4.ぐんぐん良くなっていった自宅療養期
<3.いよいよ手術だ> 0000000 <目次> 0000000 <5.曲りなりにも復職>



2007年9月15日(土)
 次女が帰ってきた。明後日に出発する。いつもとんぼ返りである。
 この頃は、まだ記憶もあやふやで、例えば毎朝顔を洗う時に石鹸を使用していたかどうかといったこと、保険の請求をするのに大切な通院給付金の書類を捨てていたことすら忘れてしまっていた。

2007年9月18日(火)
 長女が出発する。
 MRIを撮りに行く。今回は特別に神経科の医師が立ち会って、会話をしながら脳の中の神経の様子を見るもの。言語中枢に行っている神経の流れを撮影するためである。実際には、結局、神経科の医師は来なかった。MRIだけ撮影されて、そのまま帰る。文句を言おうにも言うことができなかった。
 手の震えが続いていたので、帰りに病棟に寄って、質問する。「きつい薬を使っているので、薬のせいかもしれない」とのこと。

2007年9月19日(水)
 「数を数えて、音読をしょうわい」と自分でいったことを受けて、近所の書店へ行った。小3から小6の計算問題と、漢字検定2級レベルのドリルを自分で選択する。
 また在宅介護研修センターへ行き、本を借りたり、購入したりしてきた。
 本と言えば、カメラ関係の新技術の解説が載っている本がある。この新技術が理解不能だった。文字では読むことはできても、意味がさっぱりわからない。こんなことは術前にはなかった。
 ここのところ、よく疲れて昼寝をする。

2007年9月21日(金)
 言語リハビリ。毎週、平日は水曜日以外、言語のリハビリがあることになった。筋力リハビリは言語リハビリの後で行う。以前も今後に関しても、かみさんはずっとリハビリ中も一緒にいてくれた。
 この頃、積立有給休暇の残りが少ない(いうても11月いっぱいまでは残ってる)のを、てっきり休職期間が満了することに勘違いして、会社を辞めさせられるんじゃないかと、通院の車の中で深刻に悩む。

2007年9月22日(土)
 退院してから、文章を作ること、文字を書くこと以外において、パソコンの操作はなんとかできるようになった。たまっていた個人のメールを読んだり、めでたく思い出したパスワードを使って会社のノートパソコンで会社のサーバーに接続して、そこでたまっていたメール・DBの処理を行う。ホームページの更新もした。「30万ヒットプレゼント企画のお知らせ」実は術前に段取りしておいたのであるが「手縫い革鞄のプレゼント」をUPする。それと写真blogの更新である。
 街なかの、いきつけの眼鏡屋で、顔が腫れているからという理由で、眼鏡の調整をしてもらっているときに、あるはずもないところに宝くじの看板があり、あとでどんなに探しても見つけられなかった。幻覚かもしれないと思う。あとで冷静になって考えると、どうやら車に載った看板が移動していただけだったようだ。
 頭の傷口が気になる。どうも糸が頭の中から出てきているもよう。


30万ヒットプレゼント

2007年9月24日(月)
 ホームページの更新をみてメールをしてきた会社の同僚Mさんと、それからFさんとで喫茶店で話す。かみさんも同席した。風がスースー入ってきて肌寒い日だった。失語症について打ち明ける。われながら、喋りが たどたどしいことこの上ない。ほとんど喋れないんだけど、以前のように大きな声では喋れない。その後FさんMさんとは復職するまで定期的に会うことになる。
 その時に掛かっていたBGMを小さくしてもらう。この時期は、テレビが掛かっていて、ちょっとした難しいことを考えるときに、その音量を小さくするとか、リハビリ中の廊下でのわめき声に気が散ってしまうとか、音に関して過敏だった。

2007年9月25日(火)
 ここのところ夜中の1時、2時・・・と「すさまじく起きている」よく眠れない。
 STから、横浜コミュニケーション障害研究会が監修している「失語症訓練教材のご案内」というwebページ(http://my.reset.jp/~comcom/)を紹介してもらった。これは役に立った。特に役立ったのは「PACEふうクイズのやりとり」である。「熊と猫、どちらが大きいですか」といった簡単な(いま思うと簡単であるが、当時としては難しかった)質問が書いてあって、それに名詞で答える形式のクイズである。
 それから、失語症というキーワードで検索していったら、「岡山言語聴覚士会のHP」(http://www.kawasaki-m.ac.jp/mw/commhw/okayamast/hajime.html/)、またこれもSTに紹介された「計算問題自動作成」(http://www.shoshinsha.com/study/index.html)が、初期のリハビリに大いに役立った。

2007年9月26日(水)
 主治医の診察があって、放射線の後療法は急ぐことではないし、とても必要とは思わない。まず、すべての機能を回復させるのが先。年内はゆっくり休みをとってリハビリをするつもり位のゆとりを持っていたほうがよい。
 ここからは、かみさんにあらかじめメモしておいてもらった1問1答である。こんな複雑なことはまだ言えない。
 Q:しんどい。
 A:1か月近く入院していたのだから、しんどいのは当然。筋肉も弱っている。すこし
   ずつ体力を回復させる。
 Q:最近よく眠れない。
 A:よく眠れないのは、しんどいから眠れないというのもあるかもしれない。
 Q:高い音でキーンと耳鳴りがする。
 A:耳鳴りがするのは、キーンという高い音ならストレス性の耳鳴りと思って間違い
   ない。
 他に、9月18日のMRIの解析はまだできていないとのこと。
 傷口は、本来溶けてなくなるはずの吸収糸がアレルギー反応を起こして、どんどん外部に押されて出てきているとのことで、抜糸してもらって帰ってきた。
 眠剤(アモバン)が処方された。睡眠導入剤だそうである。いくら睡眠導入剤だからって、この夜に寝ぼけて洋式便器の蓋をしたまま小便をしてしまった。あらら、なんてこったい。しかし、よく眠れはした。

2007年9月27日(木)
 昨日の「年内はゆっくり休みを取って・・・」というくだりに、ちょっと不満そうなST。それが長いと思っているんだか短いと思っているんだか聞きそびれてしまった。後で思い返してみると、あまりにも短いことへの不満であったんだなぁと思う。私にとっては、とても長すぎると思っているのに。
 語想起という課題を始めた。これはあるジャンルの言葉(「寿司ネタ」とか「冷蔵庫に入っているもの」とか「野菜」など)を思い浮かべて1分間にどれだけたくさん声に出して言えるかという課題である。最初は1語しかできなかった。時間制限がなく且つヒントを与えてもらえると、そこそこ出せた。
 手術の後から痛かった耳の下のかみ合わせの部分の関節が、今日から痛くなくなった。
 左の眉の上部が腫れているところと引っこんでいるところがある。前から考え事をするときに指で押さえる癖があるので、手術で腫れていたので、よけいに型が付いているんじゃないかなと思う。

2007年9月30日(日)
 ホームページの写真blogをやめてしまった。8月に撮りためていた写真がどう見ても季節外れだという理由で。(ほんとうはキャプションをつけるのが苦痛であった)


夏に撮りためておいた写真

2007年10月1日(月)
 言語リハビリはこのところ、あるものの意味が書かれていて、それを名詞で答える宿題をこなす。高頻度語なら単語で概ね書けるところまで書字力が向上してきた。例の絵の描かれたカードは、12枚並べてSTがその名前を順に4枚言ったことを憶えておいてから、カードを指しながら答える。4語までなら言える。STが一旦そのカードをしまって世間話をしてから、さっきのカードがどの配置で並んでいたかを当てるのは9から10枚はできるが残り2、3枚ができない。
 「今日から眠剤を飲まないようにしよう。それがために歩きに行こう。食べる前にいこう。食べた後で行こう」と言ったことを受けて、夕方近所を散歩する。
 傷口をよく触るのは「傷の痛さに加えて、吸収糸が入っているような気がして、しょうがないから」
 デパートで冬用のYシャツを購入する。店員が話しかけているのだが、上手に受け答えができない。ま、かみさんがフォローしてくれたけど。

2007年10月2日(火)
 「このところ、ちいと違うけん」(少しは進歩があるけど)
 「グリオーマごときで何年辛抱しよんじゃ。どれだけ頑張らないかんのかいな。」
 「この経過は、貴重な経過であるがゆえに・・・手術の日とは明らかに違う。体の状況が違う。・・・よくなってないから(言葉の状況・普段の生活の状況)心配なんじゃなくって」
 「頑張って、頑張ってしよるけど・・・思うようにできない。他の人は何もせんでもスッと出る」
 筋力リハビリは卒業した。右手握力25.6kgは少し弱いが、後は細かい指先作業などで補うこと(左手握力33.6kg)。またストレッチをすること。とのことだった。
 言語リハビリでは計算の宿題が出た。これは、ごく易しい2桁未満の足し算引き算であった。この頃はその「ごく易しい」計算も難問に思えた。

2007年10月3日(水)
 9時から、かみさんといっしょに会社に出かけて休暇の件他を話してきた。帰りに実験場に寄って、いろいろと進捗状況なども聞いてきた。ところが脳に霞がかかっているような、ぼーっとしている状態で、今言われたことをもう忘れてしまうありさまである。なさけない。
 帰ってから疲れて寝てしまった。

2007年10月6日(土)
 姉が見舞いにやってくる。親父が大変な時にようきたもんだ。帰りに高速の入り口まで車2台で送って行く。高速の入り口は2つある。その一方に向かうわけだが、姉の車の助手席に乗ってから、前を行くかみさんは勘違いしているらしいと気がついた。そこで手招きして車を止めさせて、言葉で正しい行き先を何とか伝えることができた。

2007年10月7日(日)
 自家用車は2台所有している。ノートとスマートである。そのスマートを10分ほど運転した。ほんとうは厳密に言うと痙攣発作のおこる危険により1〜2年運転することは禁止だが、車がないと話にならないということであれば、禁止期間はまぁ3ヵ月とのことであった。フライングだけど1ヵ月半で運転してしまった。
 車を運転する前から体がだるかった、
 「午前も午後も寝よったやろ(退院直後には)・・・というしんどさじゃない」
 「特に寝れてなくはなくて、退院するころは(病院で)眠っていなかった。(昼寝はしていなかった)」
 「今はウルソ(肝臓の薬)が効いていない」
 体がだるいので病棟に受診希望の電話をかけた。そして時間外外来に行くことになった。受診、血液検査異常なし(肝臓の値もよい)、CT異常なし。ストレスから来ているしんどさかもしれないので、10月31日の受診まで様子を見ることになる。不思議とそのあと体がだるいのは回復した。
 今日の診察前のだるさを基準として、0(調子が悪い)から10(調子が良い)まで点数をつけることにした。今日の点数は3。10月前半は3から5、後半は6から8であった。

2007年10月8日(月)
 例の「30万ヒットプレゼント企画のお知らせ」の当選者に手縫いの革鞄を発送する。術前に制作しておいたリュック型の革の鞄である。後にこれも事前に段取りをつけておいたページに、当選者の喜びの声を貼り付けただけのもので「30万ヒットプレゼント企画の記録」としてUPした。

2007年10月9日(火)
 「頭、額が痛い・・・いつも痛いわけではない。吸収糸が出てしまったあと傷口がきちんとふさげているのか」言語リハビリの後、脳神経外科受付で吸収糸のことを尋ねる。「吸収されずに傷口がふさがっただけだから、傷口の治り具合に影響はない。吸収されなかったからといって心配はない」とのこと。

2007年10月10日(水)
 午前中、在宅介護研修センターに本を返しにいった。帰りの車の中で、この道を以前通ったときには、もっとボーっとしていて霞がかかったような状態だったが、今は相当改善されているということに気づいた。
 午後から思い立って、近所にある海の中に大きな岩があって陸地側には小さな祠のある場所に写真を撮りに出かけてみた。最近、気持ちが落ち込みがちで沈み切っていたのだが、これではいかんと思い、出かけてみたところ、空も快晴でとても爽やかで心まで晴れ晴れしてきた。この場所には気持ちが落ち込むたびにときどき来ることになる。今までで今回を含めて3回ぐらいかな。翌日も翌々日も棚田・海岸沿いの道の駅に写真を撮りに行った。
 言語リハビリはこのころ、12枚のカードで例によってSTが連続して読み上げた5から6枚について今度は私が名前を言ってさししめしたり、9月6日の時点でもそうであったように、なぜだか全部ではないが英語の発音になってしまうカードの名前をいったり、あるジャンルの言葉を思いつくまま1分間で言ってみたり、セリフのない4コマ漫画(昔懐かしいクリちゃんの漫画)の状況説明をしたり、宿題でクロスワードパズルのごく易しいものをおこなったりするまでに回復していた。あるジャンルの言葉は平均10個/分 程度思いつく、クリちゃんの漫画は説明することがまだまだ難しい。単語での説明が中心となってしまい、内容のオチなどは分かりにくい状態だ。
 計算に関しては「脳を鍛える100問の例題集」(これは1桁から2桁の足し算引き算と九九を組み合わせた計算)の答えを声に出して言うというのが、9月28日の時点でおおよそ10分もかかっていたものが、10月10日の時点で約4分に短縮されていた。これは発語ができにくかったのが訓練してできてきたということであろう。


白石の鼻

2007年10月14日(日)
 今日初めて革を縫う。平縫いで20cmの往復である。思ったより、まともに縫えた。
 この頃から、9月27日に一旦痛くなくなっていた、あごの骨がまた痛くなってきた。
 車を運転する道順は、ちゃんと教えることができる。そこ右とか、左に曲がれとか。しかし、通って来た道を説明するとなると、これが全くできない。頭の中では、わかっているのだが、それを声に出して喋ることができない。

2007年10月16日(火)
 術後初めて散髪を行う。吸収糸を取り除いた傷口が開いていていたので、2週間禁止されていた。
 通院の車の中で行っている、しりとりのスピードがだんだん速くなってきている。最初は次の言葉を思いつくまでに数分を要していた。しかしこの頃は、最初に末尾に「ん」の付く言葉をわざと言ってから、その後で正しい答えを言う余裕も出てきた。
 この頃リコーのコマーシャルで「伝えるって、どうしてこんなに難しいんだろう。伝わるって、どうしてこんなに嬉しいんだろう」というのがあった。共感して涙を流す。

2007年10月17日(水)
 かみさんの運転で自宅から40kmほど西へ行ったところにある海岸沿いの料理屋で、年賀状のことが話題に上る。この時点では、いくらなんでも2か月もリハビリにかからないだろうと、たかをくくっていた。自筆で宛名を書いて近況報告をすることができると思っていた。

2007年10月19日(金)
 意識せずしたことは、時どき記憶がないことがある。
 言語リハビリでポンチ絵を見て、パンダが犬を洗ってやっている。犬がパンダに洗ってもらっている。犬がパンダを洗ってやっている。パンダが犬に洗ってもらっている。という説明をする。とても難しい。まわりっくどく、馬鹿丁寧な表現になってしまう。例えば「犬がパンダを洗って差し上げている」などといった具合である。
 今でも受動と能動の関係、分子と分母の関係、単位の換算には途惑う。

2007年10月21日(日)
 かみさんの運転で自宅から約80kmほど南に下った所にある、お寺などにドライブした。すっごい数の階段を上ってから下りて行っている時に、古傷の右膝をやられた。特に下りて行ってる時にズキンズキンと激痛が走る。下りてしまえば、へっちゃらである。痛くない。
 その昔、キックレバーの付いた単車を所有していたのだが、古い単車でバッテリーがあがっていたものだから、キックしてかけていた。これまたキックレバーが古いもので、トルクがかからずにすっぽ抜けて(すかくらうと言う)、非常に痛い思いをした。うずくまるほど痛かった。それはそれで若かったこともあり、なんともなく過ごしていた。また一昔前に単車で事故をした。クランクケースと歩道の間に膝が挟まって、クランクケースが割れた。当然膝も怪我をした。そんな前科があるので、年をとって体のあちこちにガタが出てきたせいで、出張に行っているときとか長い距離を歩いているときに、(特に階段がきつい)いつもいつもじゃないけれど膝の痛みが出ることがあった。


岩谷寺

<STの評価>
第2期(平成19年9月20日〜)外来にて4回/週、60分
 呼称、語想起、聴覚的把持力訓練(3-4単語pointhing)、複雑な文の理解・ことわざ、クロスワード
 理解は、ほとんど支障がない程度まで可能。表出は、自発話もスムーズになってきたが、緊張したり、詰まるとなかなか出ない。意識しない会話では、喚語困難少ない。

SLTA評価(10月22日)
 語列挙・漫画の説明に中等度の低下あり。また、書字や書き取りに軽度の障害あり。日常生活では、理解は支障をみとめない。表出は、喚語困難をみとめ、相手の推測がやや必要。

2007年10月23日(火)
 言語リハビリで標準失語症検査(SLTA)を行った結果について説明された。全般に能力がもどっているが、詳細な説明、複雑なことが苦手、とのこと。
 STが、数を1個から初めて連続して12個ぐらい順番に言うのを聞いて、今度は私がその通り順番に言う。これは何個でもできる。こんどはSTが言った逆の順番に私が言う。これは4個が限界である。これはオウム返しに言うのと、ワーキングメモリに記憶しておいてから逆に思い出しながら言うのとの違いであろう。
 あるジャンルの言葉を語想起するのは10語程度可能となったので、「あ」の付く言葉を1分間で何個言えるかというのをやった、初めは2、3個だった。今日は「や」明日は「ふ」といった具合にだ。うーんむずかしいなぁ。5、6個ぐらいでギブアップする。その後で時間制限がなくて、しかもヒントを与えてもらえると、いっぱい言える。

2007年10月24日(水)
 朝、革を染色する。翌々日に、かみさん用の手帳カバーが仕上がる。
 実は術前の7月29日から始めていたカメラバッグの設計を再開するべく、ちょっと頑張っていた。しかし、こんなカメラバッグのように難しい物は諦めることにして、手帳カバーなど簡単なものから始めてみることにした。
 この後、10月29日に開始して11月14日に完成することになるポーチ。これは過去に設計図ができていて小変更を行ったものである。ところが、胴と、まちの縫い目の数を合わせるところで(本当は簡単なんだけど)勘違いして苦労させられた。

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術後に初めて仕上げた手帳カバーとポーチ

2007年10月27日(土)
 例の会社の同僚とリハビリを兼ねて喫茶店で定期的に会っていたのだが、このころは聞き役に回るのでなく、仕事のことやプライベートなことで自分からなんとか能動的に話しかけることのできる話題が増えた。
 このところ気温の変化に体が順応しない。ここまで着込むことはないじゃろって感じで、シャツ、Yシャツ、セーターにジャケットを着込む。体が気温に過敏に反応している模様。この症状は1シーズンだけで治ってしまった。

2007年10月28日(日)
 電車に乗って親父の見舞いに病院へ行く。このところ入退院を繰り返していた。12月にはスマートを自分で運転して来るぞと誓う。
 眼鏡をかけているのは近視だから。ところがこの4月から老眼が入ってきたので、近くを見るため専用の近視の度数を落とした眼鏡を使っている。それが結構かけ心地が良くなっていることに気がついた。このところ遠くを見ることより手元を見ることのほうが多くなっている。比喩的に言うと視野が狭くなっていた、手元しか見えなくなっていたということかな。それが証拠に、この症状は1、2ヶ月続いて解消してしまった。今では、手元を見るときにはこの眼鏡をかけているが遠方を見るときには度のあった遠近両用を使っている。
 融通が利きにくくなっていることに気づく。それから何度も何度も聞き直してしまう。これは2年たった現在でも同じである。

2007年10月31日(水)
 主治医の診察。例によって、かみさんにあらかじめメモしておいてもらった1問1答である。
 Q:傷口がズキンズキンと傷む。
 A:傷口がシクシク痛いというのはある。ズキンズキンと傷むのは炎症を起こしてい
   る時だが、見たところは炎症を起こしていそうにない。痛み止めの薬を飲み、
   様子を見てみる。
 Q:9月18日の神経MRIの結果は?
 A:9月18日の神経MRIの結果は解析ができておらず、次回。
 Q:顔に湿疹ができている。
 A:顔の湿疹は薬のせいかどうかわからないので、様子を見てみる。
 Q:手に力が入らず製図の線が引きにくい。
 A:神経そのものはあるので統合的な微妙な動きが思う通りにできにくくなってい
   る。訓練すること。(あとで考えると、このときすでに五十肩が発症してい
   たのかもしれない)
 Q:口の中が妙な味がする。
 A:頻度は低いが、抗痙攣剤で味覚がおかしくなることもある。しかし症状が出ると
   すれば、もっと早く出ているはず。しばらく様子を見てみる。場合によっては
   薬を変える。

2007年11月1日(木)
 例の体調を元にして0(調子が悪い)から10(調子が良い)まで点数をつけることにしたものは、11月7日までは7から8、それ以降は8から9.5であった。あくまでも、この時感じた体調である。今から考えると、この時感じた体調からマイナス3ポイントしたのが妥当であろう。

2007年11月2日(金)
 そうだ、竹富島へ行こう。昨年も行ったのだが、健康な時に行ったところへ行くと、健康を取り戻せると思ったから。で、急遽、インターネットで航空機の予約を行う。2人分のANA特典航空券が使える路線がある、でも住んでいる土地の空港から直接那覇までゆく便はすでに満席。しかたなく福岡・那覇・石垣と3便乗り継いで行くことにする。こんな予約も何とか自分ですることができた。ホテルは、かみさんにお任せで、必殺電話掛けまくり作戦あるのみだ。結局、11月21日出発で、3泊4日に決まり。

2007年11月3日(土)
 本当に久々に、自転車で近所を散歩する。去年、竹富島に行ったとき以来だ。竹富島に行ったら自転車を借りて回らなければならないからね。

2007年11月6日(火)
 言葉(考えていること)が出やすい気がする。会社の連中が書いたメールは読むことができるので、それをお手本として、まったく同じものをパソコンで書く練習を始める。
 しかし自分で考えながら書こうとしてみると、マウスをグルグル回して、考え込んでしまう。また、「あ、それ喉まで出かかっているのに忘れてしまった」ということがよくある。

2007年11月9日(金)
 例のクリちゃんの漫画の説明は、1コマずつならスムーズに説明できるようになってきた。
 傷口の痛みはおさまってきている。額の痛みは波があるが大したことではない。あごの痛みは、そこそこ、治ったりひどくなったりしている。
 術後から決断・断定ができにくくなっている。例えば、この花の名前はなんだったっけとか、このお店はいつ頃からやってたっけとか、この薬の主成分はなんだったっけとか、かみさんに聞かれると、「○○○だ、と思う」「○○○だと思うが、そうじゃないかもしれない」という表現になってしまう。

2007年11月10日(土)
 いきつけの眼鏡屋で眼鏡の調整をしてもらう。顔の腫れが引いてきているので少々がたがたするから。
 この頃は、どんどんすっきりしてゆく感じがあった。今以上それ以上にすっきりはっきりしてゆく。頭のなかで霞が晴れてゆくようであった。こんな経験はめったなことでは味わうことができない。

2007年11月11日(日)
 この頃は運転もしっかりしてきたので、スマートを運転して自宅から80kmほど南へ下った山の中に紅葉狩りに行った。紅葉が、はらはらと舞ってなかなかきれいだ。


紅葉狩り

2007年11月13日(火)
 言語リハビリで今後の相談をする。「計算はある程度、到達しているので、”100問の計算”のような即、答えを出すような計算は続けてもよいが、複雑なものは、する必要がない。目から見て、耳から聞いての文の内容を要約する。多数の人と話すなどに時間を使うとよい」
 計算に関しては「脳を鍛える100問の例題集」の答えを声に出して言うというのが、10月10日の時点で約4分もかかっていたのがこの時点で約2分半に短縮されていた。このあと年末まで時間計測を続けて約1分半でできるようになった。まぁ何度も繰り返し繰り返し計算しているから、憶えちゃったというのもあるかもしれないしね。複雑なものは、する必要がない、とはいっても「計算問題自動作成」(http://www.shoshinsha.com/study/index.html)は繰り返しやった。

2007年11月14日(水)
 今日も例によって自転車で散歩した。15kmぐらい遠出した。15kmぐらいで遠出とは言わないのかもしれないが当時の私としては遠出に思えた。

2007年11月15日(木)
 この時期の言語リハビリは、新聞の記事を読んで、それをまとめる。文を見ながらだと書いてある表記のまま言ってしまいがちになるので、問いに答える形式にする。書くと、時間はかかるが3行程度の文ができる。
 通院の車の中で50音順に語想起をしていたが、今日から会社の機械の説明をする。これが結構難しい。
 近所の喫茶店で東京から帰ってきていた営業のKさんと話をする。商品戦略的なこととか、商品が売れた話とか、他にもプライベートな話、息子さんが結婚した話などである。明日もリハビリに付き合ってもらうことにした。
 頭は痛いし(傷口が左右2ヶ所痛かった)、左の額が大したことではないが、ずっと痛い、湿疹はある(額、耳の周辺、首、胸あたり)し、以前からずっと耳鳴りがしている。

2007年11月17日(土)
 電気屋でシーリングライトを買ってきて取り付ける。こういうことは何とか苦労しながらでもできる。でも、すこし疲れて昼寝する。

2007年11月18日(日)
 今日から、この文章の元になっているノートを自分でつけることにする。

2007年11月19日(月)
 この頃の言語リハビリは、16枚のカードを並べて置いておいて、例によってSTが連続して読み上げた8枚について、今度は私が名前を言ってさししめすことができるというところまで回復していた。STが一旦そのカードをしまって世間話をしてから、さっきのカードがどの配置で並んでいたかを当てるのは14枚程度はできるが残り2、3枚ができない。
 頭とは関係ないが、腰が痛い。
 ずっと以前から頭(額)がのしかかるように感じられる。ずっとっていうのは、いつ頃からは判断しがたいが、10月31日に診察があった時点では、なにごともなかった。

2007年11月21日(水)
 さあ、旅行に出発。朝、自宅を出て航空機3便乗り継いで石垣島に泊まる。あやぱにモールの「いちば食堂」へゆく。帰りに、お土産の品定めをする。

2007年11月22日(木)
 高速船で10分ほどの竹富島へ渡る。民宿「さぷな家」へ荷物を置き、自転車を借りて島内をめぐる。星砂の浜、コンドイビーチ、なごみの塔などどこも晴天に恵まれて素晴らしくきれいだった。それから水牛車にも乗ってみた。のんびり歩いて、いい気持であった。夕方、西桟橋へ夕陽を見に行く。

2007年11月23日(金)
 石垣島に戻り、そのまま小浜島へ渡る。レンタカーを借りて自分で運転して島内を巡る。大岳、シュガーロード、ちゅらさん展望台、魚垣、マンタ展望台(対岸に西表島の由布島に水牛車で渡って行くのが見える)など。15時頃、石垣島に戻りホテルで疲れて一休み。その後、あやぱにモールへお土産を買いに行く。

2007年11月24日(土)
 石垣空港から那覇空港へ。ゆいレールに乗って国際通りに行き散歩。その後、さらに2便を乗り継いで帰る。
 結局、奇跡は起こらなかった。健康な時に行ったところに出かけてみても、健康は取り戻せなかった。




竹富島の風景

2007年11月28日(水)
 この時点で、12月3日からSTが時季外れの夏休みを取っている12月7日までの間に、主治医の診察がある12月5日を除いて、リハビリを兼ねて会社に出社することを決める。これはたまたま、あっそうだSTが休みなんだったら会社に行ってみようってなノリで決めたことだ。長い間休んでいたからとか、言葉が喋れないからとかの不安は全くなかった。まぁなんとかなるさ。

2007年11月29日(木)
 STに会社に出社することを相談する。そこで勧められて「注意してほしいことリスト」を作った。そのリストがこれである。

 1. 急に話しかけられると、慌ててしまって受け答えがスムーズにできない。
 2. 緊張すると、焦ってしまって受け答えがスムーズにできない。
 3. 電話は取れるかもしれないし取れないかもしれない。
  ※ ひと呼吸おいてから、話しかけてください。
    ワーッと一度に、しゃべりかけないでください。
 4. 結構込み入った話などは、それはそれで本質的にできない。
 5. ややこしい話、専門的な話には、今ひとつついて行くことができない。
  ※ このあたりのことは、今はできなくても、そのうちできると思います。

2007年11月30日(金)
 大学病院の屋上にかかっている看板を見て、過ぎてきたことを考える。手術前のこと、手術後のこと、今は元気になっているが(一時的かもしれないが)、あんなこともあったなぁとか、こんなこともあったんだなぁとか、とにかくありがとう。

2007年12月1日(土)
 会社の同僚のFさんに出社することを伝える。喜んでくれた。
 Fさん、Mさんは、子供が熱を出して熱性痙攣を起こして入院していたとか、忙しい運動会の時期であるとか、子供のテニスの試合のある日にもかかわらず来てくれた。今思うと、治ろう治ろうとしていた自分のことしか考えられなかったからこそ、やってしまったことだと思う。感謝しても感謝しきれるものでもない。あらためてお礼を言います。

2007年12月2日(日)
 自分でスマートを運転し、親父の見舞いに行く。片道約200kmあった。12月に自分でスマートを運転して見舞いに行くという目標は達成した。が、行きがけに道に迷ってしまった。どこでインターチェンジを降りればいいんだったけとか、インターチェンジを降りたら降りたで右に向かって行ったらいいんだか左に向かっていったらいいんだかわけわからない。こんなことは術前にはなかったこと、あたりまえにやっていたことだ。

 なんとか日に日に良くなってきているという自覚が感じられる自宅療養期間であった。
 頭に霞のかかったような感じがしていたが、どんどんその霞が晴れてゆくといった経験をすることができた。それでもまだまだ喋りはとてもたどたどしく、決断力や文章力・計算力はまったく駄目であった。それから今でも迷うが、受動と能動の関係、分子と分母の関係、単位の換算、文が二重否定形であることが理解不能である。
 融通が利きにくくなっていることに気づく。それから何度も何度も聞き直してしまう。これは2年たった現在でも同じである。



<3.いよいよ手術だ> 0000000 <目次> 0000000 <5.曲りなりにも復職>