12.「 X3year 」
<11.失語症者の職場復帰における課題と言語聴覚士の役割> 00 <目次> 00 <13.「 X + 4year 」>


 第11章までは書籍にして出版するつもりでいた。自費出版は限られた人にしか読んでもらえないと思ったので事前に持ち込み企画を採用してもらえるかもしれない出版社を選んで十数社にメールを送った。そのうち門前払いが約3分の1、原稿を読んでやっても良いというのが残りの約3分の2。
 ところが、やっとの思いでしたためた原稿に、やれ「対象が絞り切れていない」とか、「日記風につらつら書くのは話題の変化に読んでるほうがついていけない」とか、「基本的に闘病記は、ですます調で書かなければいけない」とか、「CT検査・MRI検査などは検査を受けた人あるいは医療関係者でないとわからないし、具体的な濃度などは必要ない。痙攣止めの薬、肝臓の薬とか、薬のことについては平易なことばで書くべし」とか、「苦しい時とかの心理面の動きがみえない」など、注文が多くて自由に書くことができない。
 言い訳をするようだけど、実際に同病の患者さんと言語聴覚士(ST)をどちらも対象としているわけだし、日記風に書かなければ日を追って回復していく状況が理解できないと思ったし、細かいデータを載せなければ同病の患者さんの参考にならないわけだし、なにより心の動きがみえないと言われたって、当時は、これが精いっぱいですっ てなもんで、ほんとうは心の動きを書きたくても書けなかったんだ。
 そこで、個人が特定できる名前などの情報は抜いてwebで公開することにした。紆余曲折があったのでUPするのが11月になってしまったが、結果的にこのほうがより多くの人に気軽に読んでもらえるので、よかったと思っている。結構大勢の人からメールで反響があった。これは今でも続いている。



海食洞


2009年8月31日(月)
 5日ぐらい前に本当に久々に、いきなり例のキーンが来た。一瞬耳が聞こえなくなるような感じがして、その後でひどい耳鳴りがする。その日は一日中調子が悪かった。で翌日には後遺症で少しだけ弱いキーンが来た。それから翌々日から期間はわずかだがちょっとふらふらする。
 今日は後頭部がちょっと痛い。風呂に入ったら治ってしまった。

2009年9月4日(金)
 言語リハビリ  STが8月末に旅行に行っていた場所を当てる。STは「YES」「NO」しか言わない。これが難しい。「海に面していますか」とか「有名な寺院がありますか」とか言う質問をSTは期待していたのだが、外堀を埋めて行ってからではなくて、直接地名を当てようとしてしまう。
 以後、通勤の車の中で、かみさんが思いついた言葉を問題にして「はい」「いいえ」で答えてもらって、その答えを探して言い当てることにする。この頃はまだ、かみさんに車で送り迎えしてもらっていた。

2009年9月12(土)
 術前は冗談で言っていたフーテンの寅さんの映画のワンシーンのように「達者で暮らせ」というのを、飛行機に乗って帰る長女のまえで久しぶりに言うことができた。翌々日の次女の出発の時にも言うことができた。このところ会社でも簡単な冗談が使えるようになってきている。言ったのはまだひとつだけだけど。
 外見では障害があるということはほとんどわからなくなったけれども、確かに障害はある。にこにこして黙っていると、いつもにこやかで無口な人と周りからは思われるに違いないが、第9章の最後8月23日のところにまとめているような内容で、障害は確かにある。どんどん良くなっては来ているのだが、良くなるスピードが最近鈍ってきていると思う。確かに、かみさんは私ががんばっているというが、普段の一般生活はともかくとして、会社というのはそんなに生やさしいところではないんだ。実績を求められるのだよ。



ボストンバッグを作った


2009年9月30(水)
 主治医の診察を受ける。私が、ここ一月ほどいつもいつもではないが特に夜風呂に入った後で安静にしているときなどに動悸がする感じがあると言ったのに答えて、突発性頻脈であろうとのこと。発作が来ているときに脈を測ってみて不整脈があったりすると問題。大学病院は平日しか開いていないのと随分と待たされるので、循環器科といった看板を掲げているところに行って相談するとよい。どちらにしても手術とは関係しない。
 ちょっと前から、より複雑な言い回しがなんなくできるようになったと思う。それから、人と話をするときに、事前に準備しなくて言葉が話せるようになった。躊躇しないで、いきなり人と話せる。この結果は、うまくゆくときもあれば、うまくゆかないこともある。
 体調は相変わらず大きな波がある。不調なときと絶好調なとき。

2009年10月9日(金)
 言語リハビリ
 読む→計算する→憶えていたのをしゃべるというのを繰り返し行う。

2009年10月10日(土)
 在宅介護研修センター主催の、ある有名な先生の「失語症ライブ」なるものに出かけてみた。失語の方は70代と思われる重症の方が一人であったので、よけいなことを言わんでもいいものを在宅介護研修センターの職員が私をさして「先生この人も失語症です」といってしまったため、(まだこの段階では言いたくても微妙なお断りの説明ができなかったから)前にその老人と二人並んで座らされてしまった。う〜ん、すみっこでひっそりと参考になることだけ吸収しようと思っていたのになぁ。で、その後はお決まりの歌を歌わされたり、介助者なるものが選任されて今一番聞いてほしいことを話すなど、なんだのかんだの結構土足で人の心の大切にしている部分に踏みこまれたりした。
 この先生は重度の失語症患者を相手にしているようで、私のように症状が改善された人は お手上げ。

2009年10月18日(日)
 会社で一斉にエコ検定(環境社会検定試験)を受けることになって、テキストを買った。公式テキストと過去問である。試験日は12月20日で、まだ時間がかなりあるのだが、早くから始めないと頭に知識が入るのが遅い気がした。文を読んで内容を理解するのも時間がかかる。これはリハビリだと思って必死になって勉強した。

2009年10月23日(金)
 言葉が思考の源だということがつくづくわかった。
 言葉が思いつかなければ考えがまとまらない。
 言葉が考えをまとめているんだということが理解できた。言葉に直して記憶する・発想をまとめる・注意するなど、最近になって言葉が少しずつ戻ってきたので、そのことがよくわかった。

2009年10月30日(金)
 今日はじめておもしろいことが話せた。この時期にカップヌードルの宣伝でインド人とキムタクがやっている「言いたいことはそれだけよ〜♪」というのがあったが、会社の実験場で相談を受けているときに「言いたいことはそれだけか〜♪」とはじめていえた。 こういう冗談は一文が長くないからいえる。

2009年11月2日(月)
 約3ヶ月おきにある会社の朝礼のコメントで、今日からメモを見ないで話すようにしてみた。しっかり練習していた甲斐があって、しどろもどろにならずにすんだ。

2009年11月20日(金)
 言語リハビリで11月29日に行われる医師会館での高次脳機能障害講習会の件を教えてもらう。

2009年11月28日(土)
 どうも記憶の引き出しが開きにくいのは、インデックスとなる言葉が思い出せないからじゃないかと思う。発語できないんじゃなくて「思い出せない」んだ。それでも記憶の引き出しを無理やり開くということはできないので、インデックスとなる言葉を思い出すたびに、引き出しを開いてきた。

2009年11月29日(日)
 STから教えてもらった高次脳機能障害支援拠点機関講習会というのに行ってきた。これは行動面での障害例に限定するという内容であった。2名の先生と名刺交換をして闘病記の件を宣伝できたから、まぁよしとするか。



ハンドバッグを作った


2009年12月2日(水)
 主治医の診察を受ける。2007年8月23日の闘病記に書いていた手術時間が延びた理由として「マーカーテストに手間取って・・・」というくだりは、主治医は2年以上前のことなので記憶がおぼろげだがという前置き付きで、私のタイプの脳腫瘍はアミノレブリン酸でもともと光り方が強くなかったが、それを掃除しててという意味らしい。自分が再発を恐れるあまり、いっぱい取ったから、まわりの言語野に触れた可能性があるため失語症になった。再発を早期に発見するには、MRIを定期的に撮ること。4月にMRI検査の予定。痙攣止めのアレビアチンは最後に痙攣がおきてから2年後の2011年2月まで飲み続ける必要がある。
 この年から猛威をふるっていた新型インフルエンザの優先接種の許可をもらった。

2009年12月5日(土)
 新型インフルエンザのワクチンは、近所の病院に電話してもどこも「1ヶ月待ち」「いつ入ってくるかわからない」とのことだったが、近くの病院から連絡があり、今日打ってもらえるとのこと。想像するに入院患者が大勢いるところで、しかもワクチンは2人一緒でないと接種できないからという理由で、余ったのかもしれない。早くしないと製造過程が異なる輸入物のワクチンを使われるんじゃないかと冷や冷やしていたから、え?こんなにも早くって感じだった。

2009年12月7日(月)
 朝、通勤の車の中で、なんだか頭がおかしい。こんな感じは今までなかった。痙攣が起きるかもしれない。この頃ロキソニンを一錠飲む。1〜2日たったら治った。

2009年12月15日(火)
 この月曜あたりから例の車のナンバープレートの計算(4桁の数字を次々に足して行って下一桁だけ声に出して言う)がすんなりとできるようになった。すんなりとっていうのは、前の数字を言ってから次の数字を言うのに0〜0.5秒おいてという意味。かみさんは、最近エコ検定の勉強をしているから脳の使わない部分を使っているからだと言うが本当かどうかはわからない。最近確かに判断力・理解力は戻ってきていると思う。ほんの少しではあるが。

2009年12月20日(日)
 今日はエコ検定の試験日だ。長い期間をかけて準備した甲斐あって自己採点で92点だった。長期間かければ記憶することはできる。でも相当に長い期間かけないといけない。
 今までは人間としての尊厳をかろうじて保っていたようなもの(礼儀にしてもしかり)だという思いがする。じゃあどうすれば良いのかというと気をつけることだというしかない。実際は気をつけられない。ま、だんだんと治ってきているからこういった表現ができるともいえるのだが。



紅葉


2009年12月22日(火)
 ここ最近ちょっとだけど重要なことを記憶することができるようになってきた。今までは思いついたことが記憶できないことが分かっているから、大事なことをメモしたりしていた。最近は言葉にして憶えておけるのでだいじょうぶ。すぐ言わなければいけないことも、しばらくして言わなければいけないことも同じ。書くことも同じ。ほんのちょっとだけだけどね。

2009年12月25日(金)
 言語リハビリ。会話のやりとりも、反応もスピードも含めてこれなら充分。でも言い易いことばを選んで先回りして一度言葉に出さないで心の中で言ってみてから実際に発話していることもあり、ややこしいことなど事前に考えることができないような内容だとお手上げ。

2010年1月10日(日)
 そうだ今年の夏休みはヨーロッパに旅行しよう。そのために英語の勉強をしなきゃ。行先はミコノス島だ。フィレンチェあたりもいいかもしれない。どちらにしても英語圏ではないが観光地は英語が通じるはず。そこで昼休みに英語の勉強をiPodですることにした。前回は英語の文章が憶えられないから右から左へ頭を通り抜けていくと書いたが、そのリベンジという意味合いもあった。



400,000hitプレゼントのハンドバッグを作った


2010年1月22日(金)
 24時間ぐらい前から頭の髪の中の盛り上がっている部分(手術の結果、チタンプレートを入れられている部分)が、指で触ると特に盛り上がっているのが感じられる。
 今日帰社時に軽いめまいがした。それから以後はかみさんに運転を代わってもらった。夕食を取っている間も違和感を感じた。過去の痙攣は前触れもなく起きたので、痙攣の前兆ではないかもしれない。自律神経失調症かもしれない。おやじもこの年齢のころかかっていたし。
 失語症は確実に良くなって行ってるのが目に見えてわかる。まだ、あせったり、すぐ答えなければならない時、長い話とか複雑な内容の言葉、微妙なニュアンスを伝えなければならない場面には対応できないのだが。

2010年1月23日(土)
 右耳の前にあるほくろが、ここ半年ぐらいで大きくなって色が付いてきて、しかも1〜2ヶ月前から盛りあがってきたので、近所の皮膚科受診。良性の腫瘍で脂漏性角化症とのこと。脳腫瘍は血液脳関門により、脊髄や同じ脳には転移するが、他の臓器には転移することはまれだということが分かっていても、結果を聞いて安心する。
 体調に波があるのはしょうがないとしても、ここ最近は底にあると思う。

2010年1月25日(月)
 体調が悪いこと(具体的には頭の上半分に締め付けられるような違和感を感じる)は、ことばが少しだけ良く出るようになることの前兆のようだ。今日は、ことばに関しては階段をポンと一歩上がるような進歩があった。どうしてかなと思う。体調も悪くない。

2010年1月29日(金)
 言語リハビリ。STは、体調が悪いことと頭の盛り上がりが目立つことは、ことばの面と判断力その他の面で成長がみられることの前兆であるということについて因果関係はわからないとのこと。めまいがするのは横方向か縦方向か、今度起きた時に気をつけて感覚を調査することとのこと。

2010年2月3日(水)
 主治医の診察。STと同じで、体調が悪くなることと、そのあと言葉が出やすくなることとの関係はわからないとのこと。






2010年2月12日(金)
 今日は開発部の飲み会。夜遅くまで出歩いていると痙攣発作が起こるかもしれないと心配なため、8時30分ぐらいに早めに抜けて帰ってきた。

2010年2月13日(土)
 午前中にリコンディショニングセンターで頭が痛くなる。頭の前後左右の骨の外側が非常に痛い。血流の関係であろう。体を動かすと痛みが増す。安静にしているとなんともない。
 夕食時にあせっているなと感じられる。早く食べないといけないと。また体を動かすと頭が痛くなるような気がする。この症状は夕食後まで続いた。今日は例の耳鳴り(一瞬音が聞こえなくなってから戻る。この間にクラッとする)がない。

2010年2月16日(火)
 今朝、左の頭の表面が痛むのでロキソニンを飲む。
 リコンディショニングセンターで頭が痛くなってから後、頭の中が締め付けられるような感じが時々する。

2010年2月26日(金)
 言語リハビリ。このところ言葉がよく出るようになってきたが、まだまだ言いたいことは言えない。長い話もすることができない。自分で言いやすい表現になってしまっている。でも納得はしていない。冷や汗をぐっしょりかくということは頻繁ではなくなった。

2010年3月3日(水)
 今日は久しぶりに一瞬耳が聞こえなくなるような耳鳴りというかどうかわからないが、なんとも言えない違和感があった。そのせいかどうかわからないが、左側の後頭部の頭蓋骨の下の筋のあたりにときどき激痛が走る。

2010年3月11日(木)
 先週の金曜日にストレスが最高に達する出来事があった。それまでは徐々にストレスが高まって行くのがわかって、ピークの時には頭がジーンジーンとひどくうめいていた。日に日に落ち着いてきて、それが昨日あたりからすっかり治った。
 それから動悸がする件は、いつの間にやら治っていた。






2010年3月21日(日)
 右手中指の第二関節が子供の時からぽくっと鳴っていたのだが、術後、歳のせいか非常に伸ばすのに苦労するようになっていた。左手を使わなければ伸ばせない。歳のせいかと思っていたら、最近になってあまり苦労しないで伸ばせるようになった。
 1年ぐらい前からおこなっていたことだが、痙攣が起きそうなときには歯をパクパクさせて、いってみれば痙攣がおきるのを逃がしていた。歯をかみしめることにより痙攣がおきると思うから。
 大学時代の下宿を訪ねてみた。高級住宅街の中にあるボロアパートで、35年ぐらい前に初めて見たときも「このアパートいつ頃からあるんじゃろ」というぐらいの古さだった。別棟に大家さんが住んでいて、当時からお年を召されたばあさんで、腰を曲げて歩いていた。20年ほど前からは、ほとんど中国人留学生専用になっていた。そりゃ便所もシャワーも共同で、しかも部屋の扉の鍵が針金を使っても開くっていうのは今時ちょっとねぇ。このばあさんの訃報が届いたのは10年ほど前。それまでもそれからもちょこちょこ訪ねて行っていた。アパートの玄関を出て、駅に向かって30m程行ったところに桃畑がある。大学に通っていた頃は思わなかったけれど、いつからだろう その玄関から桃畑までの道は、心の滑走路になっていた、どこにでも飛んでいける。え〜いやるぞっていうか、勇気をもらいに充電しに行っていた。そのアパートが今回訪ねたときには大家さんの住んでいた別棟も含めて更地になっていた。桃畑も駐車場になっていた。3年ほど前は何にも変わらない佇まいだったのに・・・聞くところによると玉川上水沿いに高速道路が通ることになって、古かったこともあり更地にしたのだそうだ。
 そういった質問は「ここはいつごろからこんな感じになったのですか」とか「なんで更地になったのですか」とかあらかじめ質問を準備して、しゃべりに問題がないふりをして短い文章で会話した。予期せぬ質問を逆にされるとどうしようかと不安になりながら。

2010年3月26日(金)
 言語リハビリ。最近朝まで夢を憶えておけるようになった。自分で口をあけて喋っているのではないが言葉付きの夢だ。これからリハビリに通うのは3ヶ月おきにした。私のリハビリの進み具合の確認と情報交換のみになっていたから。
 人から提示された条件とか報告書類とかそこに書いてあることだけなら比較的的確な判断ができるが、その周辺のことを考えることがまだできない。気がまわらないというべきか。そのことを利用して悪く言えば良いようにあしらわれているんじゃないかと思う。
 それから、本人は以前のようにもっと喋れると思っても、現実には喋れていない。判断力も注意力もしかり。それが原因で症状が後退しているんじゃないかと思う。まぁこんなことを考えられるということは、結構しゃべれるようになってきたということの裏返しかな。

2010年4月8日(木)
 今日は言葉の調子がちょっとだけよい。難しい言い回しも少しはできる。私の住んでいるマンションが大規模修繕工事中だが、土曜日に住民によるチェックを行うことがある。そんなときにでも言葉の障害を隠すようにして簡単な質問はできる。まぁ無理に隠す必要もないのだが、工事業者の人とかに言葉の障害があるということを話すのもなんだかなぁと思って。
 それから私の性格で、質問されるとパパッとすぐに答えたい(要するにせっかちなのだ)ので、言いたいことが言えないと苦しい。言葉足らずになってしまってるなぁと思う。それに不思議なことだが、答えたいことと全く逆の答えをしてしまうこともある。  このところ少しずつではあるが冗談っぽいことがいえるようになってきた。

2010年4月17日(土)
 ホンダCR-Zを契約してきた。
 たしか2月ぐらいに発売されて、お〜かっこえ〜と思って試乗しに行ったけれども、スマートの車検を受けた直後だったので、まぁ車探しは1年半後からということにしていた。それが担当営業マンから電話がかかってきて車検費を持つ、CR-Zは待っていても値崩れしない、今買えばエコカー減税と補助金がつくし補助金の期限は今年の9月までだが、予約してから登録までに3ヶ月待ちとのこと且つ予算が底をつくかもしれないとのことで、結局説得されてしまった。スマートも9年以上乗って、内装も布の接着している部分がはげてきたし、そろそろ買い替え時ではあったが、リハビリに励んできた自分に対するご褒美という意味もあった。
 ところが車を買うことになっても浮き浮き感がない。そりゃ、あんな使い方をしようとかこんなことにも使えるとか挙げればきりがないのだが、肝心の浮き浮きした気持ちにならない。どうでもいいと思っているわけでもないのだが、まぁどうでもいいって感じがする。4月4日に携帯電話を新しい機種に変更したときにも、うすうすそんな感じがしていた。



教会の前の大木


2010年4月28日(水)
 主治医の診察。MRI検査の結果再発なし。前回2009年2月7日に痙攣発作が起きてから1年以上経っているので、車を単独で運転してもかまわない。アレビアチンはあと1年ぐらい続けてようすを見てやめるかもしれないとのこと。今の副作用は眠くなる、ふらふらする、耳鳴りがする、うわっと思う(どう説明していいものやらわからないが、とにかくいきなりうわっと思う)などがあるので、わしとしては早くやめてもらいたい。
 主治医が再発なしといったときに、嬉しそうにしなければならないと思っていた。前回2009年8月12日にそっけない返事をしてしまったから、その反省。しっかり忘れないように憶えていた。でも再発していようが再発していまいが要するにどうでもよい。再発していればしていたで、この先のことを考えるし、再発していないことがわかったからといってなんともない。どうも術後に感動することが少なくなってきている。いや良く考えれば術後1、2年の間は感動していた。うつ状態になっているのかな。横軸に時間の経過をとって、縦軸にどきどき感をとるとすると術前はグラフが急激に立ち上がってじわじわと下降してくるといったイメージだったのだが、術後はある程度から頭打ちになって水平になるというイメージだ。この気持ちを説明しろと言われても、すっと説明できるほどしゃべれない(文字にできない)から、まだ無理。

2010年4月30日(金)
 ひとりでスマートを運転して会社に行った。これからずっと。

2010年5月1日(土)
 大阪の下宿へ帰る次女を夜11時頃バス停まで送って行った。深夜1時頃就寝。翌朝8時50分起床。寝る前から頭がなんかへん。翌朝も寝不足って感じで頭が重い。

2010年5月2日(日)
 ノートを運転して自宅から東へ約100kmのところに出かけた帰りに、かみさんに高速の運転を代わってもらった。いやーな感じがしたので。代わってもらってからはなんともないことに気付いた。途中にあるうどん屋で夕食を食べてからは自分で運転して帰ってきた。



カメラバッグを作った


2010年5月6日(木)
 今日夕方例のキーンが相当強く来た。その後ふらふらする。風呂に入ったら解消していた。風呂に入ったあとで、気がつくとテレビに向かって自然なつっこみができていた。
 以前から気付いていたが、会議での発言で緊張していなくても語尾が言えないことがある。これは今でも同じ。
 今年の夏休みにヨーロッパに旅行するという話は、あきらめた。これだけ一生懸命勉強しても一向に英語の学習効果は上がらない。しかし、憶えきれないから頭の中を右から左に通り抜けていくんじゃなくて、ちょっと立ち止まってから通り抜けていくというところまでは回復している。
 まぁ特にギリシャにはいかないほうがいいでしょ。暴動が起こっているから。

2010年5月14日(金)
 ふと気がつくと、メールの返信が苦にならなくなっていた。まだ時間をかけて書くのだが。
 以前のように人に話しかけるときにも構えることがなくなっている。ややこしい話になって説明に苦労することはましにはなったけれども、苦労することは同じ。
 ふらふらするのは相変わらず。耳鳴りもしている。

2010年5月28日(金)
 付き合いのあるある新聞社の編集部長に(失語症のことも知っている)お客さんに会っていることがリハビリになるといわれて、そういえばこのところお客さんとも話をしてないなー、いつもいつも同じメンバーとだけ話しているなーと思った。

2010年6月9日(水)
 会社の会話で、難しいことをしゃべる時、あせって説明をするとき、とたんに「えーっと、えーっと」「あのー」となってしまう。落ち着いて話しているときはなんともない。でもまだこの装置をどれだけコストダウンできるかといった今までの経験に基づく勘などのコスト関連とか、あることを行うときの日程関連とか、個別に部分部分は理解できるのだが包括的には理解することができない。
 かみさんは、人から聞いた話など充分(ではないと本人は思っている)伝えることができているのに、理解できない理解できないと言うと自分の心にブレーキをかけているんじゃないかというが、そうかもしれないしそうでないかもしれない。

2010年6月10日(木)
 展示会で違うブースの説明員に、躊躇なく話しかけられるようになった。簡単なことしか聞いてないけど。自社ブースで自社の社員に事前に意図していないことを質問されると、とたんにしどろもどろになる。
 4月はじめに朝礼のコメントをしたときにはちょっとしどろもどろになった。6月には平気で話せた。どちらも事前に下書きを書いておき一言一言憶えた。
 今月に入ってから朝は頭がすっきりしているのだが午後遅くになってくると、なんだか燃料が尽きるというか、電池切れという状態が続いている。頭もぼーっとしているし考えもまとまらない。

2010年6月14日(月)
 今日明日人間ドック。3年前に受けた脳ドックで、もし脳腫瘍が見つからなかったらと思うとぞっとする。勧めてくれた かみさんに感謝。その かみさんはというと3年ぶりに脳ドックの検査を行った。私は頻繁にMRI検査を受けているから受けなくても平気。






2010年6月15日(火)
 言語リハビリ。ニュースを見たり会議で他人が話をしたことに対して要点をメモすることを勧められた。このころメモは何とか取ることができるようになっていた。まだスピードは遅いけれど。
 術前は完全に憶えておくことができていたのでメモは取る必要がなかった。それが術後にメモをとるように言われたが、こんなことなら憶えておけるわいというプライドもあってほったらかしていた。実際は憶えておけない。
 STの、私を困らせるように根掘り葉掘り質問をすることという勧めに従って、かみさんが根掘り葉掘り質問をする。質問されてはいないけれど質問されたつもりで解説をする。結果良好。
 1年前は次女に単車について、どの速度でシフトアップすべきかとの説明を求められても、車種によって違うと答えることがせいいっぱいだったが、今は曲がりなりにもいろいろなことを説明して答えられる。

2010年6月22日(火)
 今日は調子が良い。発想もすんなりとできる。しかし、あせる場面ではまだどうしてもつっかえてしまう。
 時間がゆったりと流れてゆく。これは前回は時間が飛ぶような速さで進んで行くと書いたが最近はその逆である。闘病記をUPしたのが去年の11月で、その頃から時間の流れが遅く感じられるようになった。ひょっとして術前と同じぐらいかな。CR-Zの予約をしてから待ち遠しいというのもあるかも知れないが。

2010年6月28日(月)
 6月26日の夜、写真を整理しているときに久々に痙攣が起こりそうかなという感じがして(フラッとする)これはだめだと思いパソコンの前からテレビの前に移動した。そのときから気がついたのだが、それまでエネルギーが尽きるという感じで眠くなっていたのに、目がぱっちり開いている。その後も日曜月曜と眠くならない。6月26日はリコンディショニングセンターは休んだ。限界まで調子が悪くなって、その後にすっとさらに良くなる気がする。

2010年7月9日(金)
 人間ドックの翌日から昼休みに散歩している。15〜20分早足で。
 言葉の出具合に波があるということはわかっているのだが、今週は調子が悪い。今日はかろうじて良好。
 眼鏡のレンズを新しく作ってもらってから眼鏡が合っていない。確かに左目がかすむ。いや、老眼が進んでいるので遠近と近くを見るのを2つ持っているのだがそれがうっとおしいというのもある。瞼がのしかかるような感じがするのも治っていない。
 その場その場で反論しないと、もう好き勝手なこと言われたい放題状態である。反論できないから、どうにでもしてくれというなげやりな考えになる。他部門の人に意見を言おうにも、反論されることが不安で言えない。言葉に詰まってしまうから。そもそもアドリブで言葉に出して言うこと自体まだ無理がある。自分から考えて意見を述べる必要があるときには、まだ頭が真っ白とは言わないまでも白い中に言葉がみえるのだが、何を書いてあるかは分からないという状態までには回復している。そのうえ上流までさかのぼって考えることができない。目の前にあることは判断できるが、目の前にあること以外について、これをつけ足せばいいんじゃないかとかこんなものは必要ないとかは判断できない。その他、オリジナルな表現で文章を書くことができにくい。こんな闘病記を書いているじゃないかといわれても、それは時間をかけてじっくりと書いているから。時間をかけてももっと他に良い表現ができるんじゃないかとかもっと素敵な表現ができるはずだとか思ってしまう。う〜ん、いまにみておれ。

2010年7月12日(月)
 CR-Z納車。土砂降りの雨。

2010年7月14日(水)
 大学病院でMRA検査に行ってきた。
 術後ハハハッと声に出して空笑いをするのは、今ほどにはしゃべれなかった当時に、相手に対して敵意を持っているんじゃないよということの表れ。今では癖になってしまっている。これからはやめよう。
 ときどき左右の目じりに涙がたまる。流れ出る。それは必死にしゃべっているから。
 最近、傷口が痛むことはまれになった。夜、髪を乾かしているときブラシをあてるのだが、そんな時にでもほとんど痛くない。瞼にのしかかるような感じがあるのは変わりない。傷口が眉を吊り上げると突っ張るのは同じ。

2010年7月21(水)
 主治医の診察。MRA結果報告、異常なし。再発もしていない。主治医がひとつひとつ丁寧に説明してくれるので、じれったい思いがして早よ結論を言えと言いたくなった。
 季節がもうすぐ8月なのに8月じゃない夏休みじゃないと感じる。
 突然電話が若い奴からかかってくることがあるけれども、目上の人に対する様な話し方になってしまうし、電話を切るきっかけがつかめない。
 最近、夏休みになって旅姿の単車を見るようになった。私の乗っていたようなタイプの単車にパーンと抜き去られると、魂が口から飛び出して一緒に後をついて行ってしまうような気がして、おっとってあわてて口をふさぐ。術前はこういった気持ちによくなっていた。久しぶりだなぁ。

2010年7月25(日)
 ちょっと前に握力を鍛えるためのグリップの握り方が、おや〜上下が逆じゃねーのということに気付いた。捻りばねがある方が親指と人差し指のほうを向いて、幅の広い方が小指側に来るのが正解。上下逆にすると親指と人差し指のほうに開いている位置が来るので力が入りやすいからと勘違いしていた。5月に次女が帰ってきたときにもこのことを指摘されたが、こっちの方が理に合ってると思っていた。術前は正しい持ち方をしていたので、すっかり持ち方を忘れてしまっている。
 普通じゃない違和感があった時など、あっ痙攣が起きると思っていたが起きたためしがない。でも不安。

2010年7月29(木)
 4〜5ヶ月前から左目がかすむ。老眼が進んで眼鏡のレンズを入れ替えてもらったのが合っていないのかと思っていたが、もしや再発かもと思い8月11日に主治医の診察を受けることにした。主治医が水曜にしか診察をしていないこと、しかも主治医の出張などが入ってしまって来週ではないということが、こんなときに待ち遠しく感じられる。
 頭の髪の中の盛りあがっているところが、押さえるとパキッ、プチッという音がする。これは1〜2週間前に気付いた。



ハンドバッグを作った


2010年8月1日(日)
 先週の金曜と今週の金曜は飲み会に出席した。1時間ほどいて帰ってきた。頭が痛くなるということもなかった。

2010年8月2日(月)
 昼の散歩は暑いから中止。

2010年8月6日(金)
 ふと気がつくと、胃が裏返るような気がして、どこも気持ち悪くないんだけれども、どういって表現したら伝わるのかわからないが、いわば幸せな違和感がしていたのが最近しなくなった。昨年の9月ぐらいから始まって6月の人間ドックに行ったあたりで消えていた。
 一般常識的・蘊蓄的なことを忘れている。たとえば北を指す磁石の針の色は赤とか。事務作業をすることは専門ではないが、事務作業にもその傾向はある。こういったことも良くなって行くのだろう。

2010年8月11日(水)
 左目がかすむので主治医の診察を受ける。
 結論から言うと再発はしていないとのこと。脳に関係しているのではないだろうとのこと。
 次のような検査をされた。ひとつめは目を上下左右に移動させてみる。上方向は移動しないが、子供のころから移動しないのであれば問題ない。ふたつめは視野検査を行って、指が見える範囲と指を細かく動かしている範囲とを見て問題ない。指を細かく動かしている範囲が見えるのが指が見える範囲と大きく異なっていると頭の中に異常があると考えられる。通常は指を細かく動かしているのが見える範囲のほうが狭い。みっつめは眼底検査をしてみて異常なし。脳が腫れて目がかすむことがあるが、眼底検査の結果異常は見られない。
 頭の出っ張りに水がたまっているような感じがしてプチッというような音がすること。チタンが目立ったり治ったりすることは、問題ない。生体に馴染む金属ではあるが体調によって目立ったり隠れたりするそうだ。
 主治医が眼科的に水晶体・網膜などを調べてもらった方が良いという判断をして、眼科の予約をその場で取ってもらって帰ってきた。
 実は、今から36年前の高校3年生の冬の日にサッカーのクラス対抗試合で、タックルに行ったときに頭を膝蹴りされた。痛みが取れないので病院で診てもらい、冬休みで入試も迫っているというのに入院することになった。その当時は頭の骨が折れてるかもしれないということぐらいしか知識がなかった。導入されたばかりのCT検査をされて、たしか検査に数日かかって、放射線が尿に残っているからという理由で溜めておかれた。今ではほんの数分で済む。あとで親に検査結果を聞きに来るようにと言われていたのだが、もう異常がなかったので(どうでも)いいよという感じで話してもらったのが、目の動きを調べて上に上がらないのはヒステリーと脳腫瘍が疑われるので脳腫瘍を疑ったところ、異常がなかったので解放するとのこと。予定していた入院期間も2日程縮まって文字どおり解放されたという過去がある。

2010年8月13日(金)
 大学病院の眼科受診。歳相応の白内障はあるものの、まったく正常。
 眼の底、網膜の断面など調べた。視力は矯正で1.5出ているし、納得できないだろうが異常はない。緑内障の視野検査を8月20日に予約してもらって帰ってきた。
 この時の検査で、網膜の表面から光を当てたのに断面が表示されるのが不思議だと思って質問すると、詳しいことは機械の専門家でないからわからないが、光の波長を変えて反射光を見ることで断面がわかるとのこと。ふ〜ん理屈からいえばそうなんだろうけど・・・網膜の厚みが薄いからかな。

2010年8月15日(日)
 眼鏡屋に行ってレンズを直してもらう。こういうときに「見え方保証」がついているのはありがたい。眼鏡屋さんが言うには遠近とか中近とか複数焦点の眼鏡はだいたい7割の人がどんな眼鏡をかけても調整なしですんなりいくが、残りの3割の人は細かな調整が必要となる。私の場合は、物を見るとき左目が横方向に若干外側から入ってくる(眼球が移動する)のと、左目の度数がきつすぎるので加入度が同じでも結果的に近くを見るときの度数が変わる。その度数が変化する範囲も14mmから12mmに狭くしてもらった。これはもっと狭くしてもいいかもしれない。こんな一見複雑なことも何とか理解できるようになってきた。でも理解できるとは言ってもしゃべることはできないから、身振り手振りで補ってなんとか意思の疎通はできた。8月25日かみさんの誕生日にレンズはできてくることになった。



ギリシャ風の風車


2010年8月20日(金)
 大学病院の眼科受診。緑内障の視野検査を行った。片目ずつ行うのだが、ランダムに光る点が出てくる。光の強度は強く光ったり弱かったりする。検査結果は心配していた左目は全く異常なし。眼鏡が合っていなかったことを次回報告のこと。
 右目は一部視野の中に明るい光でないと良く見えない場所がある。眼圧は15〜16mmHgなので(正常範囲は10〜21mmHg)急激に変化があるとは考えられないないため、1〜2ヶ月後にもう一度検査をする。
 2007年4月ごろに町の眼科を受診し、飛蚊症(例えて言えば太陽を見たときにできる黄色い点の色が黒く変わったようなもの)があり、網膜が出血していると言われたことがあるのでその影響かもしれない。その後その年の、脳腫瘍が見つかった人間ドックまでには、きれいに出血は治っていた。
 あれ、飛蚊症があるといってから気づいたのだが、最近飛蚊症が気にならなくなっている。6月に受けた人間ドックまでは確かにあったな。うちに帰って詳細に確かめたら、ないことはないが極薄くなっている。

2010年8月22日(日)
 きのうと今日は小豆島旅行に行ってきた。ミコノス島へ行く予定だったことはすっかり忘れていたが、オリーブ園でギリシャ風の風車というのを見た。見たけれどもギリシャに海外旅行する予定だったことを忘れていた。
 また、せっかくフェリーに一番乗りをしたのに、あせる必要のない時にあせってしまいフェリーの窓の外が見える景色のいい場所をわざわざはずして、窓際に柱があるところを選んでしまう。あせって説明をしなければいけない時、たとえば蛇を車で轢いてしまったときに、轢かれる前は蛇の状態がまっすぐにのびていわゆる蛇行して進んで行っていたのが、タイヤにひかれた後でバックミラーで確認すると丸まって苦しんでいたとかいう説明をするときに、すんなり説明ができなかったりする。情景は頭の中にはあるのだが言葉に出して説明できない。
 その反面、うどん屋で、行列に並んで食べるというのが術後から苦にならなくなった。気が長くなったのかなぁ。以前はせっかちに行列ができているところは避けて、流行っていないところを狙って入っていた。

2010年8月23日(月)
 今日で手術から3年経過した。表題の「X + 3year」というのは医学用語で最初の(2回目があってほしくはないが)手術日から数えて3年という意味だ。もう3年かぁという思いと、まだ3年しかたっていないんだという思いが複雑に入り混じる。
 失語症に代表される高次脳機能障害は、体に障害があるというのと違い、どこから見ても普通の状態というのが、たちが悪い。交通事故に遭い自ら失語症を患ったことのある言語聴覚士が一番辛かったことは「失語症を解ってくれる人がいなかった」ことだといっていたが、まさにそういうふうに思う。ほんとうはこんなんじゃないということをしっかり胸にしまって、いつかは治る治ってやるという希望を持って過ごしていこう。
 ある朝目を覚ますと100%もとの状態に戻っていたということもあるかもしれないしね。



<11.失語症者の職場復帰における課題と言語聴覚士の役割> 00 <目次> 00 <13.「 X + 4year 」>