6.よし、プレゼンテーションをやるぞ
<5.曲りなりにも復職> 000 <目次> 000 <7.高次脳機能障害という言葉を知った>



2008年4月16日(水)
 営業のKさんから、例年おこなっている、ある講演会の講師の依頼があった。開催日は8月5日だそうだ。それまでには、いくらなんでも失語症は治っているはず。
 さあ、それからが大変だった。まぁ大変とはいっても、パワーポイントのグラフに前回から今回にかけて新しく得た結果を追加するだけ。それが大変なことは百も承知の上で引き受けた。リハビリになるから。講演時間は質問10分を入れて1時間だ。

2008年4月18日(金)
 車の運転は痙攣の発作が起きて以降、自粛してきた。一人で運転するのは来年の3月24日からという約束だ。会社にも、かみさんを横に乗せて運転していって、かみさんは運転交代して帰る。帰りは、かみさんが運転して来て、私が運転交代して帰るということにした。もちろん休日でもいっしょである。

2008年4月21日(月)
 3日ほど前から舌の右奥に何かできているようで違和感がある。言語リハビリの前に耳鼻科を受診する。左右葉状乳頭が長期間炎症を起こしているし舌の先も荒れているとのこと。周りの人は癌が転移したのでなくてよかったと思っているんだろうが、原発性脳腫瘍は転移しないことは分かっている。親父の舌癌で遺伝かなと思っているのだったらそれは心配する価値がある。でも、とにかく悪いものでなくて、ひと安心。亜鉛不足が考えられるとのことで、プロマックD錠75という薬を処方されて様子を見ることになった。
 言語リハビリはWAIS-R検査を再び行う。
 MRIを造影剤を注入したものとしていないものと2種撮影する。

2008年4月23日(水)
 主治医の診察。脳内にタンパク質の濃度が高い水があり、それが浸透圧の関係で、より大きくなろうとしている。このままの状態でよいか、水を取り除く方がよいのか、3ヶ月後の7月23日のMRIの状況次第で判断する。手術するとすれば8月中に数日間入院して局所麻酔により行う。
 総合感冒剤PL顆粒で湿疹が出たことを伝える。PL顆粒はアレルギーを起こしやすいとのこと。

2008年4月26日(土)
 近所の整形外科に五十肩でリハビリに通っていたのが、マッサージでやれるのはここまでとのことで、終了した。これから自分でリハビリをする。

2008年5月3日(土)
 今日明日と自宅から200kmぐらい南に行ったところにでかけた。かみさんと交替で運転する。まさに五月晴れって感じで清々しい。この頃から花がきれいだとか、空気が清々しいなとか自然の様子に、より注意が向くようになってきた。感動するってやつですな。今までは感動するとまではいかなかったように思える。


安芸の野良時計

2008年5月8日(木)
 脳が腫れているような感じの痛みがある。前日までの髪の毛が立つような痛みとは違う。左右の上部あたり。あまりひどくはない。手足の浮遊感のようなものが、痙攣の起こる前のような気がする(きがするだけ)。昼前にロキソニンを飲む。

2008年5月12日(月)
 耳鼻科の担当医師の診察があった。血液検査の結果、亜鉛は正常範囲で低めの値、鉄は正常値。腫れも引いているからプロマックD錠75を今後2週間飲んで終了。私は睡眠時無呼吸症候群のマウスピースの引っかかりが怪しいんじゃないかと思う。
 言語リハビリ。8月の講演へ向けてQ&Aを作ればいい。さらに、このSTがリハビリ仲間でやっている勉強会で、私の趣味のこととか仕事のこととかについて話をしてみろという。願ったりかなったりである。

2008年5月18日(日)
 STがリハビリ仲間とやっている勉強会での話題は、ちょっと考えてからリハビリ仲間でもあることだし、講演の内容が高齢者食とその装置に関するものだったので、8月5日の講演内容そのものずばりにした。6月20日開催。

2008年5月22日(木)
 8月の講演用のパワーポイントの修正は終わった。術前は1時間でも2時間でもずっーと、原稿を見ずにしゃべり続けていられた。まぁ今回は原稿を作ることにしますか。
 いままで喋っていたことを記憶の中から引きずり出してきて、何とか曲がりなりにも原稿に仕上げた。また、ある講演会の時にビデオを撮ったことを、かろうじて思い出して、これが後々役に立った。
 パソコンのキーボード上の「ー」の文字を入力することをしばしば忘れる。これは今でも続いている。術前はこんなじゃなかった。

2008年5月31日(金)
 親父の見舞いに行く。べつに緊迫している状況じゃないけれども、これから毎週かかさずに行く。かみさんと交替しつつ片道約200km運転する。
 革鞄を作るときに、菱錐という道具を左手に持って、それから右手に大きな木槌を持って振り下ろし、針の通る穴の位置決めをする。その木槌を持つ側の右手の握力が戻ってきたせいか、端っこを持って振り下ろす作業をすることができるようになってきた。

2008年6月3日(火)
 電話がかけられなかった。物理的にかけられないんじゃなくて、挨拶が出来ない、相手を気遣うことができない、さらに要件をメモすることができない。メモしろメモしろとはいうが、それは健康な時の話で、そもそもメモするということはスピードを要求されるから。ちょっと待ってねといって許される相手ならばいいが、許されない相手だって大勢いる。なんといっても話を理論立てて言わなければ、文字通り話にもならない。
 今日は会社で守衛所に電話をかけて車を手配するときに、挨拶からはじまって内容もしっかり言えた。事前に口の中で何度も復唱していたから。
 それが会話になると、かなり複雑なことも言えるようになっている。電話と会話では全く違う。しかし、まだ微妙な言い回しには苦労する。
 お弁当を食べているときに気づいたのだが、以前より手の震えが気にならなくなっている。気がつけば箸の持ち方に違和感がなくなっていた。

2008年6月16日(月)
 今日と明日は1年ぶりの県立中央病院での人間ドックである。思えば昨年の人間ドックがすべての始まりだった。重症の脳腫瘍に進展していれば助からなかっただろうと思う、かみさんに感謝。


夕焼け空

<STの評価>
第5期(平成20年1月31日〜) 1回/月、60分
 ニュース要約、語想起、4コマまんがの説明
 一つの題材についての話題は比較的スムーズであるが、次の話へ移る際話が途切れてしまう。会話の内容は、少しずつ複雑化している。
 語列挙・漫画の説明に軽度低下あり。その他の項目は正常範囲である。難しいことをたずねると、やや詰まったり・喚語に時間を要すが、日常のコミュニケーションは支障がない程度に改善している。
 仕事のスケジュールについて時間的な予測がつかない、難しい計算ができない。複雑な内容を説明しにくい。仕事の難易度を推測しにくく、部下に対して無理な事を言っていないか気になる。

SLTA結果 (平成20年5月12日)
文章作成 :接続詞、文のつながりはgood。内容のまとまりもわかりやすくなってい
      る。所要時間は、レポート用紙1枚を丸半日かかると。職場で作ったレ
      ジメは、助詞の誤り・文章の打ち間違えはなし。作成に3時間程度かか
      るが、困ることなく出来ている。電話などは、メモをとったり、内容を
      自分なりにまとめ人に伝える事が出来るようになっている。
説明課題 :言いたい事はあるけど、どうまとめて良いか時間をかけ悩む場面あり。
      パソコンや書字にて文章化すると、まとまりがある文章が書ける。時間
      はかかっても、文章化して表出する事をすすめる。
会話訓練 :主語が時々抜けたり、喚語困難もみられるが、難しい内容でも口頭にて
      伝達できている。ただ、砕けた表現や応用は多少難しい。本人が思って
      いる以上に、日常会話でのやりとりはスムーズになってきている。複雑
      な内容の説明は、文字に書いたら出来るが口頭では難しい。会話訓練、
      説明課題を行う。また職場での難しい事など話をきいていく。また、自
      主課題として文章作成してもらう。
      現職復帰後、少しずつではあるが言語機能は改善している。しかし、改
      善が目に見えにくく、本人の元通りにという気持ちが強く、焦っている
      様子。現在の仕事を行うことが良いリハビリになること、良くなってき
      たので変化は目に見えにくいが、少しずつ良くなっていることを説明す
      る。
計 算  :暗算できない。文章問題を理解するのに時間がかかる。数字を覚えてお
      けないと訴えあり。以前は暗算ですらすら出来ていた数式も時間がかか
      ることが気になると。全く出来ない訳ではない。数式の解き方を一度メ
      モする事をすすめ、見直し・再理解につなげる。能力が改善するにつ
      れ、本人の目標も上がってきているという事を説明する。
語想起課題 :車メーカー:12語(1分間)、「い」がつく言葉:8語(1分間)
      以前に比べ想起速度が上がっている。

2008年6月18日(水)
 来る日も来る日も1日も欠かさずに8月の講演の原稿を読んで声に出して言って憶える。ほんとうに1日も欠かさずにだ。初めは読んでいたが次第に暗記して言えるようになった。スライドごとの初めの言葉が出てくれば、その後は流暢に続けて喋れる。

2008年6月20日(金)
 とある喫茶店の多目的室でSTの仲間に、8月に行う講演のままの内容を聞いてもらう。ビデオとデジカメのムービーをセットして話した。そこで出された意見としては
 1.もっと間を置いて話すべき。トチリが隠せるかも。
 2.言葉に詰まったときには、違う表現で言い換えてみるとよい。
 3.ビデオなどで客観的に見てみる。
 4.一つのスライドに対して説明すべきことが多いときに、グラフ・表でつまることが多い。
 5.全体の流れとして分かりにくい。言葉が出ないからなのか、もとから分かりにくいのか
  判断できないが。
 6.強調する言葉は、声を大きくするかまたは一呼吸置いて話すべき。

 うーん、こんなことは全て分かっているんだけどなぁ。最近つくづく術前に帰りたいとの思いが強い。一方でSTは、リハビリという仕事に携わっていて、つくづくよかったと思ったそうである。
 それよりレーザーポインターを持つ手がとにかく震えてこまった。ポインターを持つ手元が震えるので、スクリーンに映ったときには増幅されてさらにひどくなる。左手で持って右手を支えにしてどうにかプレゼンを進めていった。この症状は8月に行なった講演の本番まで続いて、いつのまにやら、ひどくなったり収まったりしながら治ってしまった。

2008年7月16日(水)
 今までにもあったことではあるが、耳鳴りが頭の中でキーンと響くような感じがした。キーンとして一瞬耳が聞こえなくなるような気がする。
 頭の中でパキパキ、プチプチ、ピキピキというような音がする。
 フワフワ、フラフラするのは、薬の副作用かもしれない。
 最近になって、やっと乱暴な話し方ができるようになった。もっとも言語リハビリのSTが丁寧な言葉を使うので、つられて言ってしまうというのが本当のところ。それが一般生活でも尾を引いている。

2008年7月19日(土)
 親父の見舞いに行ったついでに、サーフィンをしていて頚椎損傷した同僚の見舞いに行く。彼は奇跡の回復を遂げて10月になった時点で、ぴんぴんしている。
 片道300kmかみさんと交替で運転する。


竜串

2008年7月23日(水)
 主治医の診察。MRIの結果は4月の状況とほぼ同じ、悪い状況ではない。頭の中の髄液は空間になった部分を埋めるためのクッションのような役をしている。高タンパクの水がたまると浸透圧で膨れて脳を圧迫するので良くないが、現在はほぼ水なので抜く必要なし。(なるほど当張液ってやつですな)
 後療法はなるべくしない方向で行く。
 頭の中でピキピキという音がする、浮遊感がある、耳鳴りがするのは、どれもデパケンRの副作用とは考えにくい。
 右手が震えることに対しては、ハンマーで右腕を刺激し、確認。神経の異常はない。手術部位が運動野の近くなので、そういう症状が出るのかもしれない。
 握力測定 右34kg 左36kg
 1年経ったということで8月21日に県立中央病院でPET-CTの予約をしてもらってきた。
 この頃から、かみさんにあらかじめメモしておいてもらっても、それを見ずに主治医に言いたいことが伝えられるようになってきた。まぁ、事前に何度も口の中で復唱していたからということもあるんだけど。だんだんこの事前に何度も口の中で復唱してっていう状態は解消していくことになる。

2008年7月24日(木)
 ある言葉を喋ろうとするとき、思いついた言葉にとらわれてしまい、つい面倒な、まわりっくどい表現になってしまう。例えば「家計の足しにしてくれ」というところを「家計を支える一手段」と言ってみたりする。言ってる本人は全く納得していない。これは、頻度は少なくなったが最近でも続いている。
 言語リハビリ。STから、言い方を「ていねい」「くだけた」「まわりくどく」など3種類くらい書き出してみるとよいと言われた。うーん、やろうと思ってしてみたが、できない。

2008年7月26日(土)
 ある会合で研修会の講師を行った。参加者約50人。8月5日の予行演習である。まず最初に失語症のことをカミングアウト。で、来る日も来る日も練習した甲斐があって、話の内容は大受けに受けた。女の人が多かったから。
 これをICレコーダーで録音した。話す内容は丸暗記である。質問は自分で答えられるところは答えて、その他は営業のYさんに代わって答えてもらった。

2008年7月30日(水)
 今日、やっと仕事で指導的なことができた。今まで行ってこなかったのかといえばそうでもない。あくまで「指導的なことができた」と思った。
 素材の微妙な味の違いや香りが分かるようになってきている。
 7月23日以降、頭が痛くなったり、耳鳴りがしたり、頭の中でピキピキと音がすることが気にならなくなった。本当は耳鳴りはするし、頭の中でピキピキと音はする。頭も痛ければ、眉毛を吊り上げたりするとつっぱる。でも平気だ。

2008年8月5日(火)
 いよいよ講演会本番。参加者約80人。うーん、この人数は昨年と一昨年の約120人と比べても寂しいな。以前他の場所での講演では500人ぐらいを相手に話していた。さて、気を取り直して話そう。まず最初に失語症のことをカミングアウトしてから、話し始める。話す内容は依然として丸暗記である。質問は自分で答えられるところは答えて、その他は例によって営業のYさんに代わって答えてもらった。ま、完璧とは言えないまでも我ながらよくやったと思う。自分自身としては違和感バリバリだったが、営業のKさんも、話の途中で駆け寄って手を握り涙を流したいと思った、と言ってくれたし。
 7月末までに失語症を克服できているはずだった。7月末になっても以前のように滑らかに話ができるというのとは全然違った。実のところ悔しい。

2008年8月11日(月)
 言語リハビリ。STに8月5日の報告をした。7月26日と8月5日とICレコーダーで録音していたものを聞いてもらう。
 4コママンガにセリフが入っていないものがある。それを4コマ続けて滑らかに説明することもよいのではとのこと。やってみたが、難しい。
 このときに、私がかかっているのは超皮質性運動失語(transcortical motor aphasia)であるということを確認した。
 過去の私のホームページの内容をなぞって書いてみた。うーん、いっぱい書くっていうのは難しいもんだなぁ。術前はそれこそ、いっぱい書いていた。それがどうしてもできない。



旅行鞄を作った

 この時期の言葉に関することを振り返ってみるとこうなる。
 なんとか元通りにという焦りの気持ちが強かった。パワーポイントを使ってプレゼンテーションも2度ほどおこなってみたが、勝手に予定していた7月末になっても失語症の克服はできなかった。7月末になっても(丸暗記でなく)以前のように滑らかに話ができるというのとは全然違っていた。
 電話がかけられなかった。挨拶、相手を気遣うことができない。さらに要件をメモすることができない。なんといっても話を理論立てて言わなければ、文字通り話にもならない。それが会話になると、かなり複雑なことも言えるようになっている。電話と会話では全く違う。
 一方で判断力・決断力は回復の兆しが見えてきた。



<5.曲りなりにも復職> 000 <目次> 000 <7.高次脳機能障害という言葉を知った>