるように痛い、圧迫感がある。
 A:脳を手術しているので、こういう症状はある。
 Q:耳鳴りがしている。
 A:高い音の耳鳴りはストレスから来ている時があるのでリラックスすることを
   心がける。
 Q:車の運転は?
 A:痙攣発作の心配があるので本当なら1〜2年は控えてほしい。痙攣発作が起こる
   と、どうしても脳の発作部位が傷つくので。(長距離は1年〜)
 Q:酒は?
 A:OK
 Q:口の中が妙な味がするのは、少しましになっているが続いている。
 A:味がしなくなったり、味覚異常が出たら、薬(エクセグラン)を換える。
 その他、血液検査に関しては全て異常なし。仕事の現場に行ってみるのはリハビリの効果を、うんと高めることがあるし、仕事の戻りは他より早い。とのこと。
 夕食時に久しぶりにビールを飲んだ。あ”ーっ、んまいっ

2007年12月8日(土)
 最近の年賀状は、かみさんと二人で小さな写真を撮ってパソコンでレイアウトしている。来年は子年なのでネズミも5匹レイアウトした。さあこの後が問題。自筆で宛名を書いてというのはあきらめて、パソコンを使って一度に宛名を印刷することにした。あ〜あ、しょうがないなぁ、である。

2007年12月10日(月)
 快気祝いを、それぞれ見舞いに来てくれた人に12月26日着で贈る。この時点では12月いっぱいで何とか全快と思っていた。
 12月は12、13、17、19、20、25、26日に出社することにする。

2007年12月14日(金)
 言語リハビリでWAIS-R検査を行う。これは12月18日と12月21日にもあって、検査結果は「言語で説明する、言われた数字を逆から言うなどには不得意さがあるが、全体としてはIQ102〜111であり、手術後、言語回復途上では十分な成績と言える。心配せず、会社復帰ができるレベルである」普通のレベルには戻ってはいるが、私本来の状態には程遠いように思えた。
 このころから、右肩が上がらない。斜めに上げるのが痛い。五十肩発症か?

2007年12月20日(木)
 このころは、ちょっとした仕事の用事でも、短い言葉で話しかけるのさえも詰まってしまうんじゃないかと思って、頭の中で複数回つぶやいて練習してからしゃべるようにしていた。これが、複数回つぶやいてといっても、繰り返して言うその言葉自体が思いつかないし、忘れてしまう。なさけない。今になって考えるとワーキングメモリ障害ということになるのであろう。

2007年12月25日(火)
 おや、なんか少しだけ複雑な話や微妙な言い回しができるようになってるぞ。サンタのプレゼントかな。


Merry Christmas

<STの評価>
第3期(平成19年10月22日〜)4回/週、60分
 4コマまんがの説明、語想起、複雑な文の理解、短文作成(3語を用いて)、復職に向けて業務内容の分析
 4コマ漫画の説明は内容のとり間違え多い。また、見たままの理解であり、話のオチが説明できない。一コマずつ説明するのは何とか可能。
 職場復帰に向けて、職場内で難しいこと・できることを自己分析してもらう。自己の能力をしっかり把握できている様子。
☆平成19年12月より定期的に職場へ、20年1月より現職復帰

WAIS-R実施(平成19年12月14日)
  VIQ:102 PIQ:111 IQ : 107
 言語性の物事の知識を問う課題ではスムーズだが、応用し説明を求める課題でやや困難。動作性課題では、処理は正確だが、速度低下を認める。

2007年12月27日(木)
 耳鼻科受診。ずっと前から(術後)口内炎ができているなと思っていた。口が思いっきり臭い。膿栓だった。これは誰にでも一つや二つはあるそうで、扁桃の表面にある腺窩と呼ばれる小さな穴に、細菌の死骸や壊死した細胞片、食物のかすなどが溜まることによって、できたり取れたりしているとのこと。こんなことは以前はなかった、代謝機能が落ちてるんじゃなかろうか。で鉗子みたいなもので掻きとられた。これはしばらく続いたが2008年5月5日に歯ブラシで膿栓を取って以降、できていないか気づいていないかどちらかである。少なくとも口臭はしなくなった。

2007年12月29日(土)
 鞄の製図を行う。1月27日までかかって旅行鞄を作る。底板を勘違いして作り直したり、金具の穴をあけなおしたりしたが、とにかく、前2作とは異なり本格的な鞄である。この後、どんどん鞄を作って行く。ところが術前は1ヵ月に一つは新作の発表を行っていたのだが、2ヵ月に一つのペースに落ちてしまった。



鞄らしい鞄がやっとできた

2008年1月2日(水)
 今日は、病院から退院して家に帰っていた親父の見舞いに行く。元気そうだ。

2008年1月7日(月)
 出社する。完全に復職した。STとは1ヵ月に1回は会って、困っていることとか相談することにした。リハビリの進み具合も見たいとのこと。
 実のところ、何とはなしにリハビリもこれで終了すると思っていたから、え、1ヵ月に1回も?って感じだった。
 新聞記事を要約する課題は、難しい説明は、どこから説明したらよいか悩み、時間を要する。STがうまくリードして引き出してくれる会話などでは、つまることが減ってきた。

2008年1月16日(水)
 頭痛がひどいので主治医の診察を受ける。
 Q:傷口が痛む。浮遊感がある。
 A:傷口上の頭痛は、手術時に切断された神経の断面が痛むのではないか。炎症を
   起こしているようにはない。治るのには時間がかかる。浮遊感があるのは、
   この頭痛と関係があるかどうかはわからない。治療としては痛み止め(ロキ
   ソニン錠)を出す。日に1回ぐらい飲んでみて回復具合を見てみる。服用少し
   後で眠くなることがあるが、仕事にはさし障りがない程度。服用は空腹時はだ
   め。食後か胃に牛乳かパンなどを入れてから服用すること。
 Q:味覚が甘く感じられる。
 A:薬を変更してみる。エクセグラン朝夕各1錠からデパケンR朝夕各2錠に変更。
   味覚に関して効果が出るには3〜6ヵ月くらいかかる。デパケンR錠は効く時間が
   限られているので必ず服用時間を守ること。2月20日に血液検査をしてみて肝臓
   への影響、過剰摂取になっていないかなどを調べる。
 心配したりストレスはよくない。言葉の出方も少なくなる。疲れないようにすること。

2008年1月17日(木)
 言語リハビリ。ST「1月4日に比べて話の仕方がスムーズになっている。途中で言葉に詰まったり考え込んだりして会話が途切れることがほとんどなかった。会話ではすべて一方が話を背負ってしまわなくてもよく、微妙なやり取りで充分なところもある。気負わずに話した方がよい」
 私「このところ疲れる。日課を片付けるなど決まった仕事は時間をかければ出来るが、模索しながら進めることや、アイデアを思いつくこと、制御がどうしたとか熱計算がどうしたとかなどは、まだできないし言葉で言いたくても説明できない。考えつかないこともある」

2008年1月18日(金)
 ロキソニン錠を飲んだ
 そうだ日本語がだめなんだったら、いっそこの機会に外国語を習得してやろうと考えてやっては見たが、CDの言葉が頭の中を右から左に通り抜けるだけだった。ま、そんなものか。憶えられないからね。


冬の海

2008年1月25日(金)
 会社で昼休みが終了し、コーヒーを飲んでいるとき(会議中)に腹痛がおこった。たぶん尿管結石であろう。1週間程度前から頻繁に尿意を催したり、胸が締め付けられるように一寸の間痛かったり、歯がこれも一寸の間痛んだりの兆候はあった。以前にも定期的に尿管結石は、やっている。どんどんと足踏みをして上下の衝撃を与えてみるが治らない。
 近所のかかりつけの病院で診察を受ける。はたして尿管結石であった。右側尿管に2mm程の石があり、右腎臓が腫れて、さらにその内部に1mm程の石がある。ロワチン(石を溶かして排出する薬)、ボルタレン(痛み止めの座薬)など処方された。

2008年1月31日(木)
 言語リハビリ。STに「しばらくして」とか「少しの間」とか、時間の経過を説明する言葉などが出にくいことを伝える。これは、今でもちょっとだけ注意して話さないと(ちょっと間を置いて話さないと)けっこうな問題である。
 最近、文字を一旦書いておいてから先頭に書き加えるときに、例えば6文字入るなら6文字分空けなければならないのを4文字分しか空けていなくて、よく失敗する。空間・時間に対して予測することができない。例えば、その作業に充てるべき工数はどれくらい必要かとか、コストダウンが金額的にどれくらいできるかとかいったことである。これは気をつけてはいるのだが、症状は改善したが現在でも同じ。術前はこういうことはなかった。
 ユーモアのセンスが戻ってきた。テレビを見て笑うタイミングが元に戻った。

<STの評価>
第4期(平成19年12月11日〜) 1回/週、60分
 ニュース要約、語想起、短文作成、職場での様子をレポート
 文章が複雑であると、内容を把握するまでにやや時間を要する。時間をかけて、自分の言葉で説明しようとする。

2008年2月6日(水)
 デパケンRに変えてから調子がいい。疲れ方が違うし浮遊感が全くない。味覚はかなり戻っている。右肩が痛いのは続いている。ちょっとしたときに右肩に激痛が走る。
 おそるおそるCADを使ってみる。これはパソコンを使って図面を書く装置である。CADならば完全とは言えないまでも使える。

2008年2月9日(土)
 近所の整形外科で右肩が痛いのを見てもらう。五十肩であった。これから1週間に1〜2度リハビリに通うことになる。

2008年2月11日(月)
 久しぶりに東京へ出張した。展示会の見学である。まぁホップ・ステップ・ジャンプの初期段階でのホップだとは思う。
 写真blogを再開した。キャプションをつけるのに、この先半年くらいは、どうにも調子が悪くて苦労した。今でも調子が良くないときはあるんだけどね。
 東京出張から帰ってから、夜に結石が排出された。まぁ刺々しい形をしているものじゃわい。翌々日に例のかかりつけの病院に持って行き、分析依頼をする。


久しぶりの羽田は雨だった

2008年2月20日(水)
 主治医の診察。私が、前回通院時が頭痛のピークだったようで、それ以降はおさまっている。浮遊感がほとんどなくなった。味覚のようすは、甘ったるく感じることはなくなったと報告する。
 言葉の戻りが急に良くなったと思っている時期と、現在もそうだが、あまり進んでいない時期があると思うとの問いかけには、いつでも戻るので、話すこと音読することなどを積極的に実施すること。
 この日の朝はたまたまどうしたことかうっかりしていてデパケンRを飲み忘れてしまった。せっかく血中薬物濃度の検査があったのに・・・(結果は40μg/mlであった。治療域は50μg/ml以上)

2008年3月1日(土)
 例のかかりつけの病院で診察を受ける。結石の分析結果はシュウ酸カルシウムが80%に、リン酸カルシウムが20%であった。腎臓そのものの性質で結石ができているのかもしれない。食事は関係ない。頻繁におこるなら一度、副腎皮質ホルモンの検査をするといいが、それが原因であれば、もっとたくさん結石があるはず。腎臓の結石はまだ残っている。3ヵ月後か痛んだ時に一度来院するといい。日頃から水分をよく摂ること。とのことであった。

2008年3月5日(水)
 言葉が今までより、よく出ている気がする。
 このところ、闘争心(怒りの感情)が以前より弱くなっていると感じる。言ってみればいつもニコニコしてる好々爺って感じである。まぁこの2年の間に、ぼちぼちとは改善されてきたようだ。

2008年3月23日(日)
 3月20日の夜から38℃台の発熱があり、近所の医者を受診する。インフルエンザではないらしい。総合感冒剤PL顆粒、トランサミン錠250mg、フロモックス錠100mg、せきどめシロップを処方されて帰ってくる。

2008年3月24日(月)
 19時20分頃、夕食後に痙攣発作がおきる。救急車で大学病院へ搬送される。
 たまたま帰省してきていた次女が、私の右顔面が下がり硬直し始めたのに気づいた。その前に「アッ」といってあたかも飛んでいる虫を右手で追っ払っているかのような仕草をしていた。
 ここからは意識がなくなった。体全体が硬直し目を開いたまま震えている。顔面が黄色くなり唇は紫になっていた。口の中を切った。「アッ」と言ってから硬直するまでに少し時間があった。発作がおさまって呼びかけに反応するようになってから、眠った。この間5分程度。
 救急車が来たけれども記憶がない。担架で運ぶ前に立ち上がった。救急車に乗ってすぐに「どうなっとん」と、かみさん・次女に聞いたそうだが覚えていない。救急車の中でセーターを脱いだ時点ではまだ意識がもうろうとしていた。20分間ぐらいの記憶がない。  搬送し始めて、少し経つと、意識がはっきりしてきて「今は何月ですか?」「名前は?」に答える。いわゆる見当識チェックというやつである。
 大学病院ではCTを撮ったが、異常が見られず、3月26日に予約をしてもらって帰った。  これは後で聞いた話だが、かみさん、次女ともに大活躍だった模様。どうもありがとう。大学病院が当番の救急指定病院ではないのに、電話をかけて受け入れてもらえるかどうか交渉してくれていた。
 首の片側に湿疹のようなものがポツポツ出ている。診察してもらっている頃もずっと吐き気があった。

2008年3月25日(火)
 朝、首の湿疹が体の前半分くらいを囲む形に出ている。
 近所の医者に薬と湿疹との関係について聞く。高熱とウィルスが誘発したのではないか。薬は一般的なもので、原因としては考えにくい。湿疹は薬疹ならおなかなどから体全体に広がるはず。とのこと。
 夜、湿疹は首から体の前部に広がっている。首、体の前部が痒い。

2008年3月26日(水)
 主治医の診察を受ける。痙攣発作は、ストレス・過労・高熱が3大要因としてあげられる、これらを避けることによって起こらなくなる。高熱時には緩やかに熱を下げる効果があるので、ロキソニンを飲むとよい。(これまでロキソニンは痛み止めとしか考えてなかった。そういえば他の消炎鎮痛剤も解熱剤として有効だったことを思い出した。失敗した)
 かみさんの、痙攣時には頭を上げた方がよいのか下げた方がよいのかとの問いかけには、痙攣時にはどちらかというと頭を上げ気味にした方がよい。なぜなら脳圧が上がっているため。
 後療法は基本的にはしない方向だが、脳波・MRIなどの検査結果を見てから考えましょうとのことであった。

2008年3月28日(金)
 痙攣発作が起きた後から、ふらふらと浮遊感のようなものがある。それから、目の下にクマができている。目の下のクマは今でも治っていない。
 言語リハビリ。このころ実施していたのは、カード憶え、語想起、ジャンル別名前出し、最近のニュースを文章にするなどで、順調にこなせた。このSTの前では言葉が出やすい。会話が難しい話題ではないし、ゆっくり話しているということも、ある意味効果的なのであろう。かみさんや業務の場では、難しい話題や、ややこしい話題、さらには人から聞いたことを伝えるといった場面もあり、相当苦労させられる。
 言語野ではなく言語捕捉野が手術のためダメージを受けているので本来の失語症とは異なる。とにかく話す機会を多く持つことがよい効果をもたらす。とはこのSTの弁。

2008年4月1日(火)
 いままで、世界は当然自分を中心に回っているとひそかに思っていた。斜に構えて、人を見下しているようなところがあった。それが痙攣発作で気を失ってから、あ自分もこういうふうになるんだ、自分が死んでもその後で世界は回り続けるんだな、と初めて気付いた。死の恐怖が遠のいていったとき、周りの人が素直に尊敬できるようになった。


ハンドバッグを作った

2008年4月14日(月)
 風邪で喉が痛いので近所の医者にかかる。総合感冒剤PL顆粒を処方される。またも首から額、胸にかけて湿疹が出る。4月15日に受診して、湿疹が出たので薬を中止してくれと訴える。藪医者である。
 術前は薬にはアレルギーはなかった。おかしい。

 この時期の言葉に関することを振り返ってみるとこうなる。
 年賀状の宛名書きと近況報告を自筆で書き加えることについては残念ながら断念した。
 さらに、復職したとは言っても言葉が喋れなくて計算ができないから、お荷物に他ならない。文字通り「曲がりなりにも復職」だ。リハビリ効果が上がるからという理由で、席に居させてもらっているというのが本当のところ。ちょっとした仕事の用事でも、短い言葉で話しかけるのでも詰まってしまうんじゃないかと思って、頭の中で複数回つぶやいて練習してからしゃべるようにしていた。これが、複数回つぶやいてといっても、繰り返して言うその言葉自体を忘れてしまう。なさけない。CADの操作はなんとかできる、パソコンの操作も時間がかかっても良いというのであればできる。この間に2月11日を始めとして出張にも4度出かけてきた。
 「しばらくして」とか「少しの間」とか、時間の経過を説明する言葉などが出にくい。それから時間的・空間的な予測ができなくなっている。例えば、その作業に充てるべき工数はどれくらい必要かとか、製品のコストダウンが金額的にどれくらいできるかとかいったことがわからなくなっている。
 闘争心が以前より弱くなっていると感じる。一方で、ユーモアのセンスが戻ってきて、お笑い番組などを見て笑うタイミングが元に戻った。
 この頃は、術前の状態に早く復帰したくてしょうがなかった。



<4.ぐんぐん良くなっていった自宅療養期> 000 <目次> 000 <6.よし、プレゼンテーションをやるぞ>