16.「 X + 7year 」
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 悪性脳腫瘍の手術から7年が経過した。今日の時点での高次脳機能障害、特に失語症の症状を忘れないようにまとめてみる。なんだか今年は、今まで霞んでいた頭が少しだけすっきりしてきたような気がする。
1. 説明力がまだまだだと感じる。記憶しているところまでは話せるのだが、憶えきれないところになるか、思ってもいなかったことを尋ねられると、とたんに支離滅裂になってしまう。もしくは適当な言葉で納得できないながら済ませてしまって、説明不足になってしまったなぁと感じる。アドリブ的に話さなければいけない状態になると、頭では明確にわかっているんだが細かい説明をしたくても喋れない。
意識しているかいないかにかかわらず、こんな時にはゆっくり喋ることしかできないが、特にちょっと急いで説明をしなければいけなくなった場合とか、気持ちが焦っているときとかには、短い言葉さえ出てこなくて鬱陶しいことはなはだしい。
落ち着いているときに、短い言葉で受け答えは即座にしっかりできるから、まわりの人には言葉に障害があることはわからないだろう。でも実際は頭の中にあることをどう表現していいのかわからないから、それを十分の一ぐらいしか話せていないと感じる。
頭の中に言いたいことが山ほどあっても、ゆっくりしか話せないか、ゆっくり話していると途中で肝心なことを話す前に遮られてしまう。
しかし冷や汗で背中がびっしょりになることはほとんどなくなった。
2. あらゆる面で検討して意見を言わなければいけない場面で、ある角度から考えるべき部分がすっかり抜け落ちていたり、人に対しても配慮が足りない発言にまだなってしまう。
3. 忘れるようなことじゃないのに忘れている。それが何かのきっかけで思い出すことができた時に、初めて忘れていたということに気付く。関係ないけど、特に最近歳のせいか固有名詞が非常に出てきにくくなってしまった ^^;
4. 特に経営的な話題、複雑な事務処理になると、頭が真っ白になってついて行けないし、意見を言おうとしても思いつかない。相対的には良くなってきているはずだけど、最近特にそう感じる。
5. 単位の換算がまだ難しい。これは分子と分母の関係が理解できにくいからというのと同じだろう。以前は強い弱い(これは私だけの特別な感覚で、実際は大きい小さいだ)が直感でわかっていた。以前のようにしたくてもできない。



お、ランプの影が・・・

6. 少しだけ時間と空間に対して予測ができるようになってきた。わかりやすく言うと、おおざっぱな見積りや計画を立てるということが少しだけできるようになってきた。
7. 対等な立場の人に対して、語尾が敬語になってしまうことがほとんどなくなってきた。でも、たまに語尾が馬鹿丁寧になってしまったりする。
8. 電話を受けることは、なんとかこなせている。
9. 涙目になって涙がこぼれるのはほとんどなくなってきたが、緊張したり一生懸命しゃべろうとしたりするときには、まだある。

体の症状は、
1. まず、再発はしていない。
2. 手術で切った傷口か、傷口の横にプチッとできた吹き出物が非常に痛むことがあったが、最近気にならなくなってきた。
3. 耳鳴りがしたり、ときどき「キーン」ときたり、頭が締め付けられるような、なんともいえない違和感が、この2〜3ヶ月続いている。
4. 目の下のくまは治っていない。
5. 夜遅く出歩いていると翌日に痙攣発作が起きて気を失うんじゃないかと不安になる。それから、気を引き締めていないと、気を失ってしまいそうなことがたまにあった。
6. 手先の器用さが、まだ完全には戻っていない。


例によって、この1年間のできごとをふりかえろう。

2013年9月3日(火)
 頭が締め付けられるような感じが、午後から帰宅するまで続く。

2013年9月19日(木)
 ややこしい内容を勢いよく説明しようとしてみるが、同じ内容を繰り返してしゃべっているだけ。相手が言った言葉とか、自分が考えて言えると思った数少ない言葉を繰り返して大きな声でしゃべってるだけ。他の言葉を思いつくことができないし、思いつけないから言うこともできない。でも大きな声が出せるってことは、以前より進歩したってことかな。



ビジネスバッグを作った

2013年10月10日(木)
 ふと気付くとメールなどでパソコンに入力することが以前より苦にならなくなっている。すんなり文章が書ける。手術後の自宅療養中はキーボードの操作ができないんじゃなくて、考えることができなくて思いつかなかったから、どう入力したらよいかわからなかった。この闘病記の2007年10月19日にも書いてあるが、犬とパンダとうさぎが出てくるマンガがあり、お互いがもう一方を洗ってやっているという関係になっている。当時はこの関係を説明することが難しかった。そこから考えると最近は、すんなり言葉が頭に思い浮かんでくる。まだ肝心なことを書き忘れているというところが完全には治っていない。メールした後で読み返してみるとその時初めて忘れていることがわかり、追加で送りなおすことがしばしばある。

2013年10月12日(土)
 今日はひとりで時計を修理に出してきた。この時計は日付の部分がパーペチュアルカレンダーになっていて、例えば30日までしかない月でも翌日は1日になっているし、うるう年も自動で2月29日になる。そのカレンダーが、ある日の状態がそのまま次の日の午前中まで日付が変わらずに午後から変わるようになってしまった。ある日が10日だとすると10日の午前から午後にかけては日付が変わらなくて、そのまま深夜の0時を過ぎても10日のまま。それから11日の正午になって初めて11日に日付が変わる。そもそも普通の時計のように日付の調節をする必要がないので、日付調整の機能がない。そのため針を半日分進めて正常に直した。しかしその後の日も再発した。そこで修理に持って行ったのだが、これがうまく説明できない。後でもらった修理受け付け表には、なんのことはなく「一日半経たないと日付が変わらない」と簡潔に記載されていた。
 簡単なことはお互い阿吽の呼吸で思いが通じているのでわかってもらえるが、複雑なこと、全く新しいことを説明しようとすると、理解させることができない(私が悪いのだが)ことが良くある。



手帳カバーを作った

2013年10月30日(水)
 主治医の診察。痙攣止めの薬イーケプラを海外旅行に行く間ということで、朝昼夕と3錠飲んでいた。もうすでに海外旅行にも行ってきたので、今回の診察で2錠に減らしてもらった。次回の診察日の2月5日にMRIを撮ってくる。そしてその次の診察日に私から希望してMRA(磁気共鳴血管造影)を撮ってくることになった。MRIは造影剤ありとなしの両方撮影するため、MRAとは同時にできないらしい。

2013年11月06日(水)
 このところ失語症の症状は良くもなく悪くもなく変化していなかったのだが、今日は特別しゃべりにくかった。言葉を慎重に選んで話そうとしても、どう表現していいのか言葉が見つからない。そのために納得できない表現になる。

2013年11月16日(土)
 最近例の「キーン」と耳鳴りがして耳が聞こえなくなるような感じがしなくなっていることに気付いた。この後で気がついたのだが、「キーン」となる感じがしなくなっているんじゃなくて、「キーン」としても気にならなくなっているんだった。
 ここ一ヶ月ほど、まだ頭が押さえつけられるというか、のしかかるような違和感はあるし、少し前よりも言葉がしゃべりにくいということは続いている。

2013年11月29日(金)
 言語リハビリの日。最近、頭で考えるスピードに言葉がついていけなくなるのかどうかわからないが、以前と比べて相対的に話すことができにくいようになっていると感じることなどについて相談する。
 最近、大学病院は改装中で言語リハビリ室は仮の部屋を使用している。将来言語リハビリ室ができるかどうかがST(言語聴覚士)にとっては重大な問題。確かに環境の整った言語リハビリ室は必要だと思う。かみさんに、後で「病院長へのアンケート」に記入してもらう。

2013年11月30日(土)
 今日のホームページ更新の話題「根革を修理する」は、なんだか手術前の健康なときと同じように書けたという手ごたえがあった。術後もホームページは更新してきたのだが、今回は実感として手ごたえがあった。



燃えるような紅葉

2013年12月8日(日)
 買い物に出かけて帰って来てから左右のこめかみと後頭部の下半分が強く締め付けられるような感じがした。疲れてるんじゃないかな。

2013年12月11日(水)
 胃潰瘍や胃がんの原因となるヘリコバクター・ピロリという菌を退治することができた。事の発端は今年の10月にお尻の穴から鮮やかな鮮血が数回出たこと。大学病院で胃カメラと大腸カメラで検査したところ、結局「痔ですね」ということになってひと安心した。そのときに胃カメラを飲んだ結果を見てピロリ菌がいるかもしれない(県立中央病院の人間ドックでもそう言われてはいたのだが)と指摘され、血が固まりにくいエパデールを飲んでいるから組織は取らなかったが、血液検査でもわかるからと言われて検査をしてもらった。結果はピロリ菌がいて、除菌するための抗生剤を飲むことになった。除菌のための薬は1週間だけ飲めばよい。薬による副作用は、私の場合おなかがゆるくなることと若干の味覚障害だけであった。薬をやめると副作用は治った。
 ピロリ菌は胃の中に住んでいるのに、なぜ強酸である胃酸のある状態でも繁殖できるのかと言うと、それはウレアーゼという酵素を分泌して胃の粘膜の中にある尿素を利用してアンモニアと炭酸ガスを産出してpH1〜2という強力な胃酸をほぼ中性まで中和して、いわゆるバリアを張っているからだそうだ。そのピロリ菌を退治したことを確認する検査は画期的な方法を用いて行なわれている。まず最初に比較のために呼気を採取して、そのあとで尿素を構成する炭素を自然界にはほとんど存在しない炭素の同位体である13Cに置き換えた薬を飲む。それから20分ぐらいごろごろしてからまた呼気を採取する。薬を飲む前と後で呼気に含まれる13Cで標識がついている炭酸ガス濃度を比較して、その13Cで標識がついている炭酸ガス濃度が高ければピロリ菌がいる、低ければピロリ菌が退治できていることがわかる。私の場合は見事に退治に成功した。

2013年12月20日(金)
 今日はまだ言葉の面でも言葉にして表す表現力および統率力の面でもまだまだ以前のようには回復していないということを思い知らされた。
 かみさんとか会社の内輪のメンバー同士との会話は、ある程度何を言いたいかわかってくれる時もあるので、その場合は通じる。適当に相づちを打っているだけでよい場合は困らないが、そうでない場合など、いざ何かを説明しなければならない場面になると、言葉が出てこない。また何を言えば良いのかわからなくて往生する。この闘病記の文章も同じだ。



トートバッグを作った

2013年12月25日(水)
 一緒に脳腫瘍を患っていた同僚の葬式に参列してきた。人口10万人当たり神経膠腫になる人の割合は3〜4人と言われているが、60人程度の同じフロアで神経膠腫の患者が2人もいるというのは、どうなん?という気がする。彼は発症した時は遠く離れた町で営業をしていたが、手術をした後に、痙攣発作を起こすといけないからという理由で今の部署に転属されてきた。2009年12月に手術をし、その後再発を2回繰り返して死んでしまった。30代の若者である。
 帰宅すると、例の「病院長へのアンケート」の回答が届いていた。かみさんの手紙は、将来はより良い環境でリハビリ室を設置してもらいたいということがその主旨だったのだが、これじゃあ仮のリハビリ室に不満を言ってると勘違いされてるんじゃないかと、おかんむりだ。

2014年1月3日(金)
 遠くに車で出かけた。その出かけていた先で、気合を入れていなければ痙攣発作を起こしてしまうかもしれないと一瞬感じた。家に帰り始めた時に、その感覚はおさまった。

2014年1月17日(金)
 脳腫瘍の同僚が死んでから続いていた、ある種はっきりと職場の空気が二分されていると感じられることが、ここ最近収まってきた。それは、本当に心配してくれている人と、一方で何か頓珍漢な事を言い始めるんじゃないかという疑いの目でみて、用心しなければという気配が感じられる人だ。
 相変わらずゆっくりしゃべらないと言葉が出てこないし、ゆっくりしゃべっても考えつかない時には考えつかない。



船、係留中

2014年1月24日(金)
 今日は言葉の調子が良い。注意してゆっくり話すことには変わりはないのだが、思ったことが言える。
 手術前の文章がメールとか書類とかに残っている。それを見ると、まだまだだなぁと感じる。私は術前は、(屁)理屈を言わせれば敵う者はいなかったと自分では思っている。術後は、生活できる最小限のところのみシンプルにかかわってきたと思う。そのかかわり方が、まだ半分もいかないが、だんだん増えてきたと感じる。

2014年1月29日(水)
 週1回土曜日にリコンディショニングセンターに通っているのだが、これから水曜日の夜にも通うことにする。この日は「すいすい帰ろう水曜日」と言って会社を定時で帰ることができるから。
 もともと運動することは得意ではないのだが、手術直後は体を動かしたくってしょうがなくて病院の敷地内を散歩していた。運動することが脳の活性化に効果があることは最近になって知った。あのときは脳が本能的に運動することを欲していたのかなぁ。

2014年2月5日(水)
 1年毎になったMRIの検査をしてから主治医の診察を受ける。再発なし。画像は去年と全く変わったところはないとのこと。よかった。このところ耳鳴りがまたひどくなっていたので実はちょっと心配していた。



リュックサックを作った

2014年2月10日(月)
 今日は言葉の調子がいつになく良かった。2月に入ってから言葉が出にくいことが多かった。それから、ふと気がついてみると、将来するべきことの時間的な見積もりが少しだけできるようになってきた。この仕事はいつまでに済ますことができるとか、趣味の鞄作りの作業は予測としていつまでにできるかなどだ。

2014年2月20日(木)
 自宅療養中に通院していた時から感じていたことだが、専門用語の難しい言葉は言えても(自宅療養中は話せても、「単語」ぐらいだったけど)平易な言葉で説明することができない。これは職場で技術用語を使用する機会が多いせいかもしれない。一生懸命説明しようとして冷や汗をかいて、それでも説明することができなくて、その後しばらく脱力感が残る。手術前は、どんな専門用語でも分かりやすく説明するのが得意だった。

2014年2月28日(金)
 職場で術前と同じように大きな声で話すことができるようになってきた。小声で話すようになってしまったのは、自分の発言に自信が持てなかったからで、それが大きな声で話せるようになったということは自分の話に自信が持てるようになってきたということかな。それから冗談も少しずつ言えるようになってきた。

2014年3月3日(月)
 一生懸命話をしようとすると、涙目になってしまうのは治っていない。頭の手術の傷跡が痛むことは、しばらくない。耳鳴りも、いつもしてはいるが気にならない程度だ。



煌めく海

2014年3月7日(金)
 言語リハビリ。この3ヶ月にあったことの近況報告をする。またメモに要点だけ書いておくというのは、言葉をうまくつなげて話すことができないからだめで、書くなら一言一句完全に書いておかなければだめだとかいうことを相談した。言語聴覚士(ST)は以前は固まって汗をかきながら精いっぱい話をしていたが、最近は余裕が感じられるとのこと。

2014年3月11日(火)
 昨日はとてもとても言葉がしゃべりにくかった。思っていることが言えない。今日は打って変わって言葉が良く出る。こういうことを繰り返しながら、よくなって行くんだろう。

2014年3月20日(月)
 今日も言葉が出にくかった。頭ではわかっているのだが、言葉にできにくい。わかっちゃいるんだが言葉にする気もなくなる。これじゃいかんと思い、むりやりしゃべろうとする。

2014年3月25日(火)
 半年ぐらい前から手術の傷跡が痛くなくなっていたのに、きょうは痛かった。



旅行鞄を作った

2014年4月14日(月)
 ここ一週間ぐらいの間にステップアップしたと感じる。おや?なんか調子いいぞとうすうす感じていたけれど、今日になって確信に変わった。冗談も言えるし大きな声も出せる。言葉の面だけでなく、頭で考える内容もなんだか調子が良くなっている。こりゃめでたい。
 いつも春が来てわくわくする。手術した翌年に感じた何かが湧きあがってくるようなあの感動ほどではないにせよ、命の息吹を感じると言うかなんというか、どう言ったらいいのかわからないけれど、とにかくわくわくする。

2014年4月22日(火)
 話しにくい。話しにくいし頭で事前に考えておくことができないくらい長い説明になると、よれよれになるのだが、明るい気持ちでいるので、どうってことはない。
 あいかわらず耳鳴りはしているし頭の中になんだか変な違和感がする時があるのだが、気にはならない。

2014年5月9日(金)
 昨年の1月に「もう普通に仕事やれるよね」と隣の部まで面倒を見てほしいと言われたのだが、今度はまた別の部署の面倒も見てほしいと言われた。丁重にお断りした。今の私の回復状況だと、かいかぶりもはなはだしいと思う。回復したとは言ってもまだまだ決断力にかけるし、経営的なことや込み入った事務的なこと、それより肝心の技術的なことでさえややこしくなると説明に困ってしまう。確かにここのところ自分でも生き生きしてる感じが戻ってきた。それでも、まぁまだ無理でしょ。



山頂のつつじは花ざかり

2014年5月12日(月)
 説明するときなど頭で先に先に言いたいことを考えている、別に焦る必要があるわけじゃなくても気持ちが焦っているときなどは、どうしても自分で納得できなくて、こういう表現じゃないんだけどなぁと思いつつ納得できない表現で言ってしまう。ほんとは別の表現で言い換えたいのだが、同じことを繰り返して言ってしまう。いっそのこと紙に書いて説明したいのだが気持ちが焦っているのでそうもいかない。そんなとき、まだまだだなぁと思う。今日は冷や汗でシャツがぐっしょり濡れたが、涙目にはならなかった。

2014年5月14日(水)
 今日はMRA検査の後、主治医の診察。MRA検査の結果は全く異状なし。昨年の人間ドックで頚部エコー検査をしたのだが、プラークがある(要するに動脈硬化)と指摘されていたのでちょっと心配していたが、EPAが主成分のエパデールを昨年の人間ドックの直前から飲んでいるからなのかわからないが、頸動脈にも異状は見られなかった。
 痙攣止めのイーケプラは、最後に痙攣を起こしてから8年、術後10年をめどにやめようということになった。私の腫瘍の位置は運動野に近いところにあるので痙攣を起こしやすい。もう少し前側か後ろ側に寄っていると痙攣が起こりにくいそうだ。しかし、アレビアチンからイーケプラに薬が変わったからか、回復してきているからなのか不明だが、薬の副作用かもしれないと思っている耳鳴りも、頭の中でおかしな違和感がするのも最近は気にならなくなっているので、まぁあと3年ということだし飲んでみますかね。以前イーケプラを処方されたときに書き忘れたが、イーケプラは単独では保険が効かないので、フェノバール散10%と言う抗痙攣薬も同時に処方されたのだが、これは保険を効かせるためのものなので飲まなくて構わないとのこと。フェノバール散10%は一番薬価が低いらしい。粉末なので調剤に時間がかかるから、薬剤師に相談したうえで、はじめからもらわないことにした。今年の秋ぐらいにはイーケプラ単独で保険適用となるらしい。

2014年5月25日(日)
 先週の水曜日にリコンディショニングセンターで、おや腰がおかしいぞと思ったのに、そのまま運動を小一時間続けて最後にどうしても痛くて氷で冷やしてもらって帰ってきた。その数日前から体が硬くなってしまったなと感じていた。木曜日と金曜日は直立状態から少しでもどちらかに傾くと強烈に痛い。普段は鞄に入っているノートパソコンとACアダプタを抜いて出勤しても痛い。午前中は強烈に痛いが午後から治るというのを二日間繰り返した。以前も腰が痛い時にそうだったのだが、私がいつも使っている椅子が、背もたれを倒すと、あたかも治療効果があるように痛みが消える。その椅子を使って寝てみたところ、すっと痛みが取れた。その後、違和感が少しだけ残っているが、痛くない。氷で冷やしたのが良かったのか、椅子に治療効果があったのか。



ショルダーバッグを作った

2014年6月3日(火)
 昨日、熱っぽかったせいかもしれないが、今日は言葉と頭の調子が良くない。考えても考えても理解できないばかりか、話す言葉もたどたどしく、馬鹿の一つ憶えのように同じ言葉をくり返してしまう。

2014年6月18日(水)
 昨日と今日は毎年恒例の県立中央病院での人間ドック。2007年に人間ドックの脳ドックオプションで脳腫瘍と診断された。もしあのとき見つからなかったら、もうこの世にいなかったかもしれないと思う。
 それから昨日は大学病院にもまわって言語リハビリを受けてきた。そのリハビリの時に4月14日にステップアップしたと感じたことなど近況を報告したのだが、言語聴覚士(ST)から私の最近のドジを踏んだ話とか面白かった話は何がありますかと聞かれて、困ってしまった。どうしてかというと、失語症を治そうとして一生懸命になっているあまり、失語症が治って行っている過程は話せても、面白い体験など気にもしてなかった。さて何があるかなと考えても、気にも留めてなかったのだから思い出しようがない。手術前はドジった話とか面白い話とか、いっぱいあって家族や同僚に何を最初に話そうかと迷うような状況だった。
 また高次脳機能障害を研究している ある大学の先生に、STが相談してくれたところ、意訳して簡単に話をまとめると「職場復帰していること自体が素晴らしい。でもそんなに軽度の障害だったら贅沢言うな。それより他にもっと重症の患者がいるでしょ」ということが主旨。でも「贅沢」言いたい。元に戻りたい。元と同じように難しいことを滑らかに説明したい。パリのある動物園に「一匹の動物を救っても世界は変わらないだろう。でもその一匹にとっては全く世界は変わってしまう」という看板がかかっていることを今日テレビで聞いた。その一匹になりたいと思う。
 でも、だんだん良くはなって行ってるけどね。あんなこともできるようになったとかこんなことも言えるようになったとか、昨日よりは今日、今日よりは明日、その時その時に最高の自分が今でもいる。




あじさい

2014年6月20日(金)
 最近、直観力が少し戻ってきたと思う。
 文章にすることも今の回復度合いではちょっと難しいのだが、例えば末端が閉塞しており、一部短い区間だけ二重管になっていて外側の隙間に水が流れていて、中のパイプの内側は一旦大気圧から減圧してから蒸気を流入させるという管があったとして、二重管の長さが一定であれば空気の伝熱障害により、減圧する圧力を変化させると中のパイプの長さが長いほど外側に流れている水の出入り口の温度差の変化は大きそうだといったことも直感的に分かる。しかしそれは頭の中だけであって、声に出して説明しようとするととても難しい。不適切な言葉の使い方しかできないし、そもそも説明不足になってしまっていると思う。
 この作業をするのにどれだけ時間がかかりそうかということも、直感的に分かるようになってきた。
 しかし昨日あたりから以前言葉にして話せていた表現も言えなくなっている。波があるのか、頭の中にあることを早く言ってしまおうとするからなのかしれないけど。しかも以前にも記したが、気を抜くと気を失ってしまうような感じが時々する。

2014年7月18日(金)
 頭の中に言いたいことが山ほどあっても、ゆっくりしか話せないか、肝心なこと以外のことをまずしゃべってしまう。例えば、「あ、これだな」と何かの話題に関することが頭の中に浮かんでも、そのことが全て即座に言葉にできないから、ゆっくり順番に話すことになる。また、ゆっくり話していると途中で肝心なことを話す前に遮られてしまう。

2014年8月3日(月)
 ここのところ例の「キーン」と耳が鳴ったり、なんともいえない頭が締め付けられるような違和感が時々する。



ショルダーバッグを作った

2014年8月16日(土)
 今日まで次女が帰って来ていた。かみさんと話している話の内容と違い、話題が増える。いつものように思いもかけていないような内容で質問されたら困ってしまうことはさておき、政治問題とか国民性、プログラミング言語などの話題になると以前は明快に解説できていたことができない。おや、あたまがおバカになっているのかもしれないぞ。単位の換算がまだ難しいし、経営的な話題、複雑な事務処理になると、頭が真っ白になってついて行けない、あらゆる面で検討して意見を言わなければいけない場面で、ある角度から考えるべき部分がすっかり抜け落ちていたりするというのは、脳みそをだいぶん取ったからかな〜 ま、今はできなくてもそのうちに脳の可塑性とやらで できるようになるさと気軽に考えることにする。

2014年8月20日(水)
 主治医の診察を受ける。痙攣止めのイーケプラを手術から10年後に終了予定であること、人間ドックでの血液検査で肝臓の値に問題がなかったことなどを確認された。言葉の問題は、仕事を通常通り行なっているのであれば、リハビリのつもりで積極的にしゃべるようにするとよいとのこと。はいもちろん実行してま〜す ^^;

2014年8月23日(土)
 今日で手術から7年経過した。まだ最初に口にした言葉に囚われてしまって、易しい表現で言い換えて説明することが難しい。それでもそこそこ回復しているから、手術から5年目で疑問に感じていた「生きてるだけで、まるもうけ」の境地に達することができた。



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